魔王城の側にある赤い川……その下流は、確かにこの洞窟へ流れ込むように繋がっている。
確かに、レト王子が言っていたとおり――洞窟の穴、つまり入り口は小さい。
覗き込んでみても、明かりの入らない暗い闇で一面覆われており、水が高い場所から何かに打たれ、水しぶきが周囲に飛散している音のみが聞こえる。
わたくしやレト王子くらいの子供なら中に入ることは可能だが、一歩踏み込もうにも、どこに足場があるか分からない。足を踏み外して終わりだろう。
「――レト王子は、どうやってこの中に?」
「猫になって入っていった」
「まぁ……」
黒い猫がこの中にしずしずと入っていくのを想像したら、普通に可愛かったので顔がにやけてしまう。
それを見たレト王子もつられて微笑み、猫好きなの? と聞いてくる。
「好き……ええ、そうですわね。好きです。可愛いし……、なんといっても可愛いですから」
「なるほど。可愛いところが好きなんだ」
意味深に頷いてくれるので、もしかすると猫になってくれるのかと一瞬期待したが――そんなこともなく、一緒になって洞窟の中を覗き込む。
「この中は足場……というか岩が積み上がっているんだけど、自然に積み上がっていったものだし、砂も入り込んでくるので安定感がない。非常に脆いんだ。俺も中に入ったのはいいが、帰ろうとしたら、足を掛けた岩が崩れて……危なかった。怪我をしそうになったし、収穫は薄いから入りたくない」
大変な目に遭ったのだなあというのが、その言葉の端々から伝わってくる。
「お魚がいるというので気になったのですが……どのくらいの大きさだったのですか?」
「手のひらをいっぱいに広げたくらいだ」
そうしてレト王子が自分の手のひらをわたくしの見せてくれるが、うーん……わたくしの手のひらよりは大きいので、だいたい20センチ前後といったところなのかしら。
「食べるには少し小さいのかしら……?」
「泥臭くて美味しくないぞ。体表に硬くて鋭い鱗があって、微弱な毒を持っているから、お腹も痛くなる。何も薦められない」
あっ、もう食べてた。
「……そう、ですか……。毒があるのであれば…………錬金術で毒の成分が必要になったら重宝しそうですね……あと鱗……」
「結局欲しいのか……」
「他に魚が捕れるところがあれば構いませんが、洞窟に生息している魚の数は多いのでしょうか」
「俺が来たのも3年ほど前だ。その時は水が溜まっている場所に20匹くらいいた。特に状態が変わっているとは思えないから、今もそれくらいじゃないだろうか」
なるほど。少しずつ持ち出せたら、生態調査しながら養殖も出来るかもしれない。食べられないのは残念だけど。
少し川の近くにレンガでも積み上げて、ため池っぽくして飼ってみたいな。
「必要になったら捕獲をレト王子にお願いしたいのですが……あと内部の構造も一応知りたいと……」
おねだりをするように上目遣いでレト王子を見ると、彼は嫌だと言いたげに眉を顰め、渋々頷いた。
「……俺の経験談をあまり聞いてないようだが……わかった。リリーがそう望むなら頑張ろう」
なんていい人なのだろう……。
「あ。先にメモリーストーンをここに埋めて、中に入った後は転移できるので安全ですわよ」
「そういえばそうか。うん、それならまあ……いや、せめて縄ばしごか何かは用意しておきたい。結局小さいものに変化すると、あの鞄は持ち込めないからな」
変化するときには、小さいものに変わるには一部の装備品は邪魔になるし、大きいものに変えるときも服や装備が壊れる危険性があるという。
なかなか変化というのも便利なように見えて、デメリットもあるものだ。
メモリーストーンを洞窟の入り口にも埋め込み、入り口の大きさや当時の状況などレト王子の話を参考にしてメモを取る。
次回の調査までには、もう少し探索用の基本的なアイテム……いわゆる巻き尺のようなものやら、カンテラ、縄ばしご、緊急用の食料とか、万が一のためを考えていろいろ増やしておきたい。
先ほどの山と洞窟の二カ所を巡っただけなのに、時間は思った以上にかかっていた。
「そろそろ四時になるよ。夕飯の仕度を始めなければ」
懐中時計を見たレト王子がそろそろ戻ろうと告げた。
「あら、そんなに時間が経っていたのですね。楽しい時間というのは、あっという間に過ぎ去ってしまうものです……」
鞄に筆記用具をしまいながら立ち上がると、レト王子は嬉しそうに頷いた。
「うん……俺もそう思う。また二人で一緒に……出かけよう」
「もちろんそのつもりです。ふふ、むしろこちらからお願い致しますわ」
「……! うん!」
レト王子は一瞬驚いた後、頬を紅潮させてしっかり頷き……――なぜか照れている。
わたくしは調査のことを言ったのだが、どうやら彼の受け取り方は違うようだ。
どのへんで意味を取り違えたかなと考えてみたが『楽しい時間』という意味が間違って……というか少し意味合いが変わっているような気がする。
ここで違うよと訂正しても良かったが、そんなことをして彼(……と魔王様)の不興を買うなど、そんな愚行はしない。だから微笑みを返しておいた。
年長組のもの言いたげな呆れ顔が目に浮かんでくるようだが、レト王子とも一緒に調査をして楽しかった、というところでひとつ許してもらえないかしらね。