魔界に戻るとすぐに……本当にすぐ、レト王子に急かされるまま、あたたかいパンと牛乳、フルーツを皿に盛って魔王様に食事をお出しする。
「……すごい豪華だなあ。見たこともない料理があるぞ!」
魔王様から子供のような歓声が上がった。
「焼きたてパンというものを早く召し上がって貰いたいと、店に足を運んで焼きたてを持ってきました!」
ニコニコと嬉しそうな王子に、魔王様はパンを持つとまた歓声を上げる。
「なにこれ! すごいあったかい! ふっわふわ!」
「そうなのです!」
「んっ……うまぁあーい! レトゥハルトはもう食べた?」
「あ、以前食べたことが……」
「今食べてごらん! ほら!」
「失礼して……んむっ……。んっ、あったかくて美味しい……!」
親子に喜びが満ちている。
なんだ、この尊さは。魔界が浄化されてしまうぞ。
パン一つでこんなに喜んでいるさまを、パン屋さんに見せて差し上げたい……。
本当にかわいい親子……食にこんなありがたみを感じて食べてくれるなんて、いまどきなかなかない。
尊すぎて見ているだけで涙が零れそうだ。拝んどこ。
この二人の笑顔を守るために、わたくし頑張る……!
だいたいねえ。過去の戦乙女達が正義厨だから、魔界がこんなに苦労してるんだっつの。
……いや、仮に魔王を倒してそのままクールに去られたとしても、結局食の事情が残るんだ。
戦乙女のせいじゃなく、結局レト王子はスライム食だったかもしれない……。
「あー……おいしかった……ありがとうリリちゃん、レトゥハルト」
「光栄です……」
そういえば略称で呼んでいたし、拝んでいたから忘れてたけど、王子レトゥハルトっていうんだった。
魔王様にありがとうと言われて、王子は嬉しさを噛みしめながら片膝をついて深く頭を下げた。
んぐぐ……かわいいよお……動画撮りまくりたい……魔王様親子の記録を撮りたいいぃ……!
スマホがないのが残念だ。
あったところで容量も足りなくなるだろうし、充電できるかも怪しいけれど。
「で、リリちゃん。ぼくが言った材料の調達、進んでるの?」
「あ……ええと、狼の手から取った爪は集まって……虹色の粉もさっき作ってきたので、あとは尾羽だけですが、明日また錬金術の村に行くのでそこで入手する予定です」
あと、ついでに錬金材料の採取もしよう。
ポーション用のリザーの葉はいっぱい欲しい。
すると、順調だねぇと魔王様は目を細めた。
「これからですよ父上! リリーはたくさん我々にヒントをもたらしてくれたのですから!」
そう言って王子は自分が錬金術を勉強し始めたこと、今日のことなどを嬉しそうに報告する。
「そうか。リリちゃんはいろいろなモノを買い与えてくれたのだね。ああ……なんてぼくらはふがいない……でも、誰かの優しさがこんなに嬉しいと感じるなんて、いったいどれほどの年月が流れていたのかなあ……」
「魔王様……」
くっと目頭を押さえる魔王様に、わたくしもつい目元が潤む。
お茶を淹れてあげたいけど、茶葉もティーセットもなかったわ。
何もないと入り用のモノも増えて困るわね。
「一応忠告しておくけど、リリちゃんは人間だから我々より壊れやすい。あまり無理はしてはいけないよ」
魔王様はそういってねぎらってくれた。
「ありがとうございます。あの、やはり魔族と人間では、体の耐久力というか……能力が違うのでしょうか」
「そうだよ。ぼくらは比較的頑丈に出来ている。リリちゃんはいっぱしの男に剣で斬られたら、体柔らかいからすぱっと切れて死んじゃうでしょ。ぼくらは何発か耐えられるからね」
そういうものなのか……それなら確かに、気をつけておこう。
「それと、もし魔族と繋がっていると一般に知られたら命を狙われることもある。レトゥハルトがいてもいなくても、目立つ行動はしないようにね」
「はい……お心遣い痛み入ります」
「本当なら、部下をつけてあげたり、もっと待遇を良くしてあげたりしたいけど……何もなくってごめんね」
しょんぼりした様子で、魔王様はこんなわたくしにもすまなそうに頭を垂れる。
「そ、そんな。魔王様ともあろうお方が、わたくしごときに頭を下げるなんておやめくださいませ……!」
「リリちゃん、悪いと思ったら謝るのは当たり前なんだよ」
「そうだぞ、リリー」
くっ……この親子、素直すぎて本当に尊い……。
「悪いことをした場合はそれでよろしいですが、魔王様はわたくしに何一つ悪いことはしておりません。ですから、謝る必要もないのです」
「充分悪いでしょ……お部屋だって穴空いてて寒いみたいだし」
「そこは……やむにやまれぬ物資的事情があるので……」
一応、厚手の布で壁は覆っている。すぐ風であおられて、朝砂だらけになって落ちてるんだけどね。
「リリちゃんとレトゥハルトを一緒の部屋にさせるわけにはいかないからねえ。ほんとごめんね」
