【放置された本丸で、荒んだ男士の面倒を見ることになった他本丸の審神者の話/4話】

 同田貫さんが火鉢を置きにきた後は、長谷部さんが一方的に生活に必要なこと――つまり食事、お手洗い、入浴、洗濯など――を言いつけにきた以外、もう翌日の朝まで誰も来なかった。


 お手洗いは好きに行って構わないけれど、他の施設を利用するときは声をかけろ、ということだ。

 他に質問を投げかけようとした私の言葉を聞こうともせず、すぐに立ち去った。

 座敷牢の中にはフカフカで気持ちよさそうな敷き布団があっても、今後のことが心配で眠れそうになかった。


 そのまま……夜が明けるまで、私は寒さをしのぐために掛け布団を頭から被ったまま、火鉢と向かい合って夜を過ごした。

 時折意識が落ちそうになったりもしたが、それでも眠ろうとは思わなかった。

 次第に外は明るくなり、障子ごしに柔らかい光が室内に差し込んでくる。

 雀の賑やかな鳴き声も聞こえているし、そろそろ本丸の皆も起きる頃だろうか。


 天文学的な確率の【転移失敗】という不運に見舞われてしまう前に、私は自分の本丸にいる第一部隊の戦闘に同行していたわけだから、多少の疲労感はあった。

 むしろ、一睡もしていない、食事も摂っていないことで、疲労感は昨日より増大しているのだった。

 非常事態でも動けるよう体力を確保するように、まずは休み、何か食べること……などと、私は本丸の男士の皆さんには言っているのに、自分がそれをしていないなんて、まるで説得力がない。


――そうだ。こんな時だもの、しっかりしなくちゃいけない。


 火鉢に入っている炭も、火はほぼ消えて真っ白な灰になりかけている。

 別個体だけどここにはこんのすけもいるし、同田貫さんは敵意もない。

 五虎ちゃんは視線を交わすだけで逃げてしまいそうだけど……。

 長谷部さんさえ警戒を解いてくれたら、だいぶ相談しやすいのに。


 私は疲労で重い身体に活を入れながら、使った布団を畳んだ。

 誰かがここに来る前に(来ないかもしれないけれど)身なりも整えておこう。

 鏡も無い不便な部屋で髪を結び直し、服の埃を手で払い落としていると、外から誰かの足音が近付いてくるのが分かった。


 その足音は入り口の障子の前で止まる。

「――起きているか?」


 長谷部さんの声だ。

 たとえ別刃(べつじん)だったとしても、その声や容姿は同じ。

 その聞き慣れた声に一瞬だけ嬉しさを感じてほっとしてしまったけれど、彼は私の知らない、()の本丸の男士だ。


「ええ。もう起きています」

 私がそう返事すると、入るぞとも言わず、戸がスッと開かれた。

 むっつりと不機嫌そうな顔で入ってきた長谷部さん。

 今日は内番のジャージ姿ではない、紫色のカソックみたいな戦装束だけれど、帯刀しているだけで武装はしていない。

 帯刀は武装じゃないかと言われれば、その通りだけれど……これは武装というより彼ら本体、でもあるから、どういえば良いのだろう。魂?


