要するに、ある日突然記憶を失って訳の分からないことを口走りはじめた娘は、ちょっとアレなやつとして家族から気味悪がられ隔離されてしまったのだ。
とはいえこの別荘に来た使用人は片手で足りるほどの人数しかいないし、屋敷全般の家事――ほぼ屋敷周辺の手入れ・衛生管理と食事の面倒、くらい――もしかしたら監視も任されているかもしれないけど、わたくしに接しようという使用人はなく、優しげな視線や言葉は向けられない。
誰も彼もがわたくしと目を合わせないように視線を逸らし、仕事を済ませてササッと足早に部屋から出て行く。
ご飯は出る……けどなんでか冷め切っているし。
だけど、一人で何かしていても詮索されないから、生きて行くだけならありがたい……かもしれないが、肝心の娯楽がなくてすっごいつまらないのだ。
マンガもなければゲームなんてのも当然ない。
この世界にも本はある。
でも、この世界の文字がわたくしには分からないから本や書類を渡されても、ぜーんぜん読めない!
文字が分からないと使用人に正直に話すと、驚かれた後、読まないなら必要ありませんねと冷ややかに下げられた。
いや……教えたほうがいいかくらい聞いてほしいわよね。
恐らく令嬢として、いっぱい勉強してきたであろうリリーティアお嬢様。
彼女が学んだ教養全てがすっぽ抜けてしまっていた。
大変申し訳ございません。
記憶の統合とか出来なかったみたいだけど、うぅーん……リリーティアとして生まれ変わったわけではないなら、この状況はなんだろう。
憑依? 転移? ……まあとにかく現状わたくしがリリーティアなので、この顔を鏡で見ては、その都度本心から可愛いと思うばかりだ。
うん、これだけは得をした。
前世というか、元のまんじゅう顔にはたいしたことをしてやれず申し訳ないが、やはりガワの美醜は重要だ。
この超美少女リリーティアお嬢様の管理を怠って、ぷにぷにまんじゅう顔にしたくない。
できるだけ美は維持していこう。
どうせ一度貴族のおうちで外聞の悪い因子とみなされては、余程お家状況がピンチにならない限り、屋敷に戻されないのだ。
見てくれが良くて損をすることは多分ない。
あ、そうそう――悪役令嬢に限らず、貴族にはよくある婚約者設定。
それがリリーティアお嬢様には、ない。
こんなに美少女なのに、ない。
お父様の説明にもなかったから、いないと思う。
まず記憶を失った令嬢に自分のことと身内の説明ということで、婚約者のこととか外部のことは伏せられていた可能性もあるけれど、ピュアラバ無印自体にも婚約者設定は無かったから、今回も多分いない……はずだ。
仮に万が一もしかして婚約者がいたとするなら、今頃そいつはどうしたのかと思いながら想像してみる。
お父様に相手親子共々呼び出され――……。
『うん。実は独り言なんだけどね、うちの娘は頭がおかしくなった。いや、うちに娘はいなかった。きみたちは……婚約者を他から探すんだ。いいね?』
みたいな設定で破棄されている事だってあり得る。
逆に先方から言われて破棄されたパターンもあるな。
どれも仮定でしかないけど。
でも、これじゃリリーティアお嬢様は代行者候補生として、舞台であるセントサミュエル学院に入学出来なそうじゃない?? どーしたらいいの?
