朝食と食器の片付けを終えたわたくしは――早速レト王子に手を引かれ、彼のお部屋に足を踏み入れる。というか強制連行に近い。
麗しき魔王子のお部屋には何度か錬金釜を借りに来たこともあり、こうして訪れるのが初めてというわけではない。
部屋の中にはきちんとしたタンスや本棚、机にサイドテーブルなど家具などが置いてあり、多分魔王城で一番部屋らしい部屋である。
中でも目を引くのが、本の数。とても多い。
新しめのものばかりだから、地上で買った本が大半を占めているにしても……本棚が三つもある。
「いつも思っておりましたが、レト王子は本がお好きなのですね」
「うん。ほとんど魔術書と、エリクの持ってきた錬金術の本が入っているけどね。彼もたまに釜を使うし、そのうち個室が出来たら専用の釜も欲しいと話していた」
地上にあるエリクの家、たまに戻ってあちらで作る(ほうが効率の良い&地上でしか合成できない)アイテムの合成を行っているのだという。
重要なものや大切なものはもうこちらに全て移してあるので、釜が壊れない限りは困らないとか。
「――じゃあ、今日は錬金術の勉強でもしよう。リリーと一緒に学ぶのは久しぶりだからね、嬉しいな」
存外に喜んで頂けているようだが、わたくしとレト王子の熟練度はさほど差が無い。
わたくしは数日おきにほぼ半日くらい借りて一気に、レト王子は毎日少しずつ……というような学習スタイルなので、どちらも熟練度はめきめきと上がっている。
どちらかといえば、自分の部屋に釜があるレト王子のほうが釜の扱いに慣れているといったところ。エリクをここで引き合いに出すとすれば……。
エリク>>(越えられない壁)>>>レト王子≧わたくし ……になる。
ディルスターで習得し、それなりに努力してきた錬金術ではあっても……そもそもエリクパイセンとは土台が違うのだ。
幼い頃から活計として錬金術を使い、基礎・応用・変則調合を研究しているのである。プラス才能。
天才が勤倹力行しているのだ。秀才が勝てるはずもない。
まあ、わたくしに凄いチート能力が加わっていれば、話は違ったのですけれども……。
いえ。ないことはない……エリクほどではなくとも錬金術とアイテムドロップ、売価の知識に……キャラ情報があったから、エリクとジャンを迎えることもできた。
それに、おおよその歴史が変わっていないなら。人類が戦乙女を迎えるまで、まだ時間はあるはず……。
実力も知識も不足しているなら、これからわたくしも研鑽を積んでいけば良いのですから。
気合いを入れ直し、勝手知ったる人の部屋で、材料置き場となっている薬棚の引き出しを開ける。
引き出しの中身には、材料の他にメモも入っている。
使った数を記入していき、一定量以下になる・不足しそうであったら、次回の買い物の時に買い足し、増量も記載する……という具合だ。
買い物に入ったばかりなので、引き出しの中身はどれもこれも充分な量が入っている。
「そういえば、レト王子。この周辺の地図、と仰っていたような……」
「ああ。それはリリーと勉強しつつ今から描き上げる」
机に紙とペン、インクなどを用意しながら明るくそう言うレト王子なのだが、そこでわたくしはふと思う。
「……今後も、周辺の調査は行うのですわよね」
「もちろん。なにか良い案があったの?」
レト王子は妙案を期待しているようだが……そんな妙案ばっかりポンポン出てこないっての。
知識のなさを詫びつつ、思ったことを口にした。
「……あの……転移のことはよく分からないのでお伺いしたいのですが、行った場所に転移陣を描いておけば、次にそこへ転移するとき、前回よりも容易にできますか?」
「……そうだな。いつも術を唱えながら場所をイメージして移動するが、陣が繋がっているなら、精神力の消費も少なくて楽だ」
なるほど……。
