【悪役令嬢がリメイク版で敵側のヒロインに昇格したのに、恋愛どころじゃないんですけど!/4話】


 その足音は扉の前で止まり、しゃらしゃらと金属が重なり合う音が聞こえたと思った次の瞬間、カチャリと錠が開く音が部屋に響く。


 軋む音を立てながら、扉が開かれる。吹き込んでくる乾いた風。


「あ……」

 姿を見せたのは、わたくしとそう年齢が変わらないと思われる少年。

 どことなく気品のある顔立ちと、吸い込まれそうな金色の眼。

 短く切りそろえられた真っ赤な髪は、暗い中でもまるで炎のように揺れる。

「…………逃げようとしていたの……かな」

 言葉は柔らかいのに、少年はわたくしをキッと強い眼差しで睨む。


「逃げようとしたんですけれど、足かせが重たすぎるので何も出来なかったんですのよ」

 鎖が見えるように足を軽く上げて正直にそう告げると、少年は幾分ほっとした顔をした。

「当たり前だ。俺も重たい思いをして一個ずつ運んで足につけたんだ」

 運んできたのか。魔法でパッと出してパッとつけるとかじゃないのか。

 思わずそう突っ込んでしまいたかったけれど、この少年の重労働を考えるとそんな投げやりなことを言っては可哀想な気さえする。

「それは……ご苦労様でしたね」

「そうだぞ。手も痛くなるし、鉄球だって探すのも大変だった。見ろ、俺の手はまだ赤い」

 と、わたくしに掌を向けてみせる。暗いから赤みの強さがよく分からない。

「……そんなことは良いのですが……」

「なっ……良くはないぞ」

 まさかそれ、ねぎらってもらえると思ったのだろうか。

 ショックを受けたような顔で少年は困惑しているわたくしの事を見て、サッと手を隠す。


「……ゴホン。いきなり連れ去ってきたのは悪かった。【魔導の娘】よ」

 咳払いをして今までのやりとりを誤魔化しながら、少年は何事もなかったかのようにわたくしを魔導の娘と呼んだ。

「っ、そ、それです。その【魔導の娘】とは何なのですか? わたくしをどうなさるおつもりですか? それに、ここは――」

 矢継ぎ早に質問したわたくしに、少年は一つずつ答えると前置きして、姿勢を正した。

「聖女が光に選ばれし女であるなら、お前は魔に選ばれし女。そして、その力で魔族を導き繁栄させる運命の女のことだ」


 なるほど。魔(族を)導(く存在)の娘。


 分かってしまえば超安易ネーミングだ。


「急に魔を導くとか、そういうことを言われても……わたくしは人間ですよ。もっと魔族側に適任がいらっしゃるのでは? 魔王の娘とか、そういう……?」

 そう告げた途端、少年は悔しげに唇を噛んだ。

「……それは、俺への嫌がらせか」

「え?」

「俺が魔王の息子だ。だが……魔を導く存在は、父でも俺でもなく人間の女……お前なんだ」

 なんと、少年は魔王子という存在。

 どおりで気品があるお顔立ちをしていると思った。


 しかし。

 魔を導くというよく分からない力が、彼ら王族ではなくこのリリーティアお嬢様に備わっているらしい。

 それはそれは、王族としても面白くもないだろう。


「……わ、わたくしをどうしようというのです? 言っておきますけど、わたくしの家に身代金とか要求されてもきっとお支払いしてくれませんわよ」

 そう。あのボケメイドの早とちりのせいで、わたくしがまるで魔物を呼んだかのような事を口走っていた。もうそれを訂正することも出来ない。

 わたくしが消えた別荘内では、彼女の見たことが使用人達の共通認識とならざるを得ず、その誤情報は遅かれ速かれお父様の耳に入ることだろう。


 そうなると、待っているのは『うちにそんな娘はいない、いいね?』という結果だけだ。


 モヤモヤを感じながら少年――そういえば雑誌にもう少し年上の姿で載っていたような――を見るが、彼は呆れたようにかぶりを振る。

「金なんていうここで使い道のないものは要らない。そんなものより、お前は俺たちにとって大事な……かけがえのない存在となる」

 真剣な表情できっぱりと告げた王子に、わたくしの心はきゅんっと高鳴る。

「ほ……ほんとう?」

「だから連れてきた」

 王子は迷うことなく頷いたが、次第に申し訳なさそうに俯く。

「もちろん、お前の……親は心配していると思うけれど」

「していません! むしろ、ありがとう!!」

「は……?」

 満面の笑みで礼を言うわたくしに、今度は王子が面食らったように困惑する。


 わたくしがリリーティアお嬢様として目覚める前、どのようなお嬢様だったのかは分からない。

 ただ、お父様には愛されていたようだった。でも、それももう過去の話。

 わたくしが知っているお父様……ラッセル・ローレンシュタイン伯爵という存在は、先日一度しかお会いしたこともなく、娘を辺境の地に押しやって……言い方が悪いけれどわたくしを棄てた男の人だ。