「んっ? セントサミュエル学院……そうだ、ゲーム的にどうなっているか、時系列の整理を……」
頭が混乱したら紙に書いてクリアにしていこう。
大急ぎで紙と羽ペンとインクを引っ掴んで用意し、座り心地の良い皮張りの椅子に座ると、がりがりと思い立ったことをとりあえず書く。
こっちの文字が読み書きできないだけで、本来のわたくしが学んできた日本語は読み書きできる。良かった。
うーん……羽ペンじゃなくて、鉛筆が欲しいっ。
【ピュアフル♡ラバー(面倒なので今後は"ピュアラバ"と略すことにする)】では、リリーティアお嬢様と主人公のアリアンヌ(名前変更可能)は17歳。
世界観は、三年前……つまりわたくしたちが14歳前後に、突然『魔界』と呼ばれる地下世界から魔物たちが出現し、フォールズ王国のみならず世界に散らばっていった。
そこから人間対魔物の戦いが始まってしまう。
意外と人間と魔物が争い始めた歴史は浅いのよ。
それで、いろんな状況で人間達が戦っていった結果――……魔物には通常の武器による攻撃が通りにくい。(倒せないわけではないけど、非効率的ってことで)四大精霊の祝福を受けた者の攻撃が通りやすいのではないか、という結論になった。
なった、というのも……精霊の祝福を直接受けた者など世界に数人もいないし、いたとして探し出すのは困難を極める。
見つけた祝福者が寝たきりの老人だったり、小さい子だったら戦う以前の問題で、魔物の前に出せるわけがない。
それに、祝福者をずっと戦わせていればいつか疲弊する。
戦闘可能な祝福者を失えば……あっという間に状況は悪化する。
世界が魔物達に乗っ取られるかもしれないのだから、そんな悠長に次を育てたり探す時間もない。
そのため、四大精霊たちの祝福には及ばないけれど、その眷属……この世にいる妖精達を結晶化させ、開発された宝石……『魔具』というものを装着し、魔力を有する適当な(基準はあるかもしれない)数人の候補生が魔物達と戦うことになったのだ。
当然いろんな反発や非難もあったが、世界を守るための代行者制度が強行された――のは、クリア後に解放される『おまけ設定資料』に書いてあった。
代行者候補生というのは、魔具を武器や防具に装着して魔物と戦う学生達のこと。学院を卒業できれば、『候補生』ではなく、晴れて『代行者』として第一線に立たされる。
要するに戦うために経験を積む。
それらを育成するため建てられたのが『セントサミュエル学院』……であり、候補生の一人としてアリアンヌやリリーティアお嬢様は入学する。
学院でアリアンヌは王子含めて素敵な攻略対象らと出会い、魔物達を倒し、最終的には魔界への入り口を二度と綻ばないようぴったり閉じる。
そして――フラグとか何やらによって、マルチエンディング突入である。
学院のリリーティアお嬢様はどういう立ち位置かというと、主人公アリアンヌのライバルキャラであり、伯爵家の娘であり、わがままで性格が悪い……が、設定情報の五割。
ここで大体、リリーティアというキャラの扱いが非常に雑だというのが分かる。
アリアンヌが勉強を真面目にやっていると、ライバル心を燃やしてちょっかい出してくる割に、ご自分では勉学をさほど励まない。
お友達、だというガラスより脆い絆の取り巻きと、カフェでお茶をされたり、舞踏会にご出席していたようだ。
で、メイン攻略のクリフ王子を狙っていると、ちょいちょい意地悪をしてくる。
アリアンヌにはリリーティアお嬢様と仲良くしようイベントなんてものもない。
乙女ゲーなので、女に話しかける暇があったら男のケツを追いかけろという、女の友情を深めることはできない仕様なのである。
男と結ばれないノーマルエンドでも、アリアンヌは恵まれている。
ステータスや条件分岐によって学院の指導補佐になったり、騎士団のシンボルとして迎え入れられたり、静かに学院を去ってどこかの村で暮らすとか、あんまり後味も悪くなく、充実と希望を感じさせるものになっている。
途中経過に試験があり、点数が基準値より悪いと先生にキレられるバッドエンド。で、セーブデータからやり直しになる。
そこからでも点数クリアできないと、結局最初からやり直す事になりかねない。
で、クリフ王子より高い点をとると攻略対象が褒めてくれるし好感も上がるわけだから、事実的にアリアンヌのステは基準よりずっと高めになる。
