わたくしとレト王子は村の入り口を出て、眼前に広がる草原の先……こんもりとした森を見据えた。
「多分あの辺です……よね」
「そうだと思う」
レト王子も頷き、わたくしたちは武器も持たず防具もなく、その身一つという勇ましき状態で森に入っていく。
ちなみにステータス画面とかはないけど、わたくしは絶対レベル1だ。見なくても分かる。
レト王子のステータスだって分からないけど、多分RPGでよくある、しばらくは初心者にくっついて来てくれるような……ちょっぴりレベルの高い中堅クラスと思われる。剣の熟練度はまだ低い代わりに、魔術的な熟練度が高いのだ。
森の中はなんだか清浄な雰囲気で満ちていて、大きく息を吸い込んだ。
「あ~……空気がおいしい……」
「そうか? あまりよくわからないが」
「気分です」
「ふぅん……」
そうして他愛ない会話をしながら森の奥を目指して進んでいると、視界の隅……木々の間で黒い影がすっと動いた。
一瞬見えただけなので、はっきりとはいえないけど背も低かったし、人間ぽくはなかったような。
もしかすると――と、王子の顔を見ると、彼も頷いた。
「奴らだ。魔界のものだという気配がする」
「では、相手もそういうことはわかるんでしょうか」
「どうだろうな……俺と父上は名目上、魔界を統べる一族だ。だからその個体が魔族かどうかが感覚的に分かる。相手が俺たちの顔や匂いを知っていたなら……向こうがそう感じることもあり得るかもしれないが」
ふーん、そういうものなのか。
つまり、わたくしたちは良くも悪くも魔狼に様子を探られている。
様子を見に行くはずが、立場が逆転してしまったようだ。
周囲を注意深く探りながら歩を進めていくと、わたくしたちの眼前に三匹の狼が、すっと立ち塞がる。
紺色というか青みがかった黒い毛並みを持つ狼たちは、うなり声すら上げずにじっとこちらを伺っていた。
「あのっ……こんにちは、狼さん方。わたくしはリリーティアと申します」
一応挨拶をしてみるが、彼らからは全くアクションがない。
「……先生、よろしくお願いします」
わたくしがレト王子の袖を引くと、彼は一歩進み出て、魔界の狼たちよ、と話しかけた。
「俺はお前達に危害を加えようと来たのではない。話をしたい」
王子の言葉に、真ん中の狼がぴくんと耳を動かした。
あっ、少し反応してる?
「……わぉん?」
なんと狼は疑問形で鳴いた。すると、王子が頷きを返す。
「言葉、お分かりですか?」
「彼らは去って行ったとはいえ、魔の者だ。言葉の理解くらい出来るに決まっているだろう」
おお……レト……レトゥハルト王子凄い……!
「わうっ、がう、わんわん!」
「ふむ……そうなのか。それで、一体なぜ地上に?」
「わっふ、わうー。わわんっ」
「なんと……」
「わふーっ、わう、ばうわうっ、あぉーん……」
「それは申し訳ないと思っている」
――……全くわかんないんですけども。
「あのぅ、わたくしに分かるように教えて頂けません?」
会話を邪魔するのは忍びないけど、何が起こっているのかも分からないから教えて貰いたい。
「彼らは俺のことを知っている。というより、魔族にも王族のオーラというか、そういったものは伝わるらしい。だが、魔界にいるはずの王族がこんなところに来るはずもないと、半信半疑で見に来てみたら本物だった。お目にかかれて嬉しい……という挨拶から始まっている」
あの『わんわんっ』とかにそんな長いいろいろな言葉が……。
「そして、なぜ地上に出たのかということだが、やはり食糧がないことと満足に体を休める場所がないという、生活に関わることが大きな理由のようだ。そして、我々王族にそれらを改善しようとする意識も資材も……何もかもがなかったことで、諦めて地上へ逃れて暮らし始めたそうだ。とりあえず地上の動物の肉がうまいらしい」
「やはり食べ物が美味しいのですね……。あんなマズいスライムしかいないのでは、それは帰りたくもないでしょう」
「わんっ」
狼は頷きながら力強く鳴いた。わたくしの意見に同意しているようだ。
どうやら人間の言葉も分かるらしい、賢い子達だ。
「まずい……と、そうはっきり言ってくれるな。スライムだって他の食事を知らなければ美味しいと思っていたんだ……俺も人間の食事には衝撃を受けた。今では口に入れることを躊躇う」
結局マズいと認めている。
我々の間になんとも重い沈黙が流れたが、食事と住環境はなるべく早めに整えたい。
「わんっ?」
「ああ……実は、父上から狼の爪とフクロウの尾羽の収集を頼まれている。そして、先ほど村の羊を襲ったのはお前達か?」
「がるるっ! わんっ、わふっ、わわわん!」
「わん! わおおんっ!」
「がる……ぐるる!」
さっぱり分からないが、激しい勢いで狼たちは何かを三者三様口にしている。
王子は何度も頷き、理解したという顔でわたくしに向き直る。
「彼らは本当に羊に手を出していない。わざわざ人間に目をつけられるようなことはしないそうだ。家畜を襲うのは、最近群れでやってきた流れ狼の仕業という」
流れ狼……つまり新たな地を求めて、どこかからはるばる来たのかな。
「居住地を巡り、元々ここでひっそり住んでいた魔狼と流れ狼達は衝突している。しかし、奴らは魔狼の忠告を無視し、あれこれ好き勝手行って人間にも害を加え始めた。そのへんの狼どもと魔狼を一緒くたにされては迷惑だが、人間には全部同じものに見えるだろうから、狼狩りが始まっては困ると訴えている」
通訳してくれるレト王子に深い感謝を述べつつ、おかげで彼らの背景はおおよそ把握できた。
「つまり、忠告は難しい……と。流れ狼たちに人間のものに手を出さないとか、違う場所を探して移住していただくか、最悪……退治するしかない……ということでしょうね」
「わんー、わわぉーん」
「忠告は再三にわたって行った。しかし奴らは愚かなので分からない、と」
愚かという言い方も可哀想ではあるが、痛い目に遭わないと分からないということであれば納得も出来よう。
「……飼い主らしき男が『羊がやられた』と村中に知らせていたからな。羊も怯えていたようだし、近々何らかの手を打ってくると思う。早急にこちらも動いた方が良いな。狼は大体何頭ほど纏まっているんだ?」
「わん」
「六頭か。多くはないが、ここで繁殖などを行うと考慮すると困るな……お前達。狼の元へ案内してくれ」
レト王子の言葉に元気よく返事をした狼たちだが、何かの気配を感じたらしい。
すぐに険しい顔をすると、わたくしたちの後方に向かって吠え立てた。