「……家族にも、使用人達にも冷ややかに接されていたわたくしを、あなたは受け入れてくださるのですね!」

 使用人からも白い目で見られ、強引に誘拐された場所で、かけがえのない存在と言われては――複雑であっても、悪い気がする者もそういないだろう。

「……そういう、ものなのか? もっと違うリアクションを想像していた……」

 きっと、しくしくと泣いて家に帰してくださいとかなんとか可愛らしいことをする女の子だと思ったのだろう。言われた王子のほうが戸惑っている。

「それで、わたくしはいったい――」


 どうしたらよろしいの、と聞こうとした瞬間、ぐぎゅるる、という大きな音を立ててお腹が鳴ってしまった。


「……あっ……」

 慌ててお腹を押さえると、王子はじっとわたくしを見る。

「どうやら腹が減っているらしいな。今持ってくる」

 逃げても無駄だからな、と悪役のような口調で念を押すと、王子は扉を閉めてどこかに駆け出していく。


 そういえば、王子の名前を聞きそびれてしまった。

 雑誌に立ち絵は載っていたのに、新キャラ登場、というアオリ文しかなかった。

 編集部はどうなってるんだ。そして販売元もどうして情報を先に開示してくれなかったのだろう……。

 まあ未プレイだという状況は変わらないから、どんなことがあっても仕方がない。死ななければ良い……とは思うけど。

 ぼんやりそんなことを考えていると、再び扉が開かれ、皿を携えた王子が現れた。


「さあ……どうぞ」

 そうして床に置かれた皿を見て、わたくしは絶句した。

「…………こ、れは……」

 テーブルで食べさせてほしいとか、そういう基本的なことからではない。


 食事と言って出されたそれは、おおよそ食事と言えるかどうかも難しい。


 20センチくらいの正方形の皿に、デロデロした緑のゼリー状の物体がドンと乗せられている。これはSF世界の食事か?

 その上に、飾りなのか木の根のようなヒョロヒョロしたものが乗っていた。

「……なんですの? これ」

「見て分かるだろう? 食事だ。遠慮しないで食べるといい」

 屈託のない笑み。わたくしには彼から邪気を感じられない。

「……初めてのもので、どう食べたら良いのか……お手本を見せてくださる?」

 おずおずとスプーンを差し出すと、王子は嬉々としてそれを受け取り、スプーンでゼリーを掬う。

 そして、迷うことなく口に運び、美味しそうに食べた。

「こんな感じだ。さ、食べてみろ」

 スプーンを返却させられ、わたくしはおそるおそるゼリーを口にした。


 瞬間、体に駆け巡る生臭さと泥臭さ。


 吐き出しそうになったがなんとか口を押さえてそれだけは阻止した。

「どうだ? スライムを砕いたものだが、なんともいえぬ独特の風味が感じられて美味しいだろう! 俺は結構好きだぞ」

 ニコニコと微笑みながらこれがスライムだと教えてくれるが、美味しいと言っているこれがお芝居だったら、彼はとても演技力がある。

 しかもここに来て初めての食事が魔物。

 というかこれは食べ物じゃないから!!

 目を白黒させながらなんとか嚥下したが、口に広がる後味が最悪だ。


「あの、申し訳ありませんが……お水をくださいますか」

「ああ、水か。外に水差しがあるからすぐ持ってくる」

 そういって部屋を一歩でて、即座に戻ってくると……手に握られているのは赤い水。

 わたくしが飲めそうな、水というイメージのものではない。


「スライムにかけるぞ」

「ウワアアアアアー! もう大丈夫ですごちそうさまでした!」

 慌てて王子の所業を止めると、もうお腹いっぱいだと言って食事を切り上げる。


 一体魔界ではどういう食生活が標準なのだろう。

 このスライム食を見るに、とてもではないが人間にとって安心して口に出来る食べ物でもなさそうだ。むしろ劇物だ。

 残された食事を見て、自分が食べてしまっても良いかと聞くので、二つ返事で了承すると王子は笑みを浮かべながらスプーンをせわしく口に運び、スライムのゼリーを瞬く間に平らげてしまう。

「魔界には食料がほとんどなくて……これだけなんだ」

 スライムは魔界にとって食糧のようだが、これが主食であるということは、魔界の食生活は大変質素で粗末であるとも言える。


「魔物達は、人間の世界に出ると戻ってこない。理由を聞くと、父に不満はないが人間界に来ると戻れなくなるというんだ」

 それは……多分、食事面が充実しているからだと思いますよ。

「……あの、王子。先ほどのお話ですけれど……」

「うん?」

「わたくしは【魔導の娘】とのことですが、魔を導くということも、魔界のことも分かりません。いろいろと魔界や人間界のこと、お話し頂けませんか」

「それは構わない。一体何が知りたいんだ?」


 ようやく、スタートラインに立った気がした。



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こめんと

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