ちなみにリリーティアお嬢様でさえも、一応『まあまあやりますわね』みたいなことを言う。
というか、アリアンヌの点がメイン攻略のクリフ王子より高いんだぞ。
だというのに何をのんきに『まあまあやりますわね』なんて偉そうに言ってんだ。アリアンヌの頑張りを見習えと何度思ったことだろうか。
まあアリアンヌは主人公上、このように身の振り方はいくらでもある。
しかしリリーティアお嬢様には敗者っていう運命しかない。
お勉強もさほど得意ではなかったにしても、なんだかんだ最終試験までは頑張って残っている。
が、最終試験後にクリフ王子からの『アリアンヌに何度も意地悪したり不正してるの見たんだもんねイベント(不正発覚というイベント名だけど)』でやむなくご退場である。
これは誰が攻略対象であっても共通だ。
つまりリリーティアお嬢様はどうあがいても最悪の結末を迎える。
クリフ王子の好感度が一番高く、必要スチルイベントもクリアしていれば、この時に少しセリフが増えているおまけがあるけども、仕打ちは同じだ。
確かに毎回基準値すれすれのお嬢様が、みんなと最終決戦に向かうというのは難しいかもしれない。人当たりもアリアンヌ『には』確かにキッツイ。
お嬢様学院退場の演出、これがほんと……別の意味で涙を誘う。
最終決戦前の『学院襲撃』っていう共通イベントが発生し、必死で逃げてるところを突如現れた黒い獣の爪で裂かれて殺される――というナレ死であり、ライバルなのにご退場も悲惨なもので良いところがない。
製作スタッフは彼女に親でも殺されたのだろうか。
それともみんなアリアンヌ至上主義者なのだろうか。
彼女に与えられたのは『可愛い女の子に意地悪して、不正して、魔物に殺される』というザマァ運命である。
B級映画のいじめ役でさえ、もうちょっとかっこいい見せ場があったりするのに、お嬢様はこんなちっさいことばっかりやって、最期もパッとしない。
いったいなぜ彼女ばかりがこんな不幸を背負わされたんだろう、と同情から愛に変わりそうになったものだ。
とりあえず、今回この最高に可愛く生まれ変わったリリーティアお嬢様(中身は残念ながら貴族のマナーも言葉遣いも知らない、わたくしという残念なオタクである)をむざむざ可哀想な事に遭わせるのは忍びない。
……リメイク効果によって、ガワが断然わたくし好みになったキャラを進んで悪者にしたくない。
それに今回、学院に通うかどうかはさておき、何かがあった場合酷い目に遭うのはわたくし自身なのだ。
つまり、わたくしはお嬢様として生き、お嬢様として死ぬのだ。
……死んだら元に戻れるかどうなるかは知らないけど。
だいたい、いじめなんかしたくないし、くだらないことで死亡させたくもない。
ていうかこの状況、死亡フラグどころか既に社会的に抹消されてしまっている。
「とにかく、今からわたくしが行うべきことは……なんなのかしらね……」
自分で書いた情報を見返しながら、顎に手を置いて考える。
学院に通えるなら、アリアンヌ達に意地悪しないし、勉強も真面目にやる。
なんだったら魔物と戦うため剣術でも学んでおく……無印準拠だった、なら。
リメイクされる分の情報はパッケージの裏にも雑誌に記載されてなかった。
電子説明書読む前に電源落ちたし。
パッケージの表紙は、アリアンヌとリリーティアが向き合って互いを見つめている。
二人ともメッチャ可愛い。
彼女らの背景代わりの後方で、既存キャラと新キャラと思われるイケメン男子達がまるで亡霊のように白黒で描かれていた。
リメイクでリリーティアの待遇は多少改善されている……ような、気がするのに……。
今わたくしは12歳。少なくともあと二年は魔物もいないようだし、学院スタートの17歳まで随分と時間の猶予がある。
まずこの世界のことを学び、教養をつけ直し、屋敷にもう大丈夫だと安心してもらって復帰する、というのを目標にした方が良いのだろう――……。
うん、そうしよう。
長いこと悩んだ末、方針が見えてきたことに気を良くしながら、紅茶のカップに口をつけようとしたときだ。
窓ガラスと壁の木材が破砕されるけたたましい音と共に、わたくしの部屋には、何か巨大で黒いものが飛び込んできた。