「リリーさんは言いだしたら聞かないんですね」
 やれやれと呆れた様子で上着を羽織るエリクに、うんうんとレト王子は何度も頷く。
「それを諦めさせることが出来ない自分に、まだ甘さを感じる」
 レト王子もエリクからローブを借り、従者のような格好になりながら悲しげな顔をしていた。
 それは違う。レト王子は魔界に戻ってからとても、とても……わたくしの説得を頑張った。
 魔王様の前でわたくしがまた何か人間を引き込もうとしていると告げ口……じゃない、報告したので魔王様の『リリちゃん?? どうして別の男を惑わせるの? レトゥハルトの闇を早く目覚めさせたかったから?』という、やべーやつっぽい尋常ならざる闇がこもった瞳を向けられたものだ。
 レト王子はその後も諦めず、わたくしの横に座って『リリーのことが心配なんだ』と言いながら魔王様の見ている前で切なげにわたくしの頬に手を置くと撫でさすり、密接・密着するという色仕掛けまでやってきた。
 親も止めようとしない。やめなさいとも言わない。
 異性には大胆かつ激しい愛情表現を行うよう教えたのだろうか。
 幸いにもわたくしがガキんちょだからなのか、魔導の娘補正なのか、そこは不明だが……レト王子のあからさまな魅了の効果は多少薄いようで助かる。
 だが、それでもこちらだって無傷ではない。
 美少年から近づかれたら激しく照れはするし、動揺もする。
 心臓もドキドキしてしまうのでやめていただきたい。
 レト王子が涙を浮かべて『心配だからやめよう』と説得してきたら、負けていたかもしれない。危なかった。
 いったいあと何年わたくしの心臓が持つことやら……。
――……結局。傭兵を雇おうという提案をしたものの、エリクが言うにはディルスター周辺の村に傭兵ギルドというものもなく、テシュトにそのまま乗り込んだ方が早いという結論になった。
 我々は巡礼中の修道者と術士っぽく装備を擬態している。
 エリクが自前の外套を羽織っている間に、わたくしは貸して貰ったストールを頭から被って髪や顔を隠し、使い捨ての攻撃アイテムや回復ポーションを鞄に詰め込む。
 これは万が一の護身として入れているわけで、いざとなったらレト王子の魔法にまた頼るしかない。
 テシュトはディルスターから東、山を二つ越えた先にある。
 行ったことがないのに、レト王子に地図を見せて転移をお願いするので、誤差が出るかもしれない、とは注意されていた。
 転移された場所は、切り出した山の斜面に長い足場が幾重にも頑丈に組まれ、固い岩盤を打つ金属音が響くような場所だった。
 山には地の底へと飲み込むような暗い穴がいくつもぽっかりと空いており、トロッコの線路が縦横無尽に敷かれ、どこからか作業者の大きな声も響いてくる。
……きちんと、テシュトだったようだ。
「ここで大丈夫みたいですね」
 エリクがレト王子に首肯すると、土地勘がないレト王子は無言で頷いた。
 明確な返事ではなかったが、無事に到着して安心しているのがわたくしにも分かる。
 至る所から黒煙が長い煙突から黙々と吹き上がり、空気は油っぽく、そして汗臭いという……はたらく男の街。
 ここを行き交う人間は炭鉱夫であろう、ノースリーブに長ズボンという格好の人が目立つ。
 顔や服についた汚れを気にせず……というか気にしたところでなんなのか、とでもいうくらい、身だしなみには気を遣っていない。仕事中だものね。
『街』なんて大層についているけれど、粗末で吹けば飛ぶような掘っ立て小屋や、とりあえず布で屋根つけました的な屋台が多く連なっていて、狭くて雑多。
 食事の屋台もあるけど、油っぽい空気に乗って様々な匂いが混ざって、美味しそうとは感じられない。
 ラズールのように店構えも丈夫で清潔そうな感じがしないから、余計嫌だなあと思ったのはある。
 道の舗装もされておらず、誰もが砂利道を踏みしめて歩いている。
 しかし……こんなひどい職人街だというのに悲しいかな風雨は凌げるし、食べ物もあるので魔王城よりはずっとマシなのが泣けてくる……。
「早速ですが……早いところ、傭兵を探しませんか」
 エリクが周囲の店を探しながら提案し、酒場を探す。