 彼は座敷牢の中で正座している私を無遠慮にじろじろと見た後、その周囲にも素早く視線を走らせた。

 逃げ出そうとしていたかチェックでもしているのか、無言なのが怖い。

「お……おはようございます。ときに、今何時くらいでしょうか」

 この沈黙も嫌だったし、時間も知りたかったので自分から彼に話しかけた。

 この部屋には時計もないので、光の差し方で朝・昼・夕・夜くらいしか判断できない。

 長谷部さんは『六つ半』と素っ気なく答えた。

 六つ半なら確か七時……だったはずだけれど、この本丸では古風な言い方をするのか、あるいは、長谷部さんはわざと私に意地悪をするのだろうか。

「こちらの本丸に、現代の時計はあるのでしょうか」

「当たり前だ。それを見て生活しているが、何かいいたいことでもあるのか?」

「素直に七時と教えてくださったらいいのに。わざわざ言い直すのは不便ではありませんか?」

 正直な意見を言っただけなのに『主でもないくせに偉そうだな』と毒づかれた。

「そんなつもりでは……」

 初めての出会いからして怪しまれていたけれど、これは随分嫌われたようだ。

 余計なことを言わないで、大人しくする以外ないのかも。


 口をつぐんだ私を見て、さすがに言いすぎたとでも思ったのだろうか。

 長谷部さんは咳払いを一つした後、体調はどうだと聞いてくる。

「疲労感はありますが、食事と睡眠をとっていない要因が大きいせいだと思います。それより、こんのすけに聞きたいことが」

 たいしたことではないけれど。

 そう言い足すと、戸口からこんのすけが駆け寄ってきた。うう、かわいい。

「――はい。わたくしめはこちらに」

「私の本丸にいる子も、呼ぶとすぐに来るのですが……あなたたち、どうやって待機しているの?」

「どうと言われましても……名を呼ばれれば、目の前へ転移できるようにしています」

「すごいのね」

「どうでもいいところに感心していないで、用件があるならさっさとそいつに伝えたらどうだ」

 長谷部さんは、雑談さえも許してくれる気がないらしい。

「こんのすけ、出来るかどうか質問があるの……着替えを持っていないので、万屋で買いたいのですが……今、手持ちが全くないの。私の本丸から代引きしてもらえますか?」

「おい……ふざけているのか? そんなことのためにこのクダギツネを呼び出したと……?」

 帰るまで何日かかるか分からない。食事もどうなるか分からない。

 自分の服や下着だって、洗濯できたところで替えがないならとても困る。

 本丸の様子も聞きたいので、もしこんのすけ同士で中継(?)できるなら、聞いてみようと思ったのだ。


 正直に説明したが、長谷部さんは時間の無駄だと一蹴した。

「政府から月々支度金程度の額は本丸に出ているので、最低限の衣食住くらいは賄えている。主は男性ゆえ女物の服はないが……お前は他の本丸所属とはいえ審神者。不自由を強いているのはこちらであり、身の回りに必要なものの面倒はみるべきだろうと考えた。だから今必要な物を言ってくれればこちらで買い与え――」

「そっ……、そんなの嫌ですっ!」


 思わず拒否してしまった。


「――……」

 長谷部さんも断られると思っていなかったようで、目を見開いて固まっている。


「お気持ちは大変ありがたいのですが、男の人に、自分が身につけて使うものなどを買っていただくのは気が引けます……本丸の近侍にだって、そんなことさせていませんから……」

「はっ。素直に俺からの施しなど受けたくない、といえば良いものを」

「そういう物言いをしないでください。それに、たとえ押しつけられても、そんな言い方する人からは何も要りません」

「なんだと……」

 自分で言ったくせに、そこでどうして怒るんだろう。

 そんなことない、すごく嬉しい……! というのが正解だったの?

 こじらせた長谷部さんはとてもわかりにくい。


 私の本丸では、全員に自分のものを選んでもらってカタログで買う(大量に買うから、配達じゃないと持ち帰れないくらいの量なのだ)ようにしているけれど、それは自分の本丸だからできていることであり、ましてやよそ様の男士に買ってもらうなんてわけにはいかない。


 それに……私に似合う下着(あるいは私の好みの下着)など、こちらの長谷部さんに選んでもらいたくない。

 だからといって、自分の本丸の長谷部さんならいいというわけでもない。

 特に下着サイズなんて、誰かに知られたくも見られたくもないものだ。

 とにかく、肌着だけはダメというよりも、こっちで代金を全部出したほうがお財布的にも事情的にもややこしくなくていい。そう思ったからだ。


「……購入をご希望でしたら、千歳様の分だけは引き落とし先の変更ということで万屋に手配は可能ですが……」

 場に流れるピリピリした空気(ほぼ長谷部さんが出している……と思う)を読んだのか、こんのすけは声の調子を少しだけ抑え、私にアドバイスしてくれる。

「ありがとう。そのようにお願いします。それと……」


 さすがに、その先は長谷部さんがいると言いづらい。


「込み入ったことで……少しの時間、外していただいても良いでしょうか」

 柔らかく言ったつもりだったが、長谷部さんの眼は相変わらず厳しい。

 むしろ、更に眼光が強くなった気さえした。

「どのような理由か、による」

「……私の本丸に関することです。審神者としての役割がありますから、あちらの状況を把握し、可能なら通信を取りたいので……秘密保持はないですけれど、見ていても面白くないと思います」

