昼食後。出かける前にレト王子は魔王城の入り口と畑に、メモリーストーンを一個ずつ埋め込む。
ここにあると転移したとき便利だろうということだ。
「石は土の中に埋め込むのですか?」
「そう。スライムやゴーレム達も、俺や父上の魔力を感じるものに手を出したりしないはずだから、気にしなくて大丈夫」
ゴーレムくんはエリクの製作がメインなので保証は出来かねるけど、スライムは大丈夫だ。きっと。
エリクは釜を借りて作るものがあるらしいし、ジャンは寝るというので結局二人で出かけることになる。
わたくしが二人の予定を訊いたとき、レト王子が笑顔を見せた気がするので、二人は何かを察して遠慮したのかもしれない。あいつら勘が良いからな……。
「リリーは、どの方角から行きたい? 気になる場所からでも良いぞ」
レト王子が鞄の中から午前中に書いていた地図を取り出し、わたくしに手渡す。
手書きのあたたかさがある可愛い地図を見ながら、レト王子は30キロ四方をどのくらいかかってツバメの姿で飛んでいたのか気になってしまった。
「今朝はどのくらい飛んでいましたの?」
「時間のことかな? あちこち飛んでいたから二時間くらい」
……鳥は良いな。
わたくしの体力でどれほど走ることが出来るのか……あれっ、これは、日頃の運動量も関わってくるのではないかな??
「…………あの、どう移動しましょうか……」
「飛ぶんだよ」
「飛ぶ」
「……見せた方が早いな。ちょっと失礼」
そう言うと、レト王子はわたくしを突然横抱きにすると、地を蹴った。
「きゃ……!」
何がどうなっているのかもわからぬまま――わたくしは体中に烈風を感じ、怖くなって身をすくませる。
「落としたりしないよ、大丈夫。変化して飛ぶよりは遅くなるけど、こうすればリリーを近くに感じながら飛べるなって思ったんだ」
わたくしを抱き上げているのだから、当然すぐ近くにレト王子の顔があって……も、落下するんじゃないかという恐怖で、ロマンティックだとか雰囲気にも浸れないし、お顔を拝んでいる場合でもない。あと、大丈夫かしら。重たくないかしら。
いえ、きっとわたくしは羽のように軽いはずですもの……! 乙女ゲーの世界なんだから、重たいって言われる事なんてほぼないはず!
スカートじゃなくて、汚れても良いようにズボンに穿き替えてきて良かった。
そうじゃなかったら、今頃ぶわぁ~っと風圧でスカートが広がって大惨事だっただろう。
「平気……? やっぱり怖い?」
「へ、平気ですわ……!」
気遣わしげなレト王子の声に、わたくしは自身の声をうわずらせながらも、いつもの調子で答えた。
落としはしないという言葉を疑っていないが、やっぱり足場もなくて怖い。
彼の胸元にぎゅっとしがみつく。落ちるときは一緒に落ちて貰おう。
そんなわたくしの仕草に小さく笑っているレト王子、どんな仕掛けというか魔術で飛んでいるのだろう。
本人に尋ねると、なんとなくやってみたらできた、という言葉が返ってきたので、多分既に覚えていたか固定パッシヴスキルに飛行能力があるとか……そういうのなんだろう。そう思っておこう。
移動速度は意外とゆっくり……っていっても、景色があっという間に変わっていくから、スピードはあるはずだ。
こんな状態だと地図を見ている暇はないな。あと、目を開けていると強風でゴミも入りそうだし、なんといっても目が乾きそうだから、次はゴーグルも買っておこう。
「――あ。あの山、行きたいと言っていた場所でしょうか」
わたくし達の眼前に広がる、大きな岩山……標高が高いわけではなく、巨大すぎる一枚岩の塊がドンと置かれているかのような……そんな感じだ。
「そうだよ。降りてみようか」
「はい」
失速し――細かな砂塵を巻き上げつつも、ふわり、と優雅に降り立つレト王子。
そっとわたくしを地面に下ろす。
腰が抜けそうだったが、地面に立てたので落ち着かない不安感というか、そういったものは霧散する。
改めて山? 岩? のような何かを見ると、空から見ても大きかったのに、自身が大地を踏みしめた等身大の視線で見ると、とても存在感が大きいものだと気付かされる。
岩山の周囲は、やはり強風は吹いておらず緩やかだ。
この山が風の進路というか勢いを和らげているようだが、ではその周囲の状態はというと……風景が変わるでもない。草が生えるでもない。風が和らいだところで相変わらずスライムくらいしかいないようだ。
歩いて回ってみようという気があったのに――それも徐々に失われつつある。
なにせ、見通す限り地平線状態の魔界で……この岩山の先端部分が、視線の先にとても小さく見えるのだ。この岩山、キロ単位の周囲だと思われる。
しかし、魔王城からはこの場所が見えない。
風で砂が舞うことと、大気が遠くの景色を霞ませてしまうのかもしれない。
「……これを目印に転移しようと思っていましたが、上から見ても下から見上げても、木の一本も生えていないのは……ある意味すごいものだと感動しますわね」
「……そうだろう? 俺たちも生きながらえてきたのが不思議なくらいだ」
レト王子も淡々としたお声で同意する。
岩山の表面に目を留めると、ここの岩は赤い。成分が違うのだろうか。
持ってきた磁石を砂や山の表面に近づけると、砂は磁石に引き寄せられ、石には磁石が吸い付いた。
「――このあたりの砂や岩に鉄分が含まれている、のは分かりました。製鉄できれば、魔界の……産業に役立つかもしれません。砂も例によって錬金術でも使えるかもしれませんわね。この岩山を壊すことになるのは景観的に良くないなら止めておきます」
魔界の全ての素材に高濃度の魔力が含まれている……のであれば、錬金術の素材としても優秀のはずだ。いえ、魔界の金属にも魔力があったら魔法金属……ミスリルにも負けないのではなくて?
