「――村の人間が我々の様子を覗いている、そこに隠れているヤツ出てこい……だ、そうだ。噛まれたくなければ姿を見せた方が良いぞ」
レト王子は隠れているであろう人物に向かってそう通訳してあげると、観念したかのように木の陰からスッと出てきたのは……なんとエリクだった。
彼は気まずそうな表情で、君達が、とレト王子に向かって呟く。
「君達がやられてしまうのではないかと思って、後をつけてみたが……君達は一体なんなんだ……魔族? しかも王子って事は……まさか魔王の息子か?」
不安そうに訴えるエリクに、レト王子はそうだと隠すことなく素直に頷く。
「魔界は昔から続いた戦乙女との戦いの影響もあって、今現在も驚くほどの貧困にあえいでいる……地上に出た魔族達は、食と居住を求めてきた哀れな民達だ」
と、レト王子は狼たちを見た後で、再びエリクに言葉を重ねた。
「不明瞭な回答になるが、進んで人間に危害を加えようとするものは、いない……と信じている。実は俺も……地上で暮らす彼らの事情はよく知らない。知ろうとしている最中だ。人間には信じがたいと思うが、俺とリリーは国の復興をしたい。そのため、人間達と争っている暇はない……だから、今回狼たちの件は任せてくれないか。その代わり、うまくいったら俺たちのことを騒ぎ立てずそっとしておいてほしい」
頼む、とレト王子は人間に頭を下げた。
エリクは真偽を図るかのようにわたくしを見る。
「大丈夫です。魔王様は本当に人間と戦う気がありません……」
これは事実だ。戦乙女に喧嘩を売ることはしないといっていた。
だいたい魔界はほぼ亡国なんで、そんなアグレッシヴな事をしている暇はない。
「そしてわたくしは正真正銘人間です。ただ……魔界を導く存在として生まれたようですの。レト王子と出会う半月ほど前のこと。突然今までの記憶を失い、おかしなことを口走ったわたくしを気味悪く思った家族に棄てられ……レト王子は行き場のないわたくしを拾ってくださいました。だから、彼らのために粉骨砕身頑張りたい」
ごめん、少し話を盛った。
だってこうでもしないと、きっとうまいこといかないんだもの。
誰も異世界から乙女ゲーの世界に来ちゃった、なんて信じないでしょ?
「……君達の事情など、わたしには興味ないって言いましたよ」
エリクはそういってため息をつくと、なるほどなと口にする。
「要するにわたしから習った錬金術は国の発展と、魔王の病気を治すために使われる……」
「…………ええ。その通りです」
「おい……」
違うだろうと言いたげにレト王子がわたくしの袖を引く。
「しっ。大体合ってます。魔王様ベッドから出てこないし」
「それはそうなんだが……」
このままいくと、魔王様は病弱で伏せったまま働けない嘘設定になってしまう。
今後あんまり適当なことを言うのは止めよう……と、わたくしとレト王子は頷き合う。
「……錬金術は人類の明星。新たなる霊薬の発見や技術の貢献にも大いに役に立つでしょう。それは認めます。その真意を魔界の住人のほうが深く理解するとは思わなかったのですが」
どこかが、エリクに都合の良いかたちで変換されて伝わったようだ。
「狼を退治するというなら、わたしも同行します」
「えっ」
「君達の言うことが本当か、この村と狼たちにどのようなことをするか、結果を見て判断したい」
監視役ということかな。
「でも、わたくしたち武器を持っていないので、エリクを庇ったり出来ませんわよ」
「……武器も持たずになぜ退治しに行くってなるの? 腕に覚えのある剛の者なのですか?」
どうやらエリクは、普段敬語で応対するようだけど、時折年相応の、キツめな口調になるようだ。
「レト王子が魔法使えますので、それをアテにしようと……」
すると、エリクはしみじみと可哀想な子供を見る目つきになる。
「……しょうがないので、回復と目くらましの補助くらいはしてあげます」
「ほ、本当ですか!?」
「勘違いしないでください。目の前で倒れられては後が大変なんですよっ」