 私が本丸の皆と話している姿などを見ても……苦しいだけだと思う。

 こちらの長谷部さんは審神者と接したくても接することができず、安否すら分からない。帰還されるかどうかも分からない。

 そんな不安な状況なのに、迷い込んだよその審神者は、自分の男士とふれあえるかもしれない。絶対に面白くないし、気分だって荒れるはずだ。


「…………」

 それを察したらしい長谷部さんは、瞬きひとつする程度の短い時間だったが、辛そうに目を伏せる。

 しかし、すぐにその表情を消し、また仏頂面に戻ると『10分だけだ』と言い捨てて、踵を返した。

「……外にいる。俺が聞き耳を立てているかもしれんからな、聞かれたくないことは気をつけた方がいいだろう」


 出て行く前に、一応忠告するのも忘れなかった。

 嫌味か律儀さなのか、自分のところの長谷部さんではないから判断しづらい。

 まあ、本丸では長谷部さんが私に嫌味を言ったりするなんてこと、ないからわからないだけかもしれないけれど。


 与えられた時間は限られている。有効に使おう。

 私はこんのすけを抱き上げ、お願いがあるのと切り出す。


「近侍と連絡が取りたいの。本丸に通信を繋げられますか?」

「ええ、通信許可は得ています。短時間の通信に限りますが」

「よかった……! 早速お願い」

「了解しました。通信を開始します」


 こんのすけが私の前に座り、スクリーンを空中に映し出す。

 座敷牢の格子が映らないよう白壁を背にして、私は背筋を伸ばして、映像が表示されるのを待った。


 だが、映っているのは『音声』の文字だけ。スクリーンは真っ黒だ。


『――はい。こちらの本丸は……』

 応答したこんのすけが長い番号を読み上げている。

 ずいぶんと長い番号だが、あ、確か……これは位置番号かな。

 いつもこんのすけに通信関係はお任せだから、はっきりとは覚えていない。

「――位置番号以上、こんのすけ。そちらの審神者、千歳様から近侍宛てに通信です。受信の許可を」

『取り次ぎます。少々お待ちください』

 こんなやりとりしてるんだ……。知らなかった。

 感心しながら聞いていると、ドタドタとせわしない足音が複数、向こうで聞こえていた。廊下を走っているのかな。

『こんのすけ! 本当に主か!?』

『はい、近侍にと――』

『えっ俺も大将見たい!』

『邪魔だ!』

『長谷部ばかり贔屓するのは寂しいな。どれ、ここはじじいが』

『主ィ! 俺をほったらかしてどこをほっつき歩いている!』

『大包平、声がうるさいよ。静かにしないとね』

『おい、主の姿が見えないじゃないか。どこだい?』

『千歳! わしじゃ!』

『あるじさーん!』

『何だ? まさか、ぬしさまが戻られたのか?』

『ううー、耳を引っ張らないでください!』

『お前らうるさいぞ! 静かにし……こんのすけを揺らすな! 通信が切れたらただでは済まさんからな!』


……大変な騒ぎだ。


 さっきから怒鳴り散らしているのは長谷部さんに間違いないだろう。

 こんのすけは私に背を向けて、スクリーンを注視しつつ……尻尾を左右にぱた、ぱたと揺らしていた。

 この騒ぎは当然聞こえているはずで、いったいこの子、どんな顔をしているのだろうか……。


『おい、こんのすけ! 通信を開始しているんだろう? なぜ姿が……』

『はぐぐ……、お、下ろしてください。スクリーンを表示できません』

『あ、ああ……』


 こんのすけ、皆に握られていたのかな……。

 ハラハラしながら会話に耳を傾けていると、パッとスクリーンに本丸の大広間が表示された。


『あっ、映った!』

 長谷部さんの横からこちらのほうを覗き込んでいたのは厚くんで、近侍の長谷部さんがその頭を押し戻している姿も見える。

 だが、すぐに四方八方から皆が覗き込むので、画面はたちまちにいろいろな男士の顔で埋まる。

 たまに誰のか分からない手が後方に映って、ぶんぶん振られている。

『主……! ああ、ご無事ですか?!』

 近侍の長谷部さんは、ほっとしたような表情を浮かべた。

 皆に向かって軽く手を振ると、画面の向こうの皆もなぜか手を振り返した。

 いつも通りの優しさが嬉しくて、心の中にあった不安が解けていくのが分かる。 ぐっと泣きたくなるのを堪え、笑顔を向けた。

「ええ。私はこの通り問題ないですよ。第一部隊は、そちらに全員無事に帰還してますか……?」

『はい、俺を含め、全員帰還しています。その際、主のお姿だけがありませんでしたので……俺をはじめとした全員で必死に捜索をしていた間、こんのすけは政府と通信を取っていたようですね』

