【成り代わり令嬢は全力で婚約破棄したい/192話】

 ここに来るまでにどんなやりとりがあったのかは分からないが、二人 (特に病弱なイヴァン会長)の息が上がっていないことからして……走ってきたはずはないな。馬車か転移でやってきたってところかな。


 でも、階段を上がってくる音すらしなかったから、やっぱり転移するときにマクシミリアンを連れてきたって感じか。


「イヴァン会長……どうしてこちらに?」

「あのままリリーティア様が登校されることは無いと思いましたし、生徒会の名簿に、本日退学者が一名出ておりましたので」

「……生徒会には、ずいぶん高性能なオプションがございますこと……」


 ふふっと笑うと、イヴァン会長も柔らかく微笑んだ。


「談笑している場合ではありませんよ。マクシミリアン様が先ほどから、彼を見て仰天しているじゃありませんか」


 と、イヴァン会長が眼で示す先……マクシミリアンがレトを指して絶句しているところだった。

「き、み――……」


 ああ、そうだ。誰もいないし、管理人室には入らないからレトの耳も金色の目の色も丸出しだったんだ。大失態だ。


「マクシミリアン、コレはすごく事情がありますの。というかわたくしもうなんだか身分があやふやなのですけど、今まで通りマクシミリアンと呼んではいけない……のかしら?」


「……ややこしい話はここではなく、貴方の国で話しませんか?」

「いやだ」

「困るのは貴方でしょう。騒ぎになりますよ」

「すぐに逃げるから問題ない」


 イヴァン会長はゆっくり話し合う場所として提案……魔界に移動しようと暗にレトへ持ちかけるが……レトの表情と態度は頑なになっていくばかり。

「はぁ……それじゃあ、人を呼ぶしかありませんねぇ……」

「イヴァン会長、それはいけません……どうか……」


「わたしは穏便に済ませたいのですが、彼が首を縦に振ってくださらないので……」


 上目遣い(あざとさを出したわけではなく、純粋にイヴァン会長の身長が高いのだ)にお願いすると、イヴァン会長はどこか楽しげにわたくしを見つめ、どうしましょうかね、と勿体ぶる。

「弱みにつけ込まれるからお願いするのはやめておきな」

「その通りだぜ。貴族の盾がない今のあんたなんか、どうとでもできるからな」


 レトやジャンは一体イヴァン会長をなんだと思っているのだろうか。人ではない、赤くて温かい血の通ってない生き物かなにかだと勘違いしてない?


「長引くと困るのは貴方がたでしょう? 時間ももったいないですし、さっさと案内してもらいましょう、と提案しているんです。感謝して欲しいくらいですよ」


「おい、なんでこいつ後からやってきてこんなに偉そうな物言いしてんだ? ムカつくからぶった斬んぞ」

「偉そう? 貴方よりはずっとまともですよ」


「ストーカーのくせに言うことは立派じゃねえか」


「野生の猿に餌をせがまれるリリーティア様は本当に可哀想に。とっととこんなもの、あるべき野に放てば良いでしょう……いえ、野に放つと近隣に迷惑がかかりますね。駆除しましょう」


「へぇ。おもしれぇこと言いやがる」

「わたしも、人の言葉を喋る猿は初めてで興味深いです」

 こんなところでまた睨み合ってる。


「二人とも、おやめになって。それに、ジャンがいなくなるとわたくしとても困りますから……」


 そう言うと、イヴァン会長はなぜか明らかな怒りをジャンに向け、ジャンは涼しい顔で『だ、そうだ。猿のほうが生徒会長様より役に立ってるようだぜ』なんて言ってますますイヴァン会長の機嫌を悪くさせている……って、ジャンはドヤ顔キメてるな。子供かよ。

 渋々レトが転移陣を出すと、なぜかマクシミリアンも乗ってきた。


 質問しようと思ったが、術が発動したので転移の光が強まり、瞬きの間に魔界へと転送される。


 魔界に着いてからも、驚きっぱなしのマクシミリアンを引っ張りながら、手頃な部屋……というのも今はほとんどないので、結局魔王城のダイニングで話をすることにした。


「……朝早く飛びだして帰ってきたと思ったら、お客さんを連れてくるとは。この方々……特にそちらの公爵子息は……我々とは志を別にする方々なのでは?」


 イヴァン会長とマクシミリアンにお茶とお菓子、わたくしとジャンには軽食を出しながら、忙しい厨房の主であるノヴァさんは呆れながらも小言をいう。


「そうだわ。そういえば、なんでマクシミリアンも着いてきたんですの? 今は蜂の巣をつついたような騒ぎになっているのでは?」


「君を頼む、と殿下から託された。幸い君の世話は慣れているし、あんなふうに家族との縁も切って、いち庶民として暮らすなど……なんの素養も無いその身一つでなにができるというんだ?」