「それなら……劣化に強く、魔力消費を抑えつつも効率よく発動できるような効果を込めて、塗料か魔石を作り、それで魔法陣を描いてみるというのはいかが?」
「描く……か……」
本棚から【中級錬金術:応用】の本を取り出し、レト王子はパラパラとページをめくり、参考になるページがあったらしく目を留め、納得したように頷く。
「……それなら魔石のほうがいいな。石にイメージを閉じ込めておきやすいし、術者の限定も出来るから、いろいろと扱いやすい」
わたくしに開いたページを見せてくれた。
そこに載っているのは『メモリーストーン』と呼ばれるものの調合方法だ。
これは地上での作成方法なので、魔界での錬金術だと手法が変わってくる。
ある程度の作成手順は習得したから、手間を掛けて代替できるところや別の素材で作っていけば良い。
「地上だと、魔石と精霊の歌が1つずつ、魔力水が2つと知識の書片が3つだ」
レト王子の言葉を参考にしながら、わたくしは棚の中にあるそれぞれの材料を吟味する。
「精霊の歌は……記憶のかけらに置き換えますわね。えーと、魔石、ガラストーン……1つで良いかしら」
「うん。知識の書片は……記憶の欠片を入れてから魔界水をゆっくり流そう。染みこませていけば、願いの札は不要になると思う」
二人で知恵を出し、置き換えのコツというか法則というか……そういったものを考えながら、分量の調節も考える。
ガラストーン、魔石、魔界水を1つずつ、記憶のかけら(板状のかたい不思議なもの)を2つ……順番を考えながら合成釜に入れると、合成釜の周りによく分からない魔法の文字が浮かぶ。
不思議なのだが、魔界に来たこの合成釜……火を使わなくても使用出来る。
通常、釜というだけあって中に錬金溶液(※錬金術師が最初の頃からずっと使う釜の中の水で、うっかり棄てたら研究成果が失われるといわれるほどに大変な損失。食べ物屋さんで例えれば、継ぎ足ししている秘伝のタレ)と加熱も必要なのだが――……魔界の水で洗った効果なのか、とにかく火と錬金溶液を入れることなく出来るのだ。
ちなみに中和剤以外には分量外の水……つまり錬金溶液にしようと加水すると、簡単な調合でも100%失敗する。
オズさんのおじいさんの使っていた釜が特殊なのか、魔界の環境が作用しているのかはエリクにも分からない。
だから彼もいろんな意味で、魔界に自分用の釜が欲しいといっていた気がする。
ちなみに、他の釜の水を使用してもダメらしい。替えはないのだ。
とにかく、そんな火入れと溶液の事など全く知らなかったわたくしとレト王子は、エリクが魔界に来るまで全く気にせず、合成をし続けていたのだけど、それは奇しくも正解だったというわけだ。
たまに失敗するけど。
最初の頃はエリクも首を傾げつつ、おっかなびっくり同じように作っていた。今は慣れたものだ。
材料を入れて、長い木べらで材料をかき混ぜる。
釜の中には魔力水が入っているので、混ぜる……というかほぼ煮ている。
わたくしが材料を混ぜている間、レト王子は周辺の地図らしきものを作成し始めた。
それを覗きながら混ぜていると、視線に気付いたレト王子がクスリと笑って、わたくしにも見やすいよう席を移動してくれる。
「そこが魔王城ですのね」
「うん。元の形は知らないが、上から見るとほぼ四角い形をしているんだ……ああ、このあたりにリリーの家があって、畑があって……」
話しながら小さい簡素な家を書き、畑と思わしき長方形を描いて、斜線を引いて土っぽさを表現している。
「これはこの間一緒に植えた苗たち」
「あら、可愛らしいこと」
畑の中に草っぽい雰囲気の作物が描かれ、わたくしとレト王子は顔を見合わせてふふっと笑う。
「……ここを中心にして、どう描いていこうかな……」