うう、やさしい。あれか、新キャラは嫌味っぽいツンデレキャラか。
わたくしたちはエリクを加え、魔狼三匹に先導されつつ流れ狼たちの元へと足を運ぶ。
しかし、魔狼たちは地上に出てきたのは食と住処のためとはいえ、王族への忠誠心は多少残っているのだろう。
トレッキングが不慣れそうなレト王子がでこぼこ道を進むとき、側へ来て袖を引っ張ったり立ち止まってくれたりとかいがいしい。
わたくしには一応、注意すべし的に『わふっ』と小さく吼えてくれるのだが、エリクが転んでも放置。そこらへんの序列がしっかりしている。
「わっふ!」
「この先だそうだ……ああ、確かに何匹か見えるな」
様子を探るため岩陰に潜んだわたくしたちは、日向でだらしなくゴロゴロしている狼たちを見る。
「……血の臭いがしますね。どうやら、羊は既に食われた。腹も膨れて昼寝でもしているのでしょう」
エリクがそう推測するように、なんとなく生臭いような匂いが風上から流れてくる。
「……行くぞ。よろしくな」
「わふっ」
意気込んでいるのは魔狼たちだ。
王子が頼むと優しく告げると、頭をすり寄せて尻尾を振る。いやーん可愛い。
「お願いしますね」
わたくしにももしかしたら……と思いながら魔狼たちに言うと、ふんすと鼻から荒い息を放つ音だけ返された。
これは、どう受け取れば良いの……? 任せろって事で良いの?
岩陰から出た一頭の魔狼が先に駆け出し、寝そべっている狼たちの中央で吼える。
突然現れた魔狼に驚き、数匹の狼が立ち上がって威嚇しはじめた。
魔狼と普通の狼が吠え立てるので、あたりはわんわんギャンギャンと喧噪に包まれて騒がしい。
「――突然の訪問を詫びよう。狼よ」
王子が二頭の魔狼に付き添われ、ゆっくり進み出ると狼たちに話しかけた。
普通の獣にも言葉伝わるのかな。と思っていると、リーダー格の魔狼が『わふわふ』と言い始めた。通訳にもなるんだな。良い子達だ……。
よく見れば、魔狼たちと狼の毛は全然違う。
魔狼は青っぽい黒というか、そういう綺麗な色合いをしている。
普通の狼たちは黒と白の毛であり、一目瞭然だ。
……まあ遠くから見れば、二つの種族は体躯も同じくらいだし、村に近いところに住んでいるから仲間だと思われるのだろう。
レト王子は魔狼の通訳の元、人間達に手を出して困るのは狼たちだけではないこと、魔狼の狩り場を荒らさず仲良く助け合って生きて欲しいと説く。
しかし、狼はそれはできないと突っぱねる。
人間が手を出さなくとも、自分たちの食事が困ればいつだって食料となる生き物を襲うということだ。それには、人間も場合によっては当てはまるだろうと。
それを聞き、レト王子はどうする、とわたくしとエリクに尋ねる。
「狼たちは極めて利己的だ。魔狼や村のことも理解するつもりはなく、共存の道も考えてはいないそうだ。ここで奴らを倒す……つまり殺すことになるが……そうすれば今回村を悩ませる問題は解決すると思うが」
エリクはしばし悩んだ後、皮肉なものですと呟いた。
「魔狼の仕業だと思ったのに、その魔狼の上司が我々を助けてくださろうとしているとは……」
魔界の狼は義理堅いのだとレト王子が言う。
なるほど、それはわからなくもない。
「この狼たちは立ち退いて……どこか他の地域に去ることもできないというのですよね」
エリクの質問に、魔狼が再び『わふわふ』と狼に聞いている。
相手から短くも厳しい『ガルッ』と返答があった。
「要求は呑まない……らしい。これ以上邪魔立てするなら我々から排除すると言っているそうだ」
「……気は向きませんが、決裂ということですか」
エリクが首を横に振る。
致し方ありませんねと、何かを決意したような口調でレト王子をまっすぐ見つめた。
「退治します」
「…………わかった」
レト王子が頷くと、やりとりを見守っていたらしい魔狼はわたくしたちを庇うかのように一人に一匹ずつ付き、狼たちにうなり声を上げる。
