確かに『風雨がしのげる場所ならどこでも良い』って言ったのは自分だ。
この離れ自体、使っていないこともあるし、掃除も行き届いていて綺麗。
……ここが、座敷牢ではなければ……ただそれだけが……大きな不満だ。
誰もいなくなった室内で、私はそっと格子に触れてみた。
綺麗に縦横の木が十字に組まれており、格子の隙間から頭は出せそうにない。
少し力を入れて手前に引っぱってみたが、たまに木の軋む音がするくらいでびくともしないくらい、きちんと組み合っている。
どこか一カ所くらい弱い部分がないかと場所を変えては引いてみる、という作業を何度も繰り返したが、期待するような出来事もなく、徒労に終わった。
「はぁ……」
その場にズルズルとへたり込んで、足を畳に投げ出した。
誰も見ていないから、少しくらい行儀を悪くしても良い……よね。
自分の身体の状態をチェックしてみると、欠損はなくても、体力的な低下……疲れているのを感じる。
ずっと立ちっぱなしだったから足も痛い。寒さによる冷えも感じていた。
大人しくするから座敷牢の扉に錠は掛けないでほしい……とあのときお願いしたけれど、この本丸の長谷部さんにとって、知らない審神者との口約束なんて、どの程度の効力を持つものだろう。
でも、私が約束を破らなければ、きっと彼も強く言ってはこない。
憎むべきはこんな物を作らせるに至った環境であり、刀剣男士達を荒ませたのも、環境に違いないのだ。
特に長谷部さんは、信長さんに下げ渡されたことをずっと気にしていたのに。
だからこそ、主には見限られまいと、誠心誠意尽くそうとしていた――……のに、その主が目の前からいなくなってしまった。
きっとそれがきっかけで、また彼の心の傷が深くなって、やさぐれてしまったというのも……理解は出来る。
けれど……もし、この座敷牢を長谷部さんが作ったのだとしたら、相当彼の心は相当追い込まれているのでは……?
薄ら寒いものを感じながらも……よく出来ているなあと感心していたところ、入るぜ、という同田貫さんの声が離れの入り口から聞こえた。
「は、はい……どうぞ」
ササッと正座し、背筋を伸ばして戸口に向かって声をかければ、同田貫さんは火鉢を抱えて入ってきた。
「あ。足で戸を開けたら、行儀悪いですよ」
「いーんだよ、こちとら手が塞がってんだから。あんただって、そん中にいるから開けちゃくれねぇだろうが」
悪びれたところもなく、同田貫さんはそう言いながら畳の上に火鉢を置くと、座敷牢の扉に視線を向け……鍵がかかっていないことに気づいた。
「ええ。鍵はかけないお約束で、蟄居させてもらっています」
「そうかい。物好きなこった……ほら、火は入れてある」
扉を開き、火鉢を私の方へと押しやると、再び扉が閉められ……ることはなく、半開きのまま扉は放置。閉める気はないらしい。
「ありがとうございます。私は暖を取ることが出来て嬉しいですが、みなさんは……大丈夫ですか?」
「あ? 俺たちの分は部屋にあるよ。それは予備に置いといたやつだ」
「よかった……。誰かが寒い思いをしないで済むのでしたら、私も遠慮なく使えます」
暖房用品がないかと思ったのは杞憂だったようだ。
ほんのりとした暖気ですら、冷えた身体にはありがたい。
「――あんた、きちんと文句言ってもいいんだぜ」
火鉢に手をかざしていると、同田貫さんは自身の腕を組んで、私に向き直る。
「文句……ですか」
「ああ。あんた、よそのトコの審神者だろ。刀剣男士風情にこんなところに押し込められて、大人しくしてる必要もねぇと思うんだが」
「むしろ必要がないと感じたから……といいましょうか。私が『審神者だぞ! そっちの本丸に入れろ!』……と文句を言って威張っていたとしても、あなたがたにとって、怖い事なんてちっともありませんよね。むしろ、反発を覚えるしかないでしょう?」
だいたい、ゼロではなくても……よそ様の家で、そんな大きな顔をする人がいるはずない。
ここは彼らの大事な場所だ。その気持ちは自分にも深く共感できるところだから、荒らすなんて望んでいない。
「主が帰ってこなくなってから、本丸を取り仕切っているのは長谷部だ。俺たちはあいつに雑用を押しつけてきたところもあるから、知らねえことも多いんだよな」
「私の本丸も、長谷部さんにいろいろお願いしています。どうやらきちんと本丸内部の予定なども把握したい性分なようですから、気にしなくても良いと思いますよ」
と、こちらの長谷部さんも似たようなものだと言ってみたものの、同田貫さんは『そーじゃねぇっつーか』と、言葉を選ぶように視線を天井の方へ投げながら考えている。
「例えばここもそうだ。前はボロい納屋だった……はずだぜ。外を綺麗にしただけかと思ってたらよ、いつの間にかこんなになってんだもんな。なにに使うんだよこんなもの、って思ったら、早速使うことになったときた」
納屋が座敷牢に驚きの大改造。
一緒に暮らしている同田貫さんが知らないというのなら、まさか……一人でこれを作っていた……?