 なんと、クリフ王子、テメエ。またよけーなことをしやがったわね。


「マクシミリアン……きちんと話せば、ものすご~~く長い話なので割愛致しますが、わたくしはみんなが側にいるのでだいじょうぶです」


「みんな……とは、そこの彼らのことか」


 マクシミリアンが胡乱げな目で見据えた先には、どー見ても魔族にしか見えないレトと、普段から一緒にいる目つきの悪い剣士と、猫耳みたいなものを頭から生やしている謎の男がいる。


 マクシミリアンがどの程度わたくしの周囲を調べて素性を把握しているのかは分からないが、イヴァン会長に至っては……使用人が極めて優秀だし、本人もまた名探偵として食っていけそうなくらい勘が良い。


 この二人は確かに怖いわ。


「ええ、そこの彼らのことです」


「全く君はなにを寝ぼけたことを言っている。いいか、今までとは違うんだ。今まで君は伯爵家の令嬢であり、殿下の婚約者という点で無事なことも多かったんだ。それが消えて、なにが大丈夫なものか。それに、殿下だけではなく、うちの両親からも『リリーティアを連れ戻すまで帰ってくるな』と言われているんだぞ。実質俺も勘当だ」


「えぇ……?」


 わたくしと同時に困惑した声を出したのはレトだ。


 まだわたくしのほうが困惑の響き (?)は軽かったが、レトは本気で嫌がっているというか……厄介だというニュアンスが目一杯詰まっている。


「前から思っていましたけど、あなたの家って……本当にわたくしに優しすぎるところですわね」

「俺もそう思う」


 わたくしとマクシミリアンが互いに頷いていると、レトは両手で顔を押さえて『二人が鈍くて良かった……』と呟いて、イヴァン会長にすら憐憫の目を向けられている。ジャンは何も言わず、黙々と食事を摂っていた。

「つまり、マクシミリアンは結局のところ……わたくしに力を貸してくださるということなの?」

「そういうことになる」


 本当かな……いや、人間としてこの人は力を貸そうというのだろう。

 でも、わたくしの環境の話をして、どの程度受け入れられるというのかしら。


 ピュアラバ新旧問わず攻略対象がわたくしの側にいっぱいいても、わたくし攻略するつもりないし……それに、アリアンヌのまわりが戦力的にも手薄になるんじゃない? 乙女ゲーなのに正ヒロインも悪役令嬢も、あっちこっちに粉かけて攻略しないなんてどうなってんの。


 マクシミリアンはこっちの事情なんてなにも分かってないから、あとで一生懸命説明するとして……イヴァン会長はどうするんだろう。


 どうしたものかとイヴァン会長に視線を送ると、意味が充分伝わっているのか、そのことなのですが……と口を開いた。ど、どのことだ? 怖いな。

「リリーティア様。わたしにも貴女のお手伝いをさせてください」

「ダメ」

「帰れ」


 わたくしではなく、レトとジャンの拒否が即ねじ込まれる。


「今リリーティア様とお話をしています」

「この国では俺のほうが意見について重さはあるはずだ」


 仰る通り、レトのほうに決定権はある、ほうだが……。


「あの……イヴァン会長は、お体の具合も芳しくありませんでしょう? それに、学院だって……」


 生徒会長という重要な役割があるはずだ。それに、レイラやライラの様子も聞きたいし。


「ああ、それならここから通えば良いでしょう。意外に、貴女もそうされていたのでは?」


 するどい。こわい。迂闊になにか言えば、そこからこちらが不利になるような話を差し込まれかねない。


「…………レトにお願いしてください。彼の転移で行き来をしておりましたので」

「なるほど。そういうことならば、お願いしますね。そうであれば、マクシミリアン様も今まで通り学院に通うことができるのでは?」


「いや、俺は家から退学届を出されるだろう。何より、リリーティアを放って学院に通えば、家はおろか殿下とアリアンヌ嬢からうるさく言われる」


 それに、今朝からアルベルトも失踪して大変なのだそうだ、とマクシミリアンがあちらの事情を教えてくれたが、そのアルベルトなら、豆腐建築の部屋、自分の弟の横で寝てるよ。


「…………」


 重苦しい空気が流れる。


 ノヴァさんはこちらのことなど知らぬといったふうに手をせわしなく動かして、お城で働く人たちのために食事の準備をしているようだが……ノヴァさんの耳