敵意をむき出しにして低く唸る彼らは、やはり恐ろしいと思わざるを得ない。
やる気になったのだと理解したらしい狼も、ゆっくりわたくしたちを取り囲もうと側面へ移動する。
「――疾れ、風よ!」
レト王子が即座に魔法を唱える。
すると、正面にいた二匹の狼が血飛沫を上げて倒れた。
目に見えない風の刃が、彼らを裂いたのだ。
痛々しい悲鳴を上げ、地面に倒れ込んで動かなくなる仲間を見た狼が、狂ったように吼えた。実際、怒っているのだと思う。
「きゃ……!」
「ガルルッ!」
わたくしを狙おうとする狼を、魔狼は体を呈して押しとどめ、時に相手に噛みついたり、逆に噛まれて傷を負いながらも、じりじりと囲いを互いに牽制し合う。
「なんとか数匹ずつまとめてくれると、範囲魔法で狙いやすくなる」
レト王子が再び攻撃で一頭倒すが、覚えているのが範囲魔法のため、周囲に展開されると効率が悪いらしい。
単体技はないのか……魔王様の教えた魔法基準って団体戦の想定なのかな。
「では、これを……」
エリクが小さな石を腰のポーチから取り出す。
丸くてつやつやした赤い宝石のようなものだ。
あれは……火ジェムだ。正式名をファイアージェムストーンという。
それを狼のほうに放り投げ……そう、地面に落ちると砕けて発火する。
魔法が使えなくても同等の魔法が使える便利な使い切りアイテムで、割と重宝する。
売値は安いが買うと安くはない。
狼は発火に驚いて跳びすさると、三頭まとまったところで再びレト王子が風の刃を打ち出す。
「…………これで終わりだ」
突き出した手をゆっくり下ろし、レト王子は倒した狼たちを見た。
「……生き残るため、安寧を得るために戦いを続けるのは……どの世界も同じなのだな」
寂しそうにそう呟き、魔狼たちが敵が死んだかを確認する姿を眺めた。
「……そうだ、爪が必要だったな」
「ああ、そうですね……あと、エリクさん……死んだ狼、どうしたらいいですか?」
「あ、あぁ……だいたいはそのまま朽ちるに任せているかな。森の奥地だし……他の動物がこれを食べるだろうから、心配はないと思う」
では、これはそのまま他の生き物にお願いするとしよう。
爪はどう持って帰ろうかなと思っていると、エリクからナイフを差し出される。
「手を切り取るしかない」
「えっ……」
爪切りがないからとエリクは言う。
そうか、爪切りとかで切り取るのか……今度用意しよう……。
レト王子にやって貰おうかと思ったが、今回は散々働かせてしまった。
わたくしもいい加減彼に頼ってばかりはいられない。
おっかなびっくり狼の死骸に近づき、ごめんねと謝りながらぐっと力を込めた。
「えっ、エリクとこの子達が、狼を退治してくれたのか?」
村に戻ると、さっきの男の人……オズさんを訪ね、狼は倒したとエリクが報告した。
「これです。血も出てますけど……」
わたくしが血の滴る袋を差し出し、切り取った狼の手を見せると、オズさんも納得したようだ。
耐水加工をされた袋がなかったので、エコバッグ的に持ってきた布の袋を使っている。
洗濯して血が落ちなかったら棄てよう。
でも魔界の川の水は赤いから、逆に赤く染まったりするかもしれないわね。
「ありがとな、エリク」
「はい。丁度作ったジェムストーンの威力も試したかったので……」
「これで安心できる。ああ、ぼうずとお嬢ちゃんもありがとう」
「あと、もう一つだけ……実は森の中にいる青黒い体毛の狼が三匹いるのですが、それらは村を襲った狼ではなく、おとなしい別の種類のようです。人間が危害を加えない限り手を出さないようなので、手出しは避けて欲しいのです」
エリクがそう説明してくれる。
魔狼たちも、なるべく人間の前に姿を見せないよう深い森の中で生活すると言ってくれていた。
レト王子は、もしも魔界に森が出来て生き物が住めるようになったら戻ってきて欲しいというと、食事もなんとかなれば必ず、ということだった。
「向こうが何もしないなら、いいんだが……わかった、村長に伝えておこう」