『あいつすぐ自分を一番上に出してくるよね。僕だって心配してるのにさ』

『長谷部がやな奴っていうのは、今更始まったことじゃないし?』

 安定くんと加州くんの声が画面外のどこかで聞こえた。

 チッと長谷部さんが舌打ちしたが、すぐに剣呑な表情は消えて、私ににっこりと穏やかな笑顔を向けた。

 このやりとりも、いつも通りで安心する。

「そちらでも、こうなったおおよその事情を伺っていますか?」

『――いえ。俺たちには何も……主、そこはどこです? 場所が分かればすぐ迎えに行きますよ』

 長谷部さんに事情を説明したいけれど……独断でやっていいことなのだろうか。

 わたしは小声でこちらにいるこんのすけに聞いてみた。

 こんのすけはこの件の口止めはされていませんと答えたので、転移がうまくいかなかったから、しばらくこちらで過ごすことになると正直に話した。


 話が進むにつれ皆の顔に緊張の色が浮かぶ。

 だが、誰も口を挟まずに最後まで真剣に聞いてくれた。

 長谷部さんの顔には怒りすら滲んでいて、話が終わると、なぜ主だけが、と彼が呟く。

『――おいっ、こんのすけ! お前、わざとやったんじゃないだろうな!』

『ひぎぃぃ……! 断じて、そのようなっ……』

 長谷部さんがまたこんのすけを掴んで揺する。

 彼がこんのすけを揺らすたびにスクリーンの映像も上下左右にぶれるので、周囲の男士達に慌てて止められていた。

「数日中に、政府から人を派遣してくれるって。調査が必要みたいなの」

『そう、ですか……。では、身の回りの物が入り用でしょう』

「こちらの本丸はかなり遠いらしいから、万屋で少し買いそろえるね。請求がそちらに行くと思うから、申し訳ないけど支払いと……留守を頼みます」

『……』

 長谷部さんは押し黙った。いろいろと内心の葛藤があるらしい。

『ちょっと長谷部、何も言わなかったら主の支払いしたくないみたいじゃん』

『そんなはずはない! 主がお使いになるなら、金庫を空にしても構わん』

『空はさすがにいかんばい』

 博多くんのツッコミが入った。周囲から小さな笑いが起こって、場の雰囲気が少しだけ和らぐ。

『――お任せください、主。こいつが頼りない分、俺がしっかりと留守を預かります』

 と、画面に入り込んできたのは……二振り目の長谷部さん。

 不思議なことに、彼は顕現した当初から妙に落ち着いていた。

 私が教えていないような話や、本丸のことも熟知している……そんな人だ。

 彼ら二人を長谷部さんと呼ぶのはややこしいので、こちらは長谷部くん、と呼んでいる。

 へし切りじゃ嫌だろうから、刀工銘にちなんで国重さんとでも呼ぼうかと聞いたら、顔を真っ赤にしてしどろもどろなりながらも、まだ早いからと拒否された。

 早い遅いの基準がどこにあるのだろうか。難しい。

 その長谷部くんは、近侍を冷たい視線で見つめて、肝心なときに使えない男だと毒づいた。

『――必ず戻ってきてください。主がいない生活は、気が狂う程耐えがたい』

「そんな大げさな……ええ、でも、必ず戻ります。大丈夫です」

『本当ですよ。俺をまた一人ぼっちにしないでくださいね……?』

『おい! さっきから黙って聞いていれば主に立場を超えて馴れ馴れしくするな!』

 長谷部さん同士でまたいざこざが始まりそうだ。

 この二人は本当に仲が悪い。顔を合わせるたびに喧嘩している気さえする。

 仲裁しようとしていたら、私の膝をこんのすけの肉球がちょいちょい、と押した。

「そろそろお時間です。あと10秒で通信を終了します」

「あ……」

 こんのすけの言葉は、向こうの皆にも聞こえたらしい。

『ほぼ長谷部のせいで終わっちゃうよ! 主ー! 頑張ってね!』

『主、また通信してー!』

『大将、病気や怪我に気をつけろよ』

 皆それぞれ私に声をかけてくれる。

「それじゃあ、また。私がいなくても喧嘩しないで仲良くね!」

『はーい!』

 主に短刀さんたちの、元気のよい返事が聞こえたところで……通信は終了した。


「…………賑やかな本丸ですね」

「……ええ……すみません……」

 こんのすけの感想に、いろいろなものが詰められている気がして、私は恥ずかしさに顔が熱くなっていくのを感じていた。

 


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