「俺は別に構いませんが……そうか、寒いのか……じゃあ一緒に寝ると暖かいと思うぞ」
「……女の子が魔界にいなかったから、そういう教育なんかもしてなかったね。レトゥハルトはここに残りなさい」
なんか笑顔なのに魔王様の顔が怖い。レト王子もちょっとビクッとした。
確かに、あげパン囓ったくらいで至福の笑みを振りまいていたら、女の人たちがキュン死してしまう。
ああ、それにさっきは矢が的に当たった嬉しさで麻痺してたから気にしてなかったけど、女の子の手を断りもなく握ったり、さらっと『守るから』なんて言ってちゃいけないな。
うん、きっちり教育をお願いしたい。
一体どんな話するのかは気になるけれど、よろしくお願い致しますと優雅に礼をし、わたくしは居室を後にした。
翌日、レト王子はいつもと変わりなくわたくしに接してくれた……が、時折じっとわたくしを見て、目が合うと優しい眼差しを向けながら微笑む。
「先ほどから、一体……なんなのでしょうか……」
「父上が、リリーは家族みたいな存在だから、微笑まれるくらいには仲良くなれと」
……魔王様が何を教えたのかは分からないが、レト王子のほうからそんなとろける笑みを向けられては直視できないので困る。
この人は多分自分の魅力をお分かり頂けていないが、マジで美形なのだ。
真っ赤な髪と金色の瞳は凜々しい印象も与えるが、美味しいもの食べたら本当に笑顔が可愛くなる。
あと数年すると、わたくしもだけど……もっと見目麗しくなるのだ。
そんな男性が、むやみやたらに甘い笑顔を振りまいてはいけない。
そんなのはスチルイベントだけでお願いしたい……あれ? じゃあこれ、何かのスチルイベントなのかな?
「……わたくしにはいつも通りで大丈夫ですけど、女性へそんな甘く笑いかけてはいけませんよ」
「わかった」
柔らかい微笑みを浮かべて頷くが、それだよ、それ。本当に分かってんのか。
わたくしが重い息を吐くと、レト王子は効かないのかな、と呟いた。
「……何がです?」
「父上が精神呪文を教えてくれて。これでリリーを魅了しろって……あっ!」
自分の口を押さえたレト王子。
このうっかりに感謝しつつ、わたくしはずんずんと魔王様の居室へ向かう。
「魔王様!! レト王子に変なことを吹き込むのを止めてください!」
ドアをノックもせずに、ばーんと大きな音を立てて開く。
またシーツの間から、ピョコッと顔を出す魔王様。
「……へ、変な事って?」
目が泳いでいる。
「魅了の術とかです! なんでわたくしにそんなこと……!」
わたくしがプンスカ怒っているのと、後方でレト王子がしゅんとしているのを見て大体の事情を察したらしい。
「……レトゥハルトめ、しくじったか……」
「はっ。父上、申し訳ありません……次こそは必ずや……!」
ザッ、と砂を踏みしめながら、レト王子がその場で片膝をついて跪く。
「そこは魔王っぽくしなくていいです。だいたい、人心を魔法でどうとかしちゃいけません。これは悪いことだから謝ってください」
「ごめんなさーい……」
「ごめんなさい……」
魔王親子はしょんぼりとわたくしに謝罪する。
とりあえず、なんでそんなことをしたのかを尋ねてみた。
「だって……リリちゃんすごく可愛いし優しいし。魔界なんかにずっと居てくれないんだろうなって……レトゥハルトみたいに顔は良いけどお金と将来性のない王子より、人間の男と結婚するんだろうなって……そう考えたら怖くなっちゃったんだもん……だからつい……」
「……たしかにわたくしも、この顔は可愛いと思っていますけど、だからといって、そんな浮気した恋人の言い訳みたいなこと言われましても……」
困り顔のわたくしと、自分の指を組んでもじもじ話す魔王様を見比べ、レト王子は何か一生懸命自分の意見を言おうとアウアウしていたが……建設的な意見が出なかったのか、考え込んで大人しくなった。
「リリちゃんのこと好きだよね? リリちゃんお嫁さんにしよ? いいよねレトゥハルト?」
「……えっ? う、うん??」
絶対話聞いてなかったでしょ。
「レト王子、適当な返事するのおやめください。あなたの将来ですわよ」
「大丈夫。レトゥハルトはぼくの息子だから、多分本気で恋に落ちたら愛が重たいよ。頑張ろうね!」
愛というかこじらせて病んだものが向けられそうだ。
「魔王様。やめてくださいませ、そういうのは。わたくし12歳だし、今は魔王様とレト王子を食べさせる事を考えていかなくちゃいけませんの。愛だの恋だの言ってる場合じゃないんですわっ! だいたい、誰を好きになるかはレト王子がお決めになることです。ああもう……ディルスター行ってきます。さあレト王子! 今の話はすっぱり忘れて、出かけましょう!」
「わ、わかった」
わたくしたちが扉を閉める前に、魔王様が肩を落としながら『レトゥハルト、頑張ってね』と言っていたが、それがはたしてどういう意味かは聞かないことにした。