わたくしたちの目の前には――金髪翠眼の美男子と、水色の髪のメガネ男子がいた。
誰だろう……? 記憶をなくす以前の知り合いだろうか。
リリーティア、と呼び捨てにできる程度には親しかったのかしら?
だいたい、こんな少年たちなどゲームにいたっけ……。
そう考えたとき、わたくしの脳内に該当する男子が2件ヒットした。
無印のメイン攻略者、クリフ……クリフォード・ディタ・フォールズ王子。
そして、じゃあ、このメガネは宰相の息子……マクシミリアン・アラストルか。
えっ? えっ? なんでリリーティアお嬢様を知ってるの??
確かにローレンシュタインに爵位がある以上、どこかで繋がっているのかもしれないけど……。
しかも、彼らと出会うのは学院生活中では?
ていうか、わたくしも彼らをじっと見つめてばかりはいささか不敬すぎる。
ぎこちない笑みを向け、わたくしはお二方に『失礼ですが』と声を絞り出すまでに5秒くらい……短いが、体感では長い時間を要した。
「……人違いではございませんか?」
そう告げると、にこやかにクリフ王子はそんなはずはないよと口にする。
「きみみたいに綺麗な婚約者の顔を忘れる薄情者じゃないよ……伯爵家から破棄を嘆願されているけれど、ね」
「は……?? 婚約者? そんなわけがありませんわ! この顔を褒めて頂いた事に感謝は致しますけど、わたくしはあなたの事を存じ上げませんし、婚約なんてした覚えもありません」
実際無印では、クリフ王子に婚約者いなかったじゃない!
は? じゃあなによ、リメイク版はクリフ王子とリリーティアお嬢様は婚約者ってわけ?? マジで?
じゃあわたくしは、この世界で目覚めてすぐにメインルートのフラグを自分でへし折ってたってこと?
えーと、でも、魔導の娘は……そっちの正規版攻略ルートとは関係ないっぽくない?
わたくしが混乱していると、クリフ王子はマクシミリアンと顔を見合わせて、本当みたいだねとひそひそ話している。
「ローレンシュタイン卿から、きみは、その……少しばかりおかしくなって、自分のことをあまり思い出せないと聞いた。婚約の破棄を持ち出してきたばかりじゃない……『リリーティアという娘もいなかった』とまで仰って、それに――……魔物を操っていたとか何とか……その責任を大層重く感じていらっしゃったよ」
「ッ……、魔物を操るなんて、わたくしに出来るわけありませんわ! あのクソメイドが誤解したのです……あら失礼」
ついクソメイドと言ってしまい、言葉の悪さに貴族のお二人は眉を顰めた。
「でも……メイドが、とはこちらも言っていないのに、よくわかったね。当事者でもなければ分からないよ」
「うっ……」
言葉を詰まらせ、墓穴を掘って怯んだ様子のわたくしに笑みを浮かべながら、クリフ王子は傍らのレト王子――魔王の息子なんだけど知るわけがない――をじっと見た。
「……きみは?」
「……人に名を尋ねるときは、自ら名乗るという礼儀がなかったかな?」
レト王子の落ち着いた声音。
この国の王子に名を尋ねるなんて、といった感じでクリフ王子は鼻白んだが、言っていることはまぁ……正しいので、クリフ王子はムッとした顔を消し、ぎこちなくよそ行きっぽい顔を作っている。
「失礼。このフォールズ王国の第一王子、クリフォード・ディタ・フォールズだ」
「…………レト、という」
レト王子はわたくしをちらりと見た後、略称だけ答えた。
自分の地位を隠すことにしたようだ。うん、それでいいと思う。
「じゃあレトくん。きみの傍らにいる方が、この国の伯爵令嬢だというのはご存じかな? ただの可愛らしい女の子ではないんだよ」
「――正しくは伯爵令嬢……『だった』ですわね。わたくしには帰る屋敷など、この国にはございません」
毅然とした態度で告げると、クリフ王子は嘆かわしいと額に手を当てた。
「わがままではあったが、あれほど聡明で勝ち気なきみが……今やそんなみすぼらしい質素な服を着て、どこの馬の骨とも知らぬ貧相な男とその日暮らしをしているとは……!」
やっぱりお嬢様はわがままだったんだなとか、そういう情報を仕入れることは出来たにしろ……聡明なる知識を受け継げなかったのは痛い。
「リリーティア。久しぶりにお会いしたけれど、きみの気高さはまだ失われていないようだ。きみが本当に怪しいことやいかがわしい事をしているというのなら、婚約破棄の話は承諾するほかないけれど、まあ……そうだね、このままでは……そういったことになるのも時間の問題かもしれないね。きみのお父上もさぞ胸を痛めているに違いない。さあ、僕と一緒に王都に戻っておいで」
「お断りですわ。わたくしはあの家の者ではございませんし、婚約の破棄? ええ、ぜひともお願いしますわね。わたくしに婚約者は不要です」
だいたいそんな暇ないし、婚約者なんか勝手に作られては困る。
確かにクリフ王子は顔がいい。でも、別に推すほど好きではなかったし。
何より、わたくしには魔界を復興する大義があり、レト王子も支えてくれる。
……そこは逆ね。レト王子を支えるわたくし、だ。
しかし、当然頷くと思っていたわたくしがあっさり婚約破棄しろと言ったことに驚いたのはクリフ王子だ。
「……リリーティア、なにを……?! 婚約破棄だよ? 王家と結婚……」
「何度も言われなくとも聞こえております。聞いて理解しているからこそ、破棄してほしいとお願いしているのです。既にそのように話が纏まっているのでしょう? わたくしには好都合ですわ。もう一度はっきりお伝え致します。婚約破棄の手続きをそのまま続行してください」
ありえない、と呟いてクリフ王子は軽い目眩でも覚えたのか、ふらりと後ずさる。その肩をマクシミリアンが支えた。
「クリフ王子がお疲れのご様子ですわよ。お連れした方がよろしいのではなくて?」
マクシミリアンにそう告げると、彼は困惑した顔のまま、水色の瞳をわたくしに向ける。
「それは貴女の本心なのか、リリーティア……?」
「ええ。誰に吹き込まれたでもなく、わたくし自身の心からの願いです」
ふっと笑うと、嘘だ、とクリフ王子はわたくし達を睨み付ける。
「嘘だ……そんなはずはない! リリーティア、貴様は僕に恥をかかせようとでもしてるのか? いや、貴様が、彼女に何か吹き込んだのだな……!」
そうして隣にいるレト王子に視線を向け、汚らわしいと侮蔑の言葉を浴びせてチッと舌打ちした。
あれっ、なんでそうなるの?