長谷部さんって建築に興味あったっけ……?
「確かに建物に関しては思うこともあります。でも好奇心に負けて『何のためにこれを作ったの?』なんて質問をして、恐ろしい答えが返ってきても困りますから……これ以上聞きません。ですが、この状況は長谷部さんと話し合って決めたこと。うぅん……そうですね、お手洗いやお風呂、空腹の時はどうすれば良いかを聞きそびれたくらいで、それも不可だと言われたら口論や実力行使は回避できないでしょう」
「ンなもん、勝手に行っていいだろ。あんたが便所を我慢してここを汚したって、あいつが掃除するわけじゃねえんだし……ああ、もしかしたら、納得できるまで手を出すなとか言われそうだけどな」
「そ、そんなに恐ろしいことを言わないでください」
一人の人間として想像したくないシチュエーションだ。
同田貫さんは一つ頷いてから『もう行くわ』と立ち上がる。
「あんたの衛生管理ってやつとか、メシに関してはあいつにも話しておくぜ。あんたを衰弱やら病気にさせちゃ、あんたの本丸の奴らになます切りにされちまうからな」
「…………お願いします」
そんなこと誰もしませんよ、なんて否定できないところが困る。
もし、こちらの長谷部さんによって私が座敷牢に入れられている、なんて知られたら……うちの長谷部さん二人(なんだか、ややこしいなあ)が怒り狂うこと間違いないだろう。
「あの……」
「あん?」
外に続いている障子に手を掛けた同田貫さんの背中へ、そっと声をかける。
肩越しに振り返った同田貫さんの眼は、私を警戒しているそぶりも見えない。
「話し相手になってくれて、ありがとうございます。みなさんに、不審がられているのは分かっていますが……第一部隊やこんのすけとも離れてしまい、頼るべき存在もいない状態なのは、不安でしたから。ありありと警戒心を見せずに接していただけるのは、とてもありがたくて、嬉しい……です」
出来ればまたお話しして欲しいな、とは図々しくて言えなかった。
でも、同田貫さんは『どうするかねぇ……』と、あまり困ってもいないような口調で呟いている。
「――斬る対象じゃない、それだけだ。審神者としてのあんたがいかに強かろうと、その手腕を振るうことも、鍛え上げただろう刀剣男士も、今は側にねぇし、自分も帰れねぇときたもんだ。どうやら俺たちを無理矢理従わせようとは思ってない。互いに争う利がねぇってだけだろ。関わりすぎても、後々面倒ごとがくっついてくるのは分かってる」
同田貫さんは首の後ろをがりがりと掻きながら『礼なんざ要らねぇよ』と言う。
警戒を解いたわけではなく、ただ……ドライだっただけなのだ。
「それでも……私があなたにお礼を言いたかっただけです。流してくれて構いませんよ」
「そうかよ。じゃ、そうさせてもらうとすっか……んじゃ、またな」
障子が閉められるまで手を振ったが、同田貫さんは一度も振り返りはしなかった。
再び一人になった。
外はそろそろ暗くなり始めているから、夕暮れが近いのだろう。
離れの外から木々が擦れる音と、風のうなり声が聞こえてくる。
いつもは賑やかな本丸にいて、短刀さんたちが『主ー!』ってじゃれついて、長谷部さんが側にいる。
誰かがすぐに世話を焼いてくれるので、寂しいと思うことなんて、なかった。
――今は、ひとりぼっち。
孤独に耐えようと膝を抱えてから、思ったよりも冷えた身体に気づく。
後方に畳まれて置いてある寝具一式から、掛け布団を引っ張り出して包まった。
この状況は数日だ。
担当者さんが手段を考えてくれるはず。
そうだ、数日で人を送るって言ってくれた。
どんな人が来るのかは分からないけど、悲観することはない。
「……大丈夫。すぐ戻れるから……」
怖いことはない。
いくら長谷部さんが怖いからって、圧し斬るように……命までは取ろうとしないはずだ。
審神者になって数年経って、初めての単独行動。
この先どうなるかもまだ読めず、どうするべきかも分からず、私は湧き上がる不安と孤独感を落ち着けることしか出来ぬまま、次第に暗くなっていく室内で、火鉢の中で静かに燃える炭を見つめ続けていた。