 ピュアラバ無印版に傭兵という制度が……あったことにはあった。
 だが、アリアンヌのパーティーメンバーとしては機能していなかった。
 なぜなら、ゲーム自体は学院からスタートするわけで、学院の部外者は攻略対象にいない。
 パーティもある程度は序盤からクリフ王子など主要な構成が決まっていて、イベントや好感度によって加入メンバーが最大6人まで増える。
 なぜ6人かといえば、主人公アリアンヌを含め、攻略対象キャラ5人フルで上限だからだ。
 もちろんそこにリリーティアお嬢様は含まれない。
 彼女は序盤から戦闘実技とかはいったいどうしていたのだろう。
 そこは可哀想に描写されない。ライバルの情報など不要だからだ。
 というわけで、傭兵や冒険者なども設定としてはいたようだが……わたくしも初めましてなのである。
「ギルドがないところでは、だいたい酒場で仕事がないか聞いているはずです。ディルスターは酒場といえるような大きなものはありませんでしたから、わたしも交渉とかは初めてですけどね」
 街を歩きながら酒樽の絵がついた……酒場らしき場所を見つけ、甲高い音を立てて軋む扉を押し開けながら中に入ると、酒を飲んでいた男達の目が一斉にこちらに向いた。
 レト王子はビクついたわたくしの手をそっと握ってくれ、エリクの後に続く。
 わたくしのようなロリキャラにでさえ、男達のねちっこい視線は向けられるのだ。そして――レト王子にも。
 先頭を歩くエリクに向けられる視線は、好奇や下劣そうな……そういうものを含む。
 見るなと叫びたいだろうに、エリクは……詳しくご説明するのが憚られるくらい、様々な憶測を含む視線に晒されて酒のアテにされている。
「……いらっしゃい。注文は」
 酒場のマスターがぶっきらぼうな口調で、値踏みするような視線をわたくしたちに投げる。
「薄い蜂蜜酒を3つ」
 エリクがそう頼むと、マスターはわたくしとレト王子をちらっと見て、傷だらけの小さいグラスに蜂蜜酒を注ぎ、一応スパイスらしきものと果物の切れ端を入れてくれた。
 わたくしは一番下だからいうまでもなく、全員お酒が飲めない。
 そんな飲めないモノを買ってどうするのか……いや、そりゃ、手ぶらで店に滞在なんて出来ないけどね。
 交渉もエリクにお願いするしかないのだが、はたしてきちんと相手にしてもらえるだろうか。
 支払いを済ませ空いているテーブルに移動すると、エリクがグラスの上に手をかざす。
「なに……?」
「酒の成分を水に変えているんだ」
 アルコール成分を抜いてくれているというのか。ほぼジュースになるじゃない? ありがたい……!
 エリクは他の席にいる男達から見えないよう全員の飲み物に手をかざしてくれて、もういいというように頷くとぬるい蜂蜜酒に口をつける。
 わたくしもこわごわ飲んでみた……蜂蜜というから凄く飲みやすいのかと思いきや、甘みは少ない。
 飲みやすさはほぼフルーツと香辛料のおかげだ。
 そんなものでも喉は渇いていたからグビグビ飲めそう。
「……酒場って思ってたところと違いますわね」
「特にここはそうだろうね」
 ひそひそとエリクと話す。
 あまり他の座席の人をじろじろと見るわけにはいかないが、傭兵っぽい感じの人はいない。
 どう見ても作業員とか買い付けのおっさんだらけだ。
 うーん……ハズレだったか。
 先ほどからレト王子がそわそわと身じろぎしているので、どうしたのかと問えば、変な視線を感じて居心地が悪いと言った。
 レト王子は顔とお尻にただならぬ視線を時折感じ、恐怖で神経を尖らせている。
 わたくしよりも身の危険を感じておられる……。
 たぶん、この美少年に性別は大きな意味を持たない。
 荒くれ者達にどういう目で見られているか、この純朴な少年に教えるには酷すぎる。
 年齢制限モノだから言えないし、わたくしのかわいいレト王子に手を出したら、あらゆる手段やアイテムを使ってでも抹消するしかない。
 ここで傭兵を探そうとするには無理があったかもしれない……そう思って視線をテーブルに戻すと、見知らぬ男が近づいてきたのが分かった。
「悪ィ、一人なんだ。空いてるならここ、いいか?」
 けだるげな声の主は、エリクと同じか少し上くらいの男性だった。