というかこれは……とても高貴な者の所作ではない。マクシミリアンも注意しとけよ。
レト王子を侮辱するなんて、ガチ勢のわたくしを怒らせようというの?
魔王様に消し炭にされたいというのかしら? きっと喜んで消し炭にしてくださるでしょう。
それをわたくしがスライムに食べさせてさし上げましてよ。
あれっ? わたくし凄くムカついてる? なんで?
……レト王子が侮辱されたからだ。では、あれか……わたくしの推しはレト王子なのか?
まあ、間違ってはいない……かわいいしかっこいいし……将来のお顔も楽しみだ……。
「聞いているのかリリーティア!」
クリフ王子が声を張る。
「えっ、あ、はあ……」
「なんだその返事は!」
うっさいなー、こっちは考え事してるんだよ。
だいたいねぇ、クリフ王子。
無印版でリリーティアお嬢様に浴びせた断罪イベントセリフのことだって忘れてないからね?
愚鈍とか卑劣とか、愛想が尽きたとか言いまくっていたでしょうに。
そりゃ、実際にリリーティアお嬢様は、悪事に手を染めていらっしゃったけど……アリアンヌが男にしか泣きつかないから余計に酷くなってんだよ! そこはリリーティアお嬢様に果敢に立ち向かっていけよ!
ビンタ合戦でもして泣かせるくらい頑張って欲しい。
まあ終盤アリアンヌの能力値では、確かにリリーティアお嬢様などワンパンで倒してしまうのだが。
本編で描かれてないけど、リリーティアお嬢様は……クリフ王子が大好きだったのかなって思うわけよ。
じゃなかったらいちいち、クリフ王子の時だけ意地悪増えないと思うし。
でもさ、きっとリリーティアお嬢様も、クリフ王子がこんなに嫌な性格をしているヤツだったと分かったら幻滅すると思うよ。
嫌味でもまだツンデレ錬金術師エリクのほうがマシだよ。
わたくしが何も言わないので、クリフ王子はご自身にとってご都合よろしいように取ったらしい。
にやりと笑い、まあいい、と呟いた。
「……リリーティア。僕だって冷血な人間じゃない。もしきみが泣いて頼むなら、ここで再会したのも二人の関係を修復するため、運命が導いたことだ。僕が伯爵に口添えして、元通りにしてあげても良いんだよ?」
なにいってんだこいつ?
何故か勝ち誇った顔をされている。急にむかっ腹が立ってきた。
――お断りだっつーの。誰がお前みたいな性悪と結婚したいとか思うわけ??
わたくしは魔王親子を養うのに忙しいんだよ。
その上、こんな勘違い男の面倒なんか見てられるかっての。
「どうしたのかな、リリーティア。さあ。言いたいことがあるのだろう?」
あ、この顔絶対わたくしが復縁をしたいって言い出すと思っている。
怒りを通り越して呆れてくる。だめよリリーティア。
気を抜いたら笑いまで飛び出しそうなのよ。
感情を必死に堪えるため、ぎゅっと握った手がブルブルと震えた。
ここであの綺麗なお顔をこの握りこぶしでブン殴ってやったら、どれほど気持ちが良いだろうか。
……あーあ……熟練度上げておけば良かった。
「そんなに顔を真っ赤にして……。ああ、可哀想に。さぞ惨めだろうなあ……でもね、きみにとって夢にまで見た、僕の妻になることが出来るんだ。そんな男など気の迷いで選んだんだろう?」
わたくしを眺めてどこか恍惚としたような顔をしているクリフ王子。
あ、もーこんなナルシスト無理だ。こいつを殴ろう。
スッと心の中で何かが固まった瞬間、それを押しとどめるかのようにレト王子がわたくしの前に立つ。
「……惨めなのは貴様の心のようだな」
レト王子がクリフ王子を『貴様』呼ばわりしてわたくしの手を握った。
「リリーも運がないな。こんな心の汚い男の婚約者にされていたとは……。良かったじゃないか、理由はどうあれ破棄されるんだ。もう忘れたほうが良い」
「……聞き間違えたかな……? 僕が惨めだって? きみは自分の言うことが分かっているのか? この国の王子だぞ、僕は……!」
クリフ王子の冷笑が、歪められた。ああ、これは普通に怒っている。
「レト……」
「いい。こいつは嫌な奴だ。自分の都合良い解釈しかしないし、女を苛めて笑っている」
それについては否定できない。
レト王子だって普段の優しいお顔ではなく、クリフ王子を見据える目には、明らかな侮蔑が浮かんでいた。