「上を北の方角として……まずは魔王城周囲30キロの地図を仕上げませんか? もしそれができあがったら、次は大きめな紙に10キロずつ等間隔で距離を伸ばして記入してできるようにすれば、遠距離と近距離で使い分けが出来るはずです」
そして、作成中のメモリーストーン……そうなると、10キロごとに最低4個ずつ、できれば8個、それぞれの方角へ配置しなければ難しい。
30キロ四方だと……12~24個作成しなければいけない。
少しずつ泡立ち始めた魔界水を見ながら、少しだけ憂鬱になってくる。
しかし……この何も無い広大な魔界に、わざわざ等間隔で埋め込んでいくのも無駄な気がする。
まずはランドマーク的な、特徴のある場所を見つけて目印にしよう。
「この1個がうまく完成したら、数個まとめて作ることに致します」
「ずっと釜を見るのも精神力が必要だから、休息も兼ねて半分ずつ作らないか? 俺もメモリーストーンを作ってみたいし」
「それは、是非お願いしたいところです」
ありがたい申し出に頷くと、それまで頑張ってねとレト王子が微笑んだ。
「リリーがそれを仕上げる頃には、こちらの作業も終える」
いったいどの辺までを記憶しているのか、レト王子は近距離用地図として取りかかった用紙に、岩山らしきものや川の先の洞窟などを描いている。
「……所々ある、その丸……くぼみ? は、いったい?」
「地面がへこんでいるんだ。恐らく、昔に戦があったりしたんじゃないだろうか」
なるほど。人間や魔族同士で小競り合いがあったりしたんだろう。
それを空から見たまま描いているのだから、たいした記憶力である。
「……うん、そうだな。やはり30キロ周辺では……上から見た限り、これといったものがなかった」
自分が書いている地図を見て、レト王子はしみじみと告げた。
でも、わたくしは充分だと思う。
「そこにある岩山、とっても大きいように見えますが……少し掘ってみたいですわね。良い鉱石があるかもしれませんし……地上近くを調べたら、多少の緑や遺跡みたいなものが見つかるかも」
レト王子が地図に書いたとおりなら、巨大な山だと思う。
それにあの赤い川もこのまま洞窟の方に流れていくとはいえ、細く枝分かれしつつ、岩山の近くを流れている。何かイイモノがあるに違いない。
魔界水も記憶のかけらも溶けて、石とうまく混ざり合ったようだ。
楕円形で光沢のある、紫色の石ができあがった。
爪でツンツンとつついてみたが、熱くはないので釜の中から掴んで拾い上げる。
「……うまくできた……の、かしら?」
失敗したような感じはないが、わたくしも初めて見る錬金アイテムだ。
レト王子も興味津々という感じでメモリーストーンを見る。
「貸して」
「ええ、どうぞ」
石を渡すと、軽く握って目を閉じた。
「……うん、本に記載してあるように、既存の場所のイメージがしやすいから、これで大丈夫だよ。この石を、それぞれの場所に埋め込んで……転移の紐付けを行っていけば良いんだな?」
「わたくし、転移についてはよく分からないので……レト王子がお持ちになっていてください。使いやすいようであれば、それを装備品に加工してもらって身につけてはいかがかと」
つまり、レト王子に一つ持たせておけば……同じような石を埋め込んだ場所に転移しやすくなるわけだ。
ゲームシステムで言えば、魔界のショートカット機能……みたいなもんだろう。
そう考えると、いいなあ、転移魔法。わたくしも使えるようになりたい……。
「……レト王子、わたくしにも転移魔法を扱えるようになるかしら……?」
「えっ? リリーは魔法も……使えるんだろう? 熟練度が上がれば出来ると思っていたんだが……」
「魔術の練習はしていますが、その……力をうまく引き出せないのです……」
気付かなかった、と驚いた顔でわたくしのことを見つめるレト王子。
そんなにまじまじ見られると、すこし居心地が悪いのですが……。