大いに研究の余地がある。わたくしは手頃な石や砂を袋に小分けに詰めて、鞄にしまう。
レト王子は岩山に手を当て、目を閉じて何かの気配を探っているようだ。
「――虫などの小さな生命が潜んでいる反応はない。ただ、大地の力は感じるから、雨などのきっかけがあれば、もっと強く生命の息吹を感じられるかもしれないな」
「まぁっ……! では、魔界の大地が痩せているというわけでは無いようですわね。そうなると、やはり雨呼びの雲の作成を考えなくては……」
結局、あれから採取地であるヨルス高原にはまだ向かっていない。
満月の機会はあったものの……雨が降ったりせず、採取できないでいる。
また足を運ぶつもりではあるけれど、なかなかチャンスに恵まれない。
メモリーストーンを近くに埋め込み終え、レト王子が他を巡ろうかと尋ねるので、それに頷く。
彼はわたくしを再び抱え上げ……新たな場所を探して、飛ぶ。大御所バトルアクション漫画とかにありがちな、ああいう感じ。
「……次は、西に向かいましょう。洞窟というのを見てみたいです」
「わかった」
なんか先ほどよりも速く、レト王子は進んでいるのだが……なぜ彼は目を開けていられるのだろうか……魔族って凄い……。
「目が乾きませんか?」
「風の精霊に頼んで護っているから平気だ」
なにそれ。そういえば、レト王子は以前も防音結界を作るとき、風の精霊に頼んで~、と言っていた気がする。
精霊。
「――……あの、レト王子は、精霊の加護がおありなのですか?」
「四大精霊と会話をするのは別に難しくないはずだし、加護もいつの間にかそれぞれから授けてもらったぞ」
「――…………」
さらっと何でも無いことのように、重要なことを告げるレト王子。
わたくしの頭の中では、信じられない……という言葉ばかりがぐるぐると回る。
四大精霊の加護。
そのうちどれかひとつでも、人間に授かれば凄い事であるはず。
それがないから、人間の世界では祝福者の代わりに魔具が開発されたのだ。
だというのに魔界の王子様に四つ、全てついている。
これが驚かずにいられるかというものだ。
あのアリアンヌでさえ一つついていることが後々判明して学院中が大騒ぎするのに、レト王子は四つだ。もはや無敵といっていい。
「……誰でも身につけられるのなら、わたくしもできるかしら……」
「――……今日の夜から、精霊の声を聞く練習も一緒にやってみようか?」
「はい!!」
「ふふ、嬉しいな。今日はリリーとずっと一緒にいられる。楽しみにしてるね」
可愛く微笑まれてからハッとしたが、そういえば今日は夕食の準備も、りんご剥いたりするのもレト王子と一緒だった。
しかし……夕飯の支度を難なくこなしているのに、りんごが剥けない芝居をするよりも、四大精霊の加護が手に入るかもしれない魅力の方が大きいのだ。
むしろ最大優先と言ってもいい。
だって、それがあったら……魔具を持った敵が攻めようが、祝福者の力の方が強いはずだ。
魔族と人間の戦いが起こってしまってもわたくしにだって、きっと役に立てることが……うまくすれば、撃退できるかもしれない。
期待感で気分が高揚してくる。まだ始まってもいないことなのに、だ。
顔に出そうなのを極力抑えていると、わたくしとレト王子の眼前に、洞窟が見えた。