「良かった……ありがとうございます!」
「ありがとう、ございます……」
わたくしに習って、レト王子も村の人に頭を下げた。
偉い人なのにきちんと頭を下げることが出来るレト王子は本当に偉いと思う。
「あ、あのっ……、それで、もうひとつお願いがあります!」
「ん?」
オズさんはわたくしに顔を向けた。耳を傾けてくれるようだ。
「あのっ、村にある合成釜、わたくしにも売っていただきたいのです!」
「合成……ああ、錬金釜か? そんなもんが欲しいのか。うちの爺さんが使ってたやつなら倉庫にあるぞ」
「ほ、本当ですか?! ぜひ……あっ、お代ならちゃんと」
「いいよ金なんか。割とでっかいから幅取って邪魔だったんだ。引き取ってくれるんならありがたい。ちょっと待ってな」
オズは自分の家にとって返すと、しばらくして40センチくらいの丈夫そうな金属製の合成釜を持ってきた。
で、でかいぞ、これ。確かに持て余すのも分かる。
「これなんだが……持てるかい? 重いよ?」
「う、ぐぐ……リリー、一緒に持ってくれるなら運べる……!」
さすがに栄養不足のレト王子一人の腕力では無理だ。
鞄に詰め込んでみようと口を開いて釜をぐいぐい押してみると、ずるるっ、と吸い込まれるように入ったので、この袋は買って良かったと心から思う。
ただ、出すときコレ大丈夫なのだろうか。
「冒険者用の高級鞄を使っているんですね」
「これがないと、いろいろな物を買いに行くとき持てなくて……」
要するに買い込むので両手に抱えるには辛いからだが、エリクはまた不憫そうにわたくしたちを見る。
これはまた何か勘違いした。
いや、わたくしもレト王子が喜ぶたびに切ないような不憫さを感じるから、きっとエリクもそうなんだろう。
改めて村長の家に行くというオズさんにお礼を言い、別れたところで……ひとまず一端帰ろうとレト王子が言った。
「……あのような戦闘が次にまたあったら、俺はリリーを守れない。ここは装備を先に整えておかないか?」
大いに賛成だ。血の滴る袋をぶら下げたまま徘徊したくない。
それに、レト王子はこんなヒョロゴボウのくせに、わたくしを守ろうと考えてくださったなんて……なんて紳士なの……。
わたくしは頷くと、ゴボウその2であるエリクにもう一度感謝の言葉を告げ、切り上げようとすると――エリクはわたくし達を呼び止めた。
「帰るというのは、いわゆる魔界に、ですよね」
「ええ」
「……わたしも連れて行ってもらえませんか? どういう場所なのか興味があります」
「だめだ。お前は魔狼の件でやむなく事情を知る人間になったが、興味本位で連れて行くことは出来ない。というか、リリーが特別なだけだ。他の人間の身の安全も衣食住も保証しない」
特別……ねぇ。
わたくしはそんなことないよというのを止めて遠い目をする。
ええ、あの家での暮らしが『特別』かはわかりませんが、朝起きると砂で喉が痛いし、隙間風寒いし、風の音がうるさいし本当に良いことは少ないのですよ。
ただ、レト王子に特別だと言ってもらえるのは嬉しい。
「……そうですか……残念です」
割とすぐに引き下がってくれた。良かった。
ここで強行しようものなら、あなた本当に酷い目に遭うところだったわよ?
「ですが、またこちらにいらっしゃるのでしょう? 確かフクロウの尾羽とか」
「そうだ」
「では、そのとき再びわたしの家に寄ってください。フクロウの風切り羽などはわたしも欲しいですからね、効率も考えて……一緒に行きましょう」
ああ、攻撃用アイテムを作る合成だな。うんうん、わかる。
「わかった。必ず明後日寄る」
「明後日……明日ではないのですね」
「明日は買い出しに行く。装備とか……食糧を」
食糧と言うときのレト王子は少し嬉しそうな顔をする。
きっと買い食いも算段に入れたのだな。うんうん。
どっちも買っておきましょう。いっぱい食べようね。
そして、エリクと別れて村を出ると、わたくしたちは誰かに見つからないよう物陰に隠れて魔界へと戻った。