ディルスターでエリクに錬金技術の相談をしながら調合材料のリストを作り、ラズールでハルさんに改良した魔力水――濾過した魔界の水……効果は変わらないが、色がほんのりピンクに色づいている――を規定量封入した瓶を毎回15本卸す。
あのドギツイ赤水じゃなくなったことに落胆したハルさんだったが、透明感のある薄いピンク色、という可愛さのほうが結果的に客受けは良いらしい。
瓶が無骨だったので、赤い染料で色づけした商品価値のない水晶をコルクの上にくっつけ、ビンに飾りのリボンを結んだことで、なんだか見た目も少し良くなった。
商品の効果は同じなので、ただ手間だけ増えているけど、その甲斐もあってお客さんの反応も上々らしく、入荷しても半日足らずで売り切れるらしい。
入荷量を増やして欲しいとのことだが、それは出来ないと断っておいた。
いくらでも水を汲むことは出来るし、濾過するのも全く難しくはない。
けれど、秘術を使っている(ということになっている)から、せっかく商品に出来た希少価値を安売りしてはいけない。
希少だからこそ欲しくなり、評判を呼ぶものでもあるからね。
そして、ハルさんにも子供が商品を卸していることを黙っておいて欲しいとお願いしてある。
彼女は快く受け入れてくれて、こうしてわたくしは日々情報と資金を貯めていった。
そう。お金のこと。大事なことを記しておこうと思う。
ピュアラバでは、通貨単位が『ゴールド』というが……。
しばらく暮らしていると『1ゴールド=銅貨1枚』である、というのは分かる。
でも『1ゴールド=1円』ではないという基本的なことと、1ゴールドという価格が想定より高いことに気付きはじめた、というほうがこの場合正しいだろう。
そう思い始めたのは、魔王様お手製の魔具を頂いてからだ。
ハルさんたちのショップではゴールドで書かれている。
ゲーム内ではゴールドのほうがユーザーに可視化しやすいというメタ部分があったせいかな。
ここの世界は中世ヨーロッパくらいをモデルにしている割に、現代でもイケそうなかわいくて美味しいスイーツや豪華な食事、お茶がたくさんある。
オシャレやら合成やら贈り物やら出来て……多分自給率が100を超過してるんじゃないかっていうくらい、市場にはモノがあふれかえって、こちらもまた飽食の時代のようである。
そもそも(経済規模も発展し、海外の輸入に大きく頼り、人件費やら必要経費関係で国産品の方が高いっていう)現代日本と、ピュアラバという(経済がメインではない、ゆるふわスイーツ恋愛ファンタジーの)乙女ゲー世界を比較するのがイカンと思う。
残念ながら、ファンタジー警察班が黙っていないような、そういう細かいことは考えられていない。多分。
貨幣価値の算出用のデータもなければ、そんな分野の専門家でもないので出来そうにない……ということで、わたくしはそんな計算を止めようと思った。
しかし、これから収入や支出の帳簿をつけるにあたって、この世界での価値や価格は分かっておかなければいけない。
魔王親子に聞いても、地上で買い物をしたことも、考えたことも無いから分からないと仰るので、致し方なくわたくし一人、間違っても修正できないという孤立無援のガバガバ計算をするのである。
帳簿をつけていてもピンとこないので、どうしても慣れ親しんだ日本円基準に考えてしまうのが良くないところだ。
例えば――パン。
現代日本のパン屋さんで食パン(生食パンとかいうリッチタイプではないスタンダードのもの)を買うと一斤300円……だったとしよう。
まあ場所によっては素材・場所代・人件費とか乗って、もっと安いとか高いがあるかもしれないけど、例として300円とする。
ラズールの一等地にあると思われるレト王子お気に入りのパン屋さんは、10ゴールド表記である。
この価格は、文字が読めるレト王子に教えて貰っていた。
今は魔王様のお陰でわたくしも読める。
そう……『10ゴールド』は、銅貨10枚。
つまり銅貨1枚=1ゴールド≒30円かな、と一応算出した。
普通に1ゴールド30円??