「地上と魔界では、魔力の質・量ともに違うでしょう。地上でも魔界でもうまく引き出せれば、わたくしもいろいろと出来るかもしれないと思い……」
そもそも、ピュアラバで『代行者候補生』と呼ばれる学生達は――魔力を有していても、全員が魔法を使えたわけではない。
魔族と戦うのに効率よくダメージを与えられる『四大精霊の祝福者』という適任な存在が見つけられないから、精霊よりも下位である妖精達を結晶化し、開発された宝石……『魔具』を装備して戦っていたのだ。
その恩恵で、アリアンヌもリリーティアお嬢様も術が使えたりするわけだが、魔術師として修練したわけじゃないんだから、発動が難しいに決まっている。
しかし生意気にもクリフ王子は、なんでもそつなくこなしていく。
魔具の扱いも、剣術も、学術も得意だ。
ピュアラバ内ではメイン攻略者だから、他のキャラよりも難度が高いけど……、リメイク版ではあの通り性格は悪い。
いや……わたくしだけに、なのかもしれない。何の嬉しさもない。
つまり、今のわたくしは魔具に頼ることなく術を行使しようと練習しているわけで、精霊の祝福もないわたくしにとってこれが本当に本当に難しい。
……アリアンヌや学院のことを差し引いて、レト王子にそう話した。
「ああ――そういう事か。魔界って魔力は多いけど自然がないから精霊の力が少し弱いし、地上は精霊の力が強くて魔力が薄いから、力の引き込み方が違うんだ。考えるより試した方が早いと思う」
レト先生による魔法講義が始まってしまったが、先生はメモリーストーンを調合しながらわたくしに話してくれる。
基本釜に入れてしまえば、一定の速さで混ぜたりするのがメインにしろ……鍋の様子を見て、反応を落ち着かせたりする中和剤を混ぜたりすることもあるのに……よそ見していて大丈夫なのか?
変な煙も出ないし、わたくしが異変に気付けば、いいかな……。
「じゃあ早速。目を閉じて、心を静かにして魔力の流れを感じるんだ」
いきなり難しいこと言ってくる。
「最初は分からなくていいから」
「……はい……」
わたくしは椅子に座ったまま目を閉じ、ゆっくりと深い呼吸を繰り返す。
目を閉じたので何も見えず、耳は……カラカラ、ぱしゃっ、という鍋をかき混ぜる音と、ごくたまにゴーレムくんが石を破砕するような音が遠くから微かに届くくらいだ。
――あ。
「……風もないのに、ふわふわと何かが流れているような……」
「そう。肌の上に風が吹き込むような、体に吸気と一緒に流れ込んでくる、あたたかくて心地よいもの……それが魔力。地上でのやり方や精霊の力は、また今度教えるね」
ちゃんと出来てるよ、と笑顔を見せてくれるレト王子に、わたくしも笑みを返す。
「……そうだ、石の作成を終えたら、近場へ一緒に埋めに行かないか?」
もう少しかかりそうだから、昼食後かなと言いながらレト王子は時計を見る。
10時を少し過ぎていて、わたくしたちは――だいたい2時間近くこの部屋に来ていろいろやっていたらしい。
「え……よ、よろしいのですか?」
「うん。リリーも気になると言っていたし、早いうちにやっておけば行動範囲も広がるだろう?」
それはとても楽しそうだ。
「はい! それでは、楽しみにしております」
席を立って、昼食の準備をしてきますと告げると、よろしくという言葉が返ってきた。
「……じゃあ、昼食後に出かける準備はしておいて。何かあるといけないから、護身用の武器かアイテムも携帯しておいてくれ」
「ええ、それではまた後ほど」
軽く手を振って部屋を出て、自室に急ぐ。
出かける準備とはいえ、だいたいいつも鞄に必要なものは入れっぱなしだ。
一応、動きやすい服に着替えておくくらいだろう。
……一緒に行くと言ってくれていたが、歩いて行くのだろうか。
結構遠いけど、ウォーキングだと思えば良いかな。
その辺も楽しみにしつつ、わたくしは気持ち軽やかな足取りで部屋に戻っていった。