安すぎると思って多く支払うと、こんなにお金要らないと返却される。
パン屋さんから見れば、わたくしとレト王子は顔が良いのに、ただのお金数えられない子……になっていることだろう。不憫極まりない。
だから最近パンが袋に多く入っているんだな……。
次に、市場で朝一しぼりたて牛乳(1ビン。多分600mlくらい)を買うとする。
銅貨5枚だ。じゃあ150円くらいかな? うーん、安い気がするけどまあいいかな? と思うだろう。
そこで、美味しそうなオレンジを露店で買おうとする。
オレンジはひとつ1銅貨。10個買うと言ったら……なぜか7銅貨にまけてくれた。
まだ8銅貨とかならサービスかな、得したなあ……でギリギリ済むだろう。
腐ってない、大きくて品質の良い美味しそうなオレンジが10個で7銅貨だ。
10個で300円相当とは……農家からの買取も、運搬費も場所代も人件費も。全部込みで大丈夫なのか……そう心配になる。
もしや魔導の娘補正なんじゃないか、実は魔王様から頂いた魔具が割引価格を発動するのではないかと心配になったので、試しにレト王子にオレンジを7個買ってもらって……も、7銅貨。
もう少しまけて6ゴールドにしてくれと交渉してもダメだと言われるのだ。
10ゴールドを何故か7ゴールドにオマケしてくれるのに、基準が分からない。
これは顔の良いレト王子や魔導の娘補正の入っているわたくしたちにだけ起こっているのではない。
知らないおじさんやお姉さんが買い物をしても、そうなのだ。
だから、魔王様の魔具が割引価格で表記してくれたわけでもない。
では逆に20個になると14銅貨なのかな……? とも考えたけど、こんな検証のために、既にオレンジばっかり17個も買ってしまっている。
実際どうなのか気になるが、現状で毎食オレンジが出ることが確定なので、37個になる前に――この店の商人さんの機嫌によるもの、として断念した。
結果、適正価格が分からない。
いくらなんでもパンは価格破壊の大惨事である。
お財布機能も兼ねているマジカルカバンは、異次元にでも繋がっているのか、大量の貨幣を入れていても全く重みを感じないし……お金も必要枚数がすぐに取り出せるし、かさばらないのだ。
そこは魔術の神秘、としかいいようがない。
ドカ買いしたオレンジはエリクに持っていこうと思うけど、それでも食べきれない。
彼のご近所さんにも配ろう。
そう思っていると、いつぞやわたくしの弓の訓練を見ていた女の子がいたので、呼びつけて3個あげると女の子は当然ながら驚いていた。
さっき買ったばっかりだから味は分からないけど、毒とかじゃないから良かったら食べて頂きたい。
そう言うと、女の子はありがとうと何度も礼をして走り去っていく。
名前をまた聞きそびれてしまったようだ。
ディルスターに転移して貰い、エリクへの挨拶もそこそこにオレンジを渡した。
「なんなの、これ……土産?」
当然ながら、なぜオレンジをこんなにくれるのかと怪訝そうな顔をされる。
しかもわたくしはオレンジのことに答えず、彼に突然『地上で生活していくには一年間でどれくらいのお金が必要か』と尋ねると、彼は棚にオレンジを置きながら難しい顔をする。
田舎でありながら錬金術師が多く住むディルスターと、高めの商品が多く集まる都会のラズールでは、良くも悪くもかかるお金が全然違うのである。
人の賃金や年収は知らないけれど、自分でいえば住むところ(持ち家ということかな)があって、贅沢しなければ銀貨450枚から490枚くらい、という。
材料費はかなり家計を逼迫するし、作物が不作の時や借家だと、もう少し掛かるそうだ。
ちなみに大きい順から金貨1枚=銀貨10枚。
銀貨1枚=銅貨100枚、ということだ。
エリクの年収が銀貨470枚として、大まかに一ヶ月だと銀貨が約39枚=銅貨3900枚、一日生活するには銅貨130枚くらい必要になる。
だいたい朝から夕方くらいまで働いて、一日あたり銀貨1.8枚くらいがエリクの労働価格(完全出来高制・変動有り)らしいので『毎日働かずともそれなりに余裕が出来る生活』ということも分かってきた。
最初から錬金術師のエリク様に聞けば良かった。
そう考えると銅貨10枚のパンは安くはない、という気もする。
銅貨5枚の牛乳も、7個で7銅貨のオレンジもまあ……パンからあまりかけ離れてもいないので、そんなとこなのかな、という評価に落ち着く。
つまりエリクが一ヶ月暮らすのにだいたい4000ゴールドくらい必要って事――……なのだが、わたくしはそれを理解してサッと顔を青ざめた。
――……待って。魔界の水、高すぎない……?
最初に手にした収入で、まあいいかな~ウフフ程度に考えていた、わたくしの思い違いは甚大だ。
魔界の水を1本売った収入で、エリクは約8ヶ月近く、ほぼ不自由なく暮らせる。
日本円に換算してもしなくても、この事実だけで充分だ……。
そしてどうやらアイテムショップは……庶民が買うには高すぎるんだ。
確かに魔術や錬金術は専門職。材料も莫大に掛かるとも言っていた。
合成手数料だって、一日の労働費の大半が吹き飛ぶくらいである。
なにも安くなどなかった。
ハルさんが、これくらいの代金なんて宝石屋さんに比べたらウチなんてどうということはない、と普通に言い放っていた。
宝石ってどれだけ高いんだよ。それをジャラジャラ買うなんて貴族さすが貴族。
こうなってくると、金貨なんぞ持っていても一般生活で使いどころがない。
そんなもの庶民は持つ必要がないとエリクが教えてくれた。
なるほど、お金持ち用か……ハルさん、代金を金貨でくれるんだよな。
お金持ってる人しかしない取引なんだから納得だよ。
今更ながらに、大変な額を手に入れたようだと知ったわたくしは、もう一つ鞄を買ってお財布機能を貯蓄用に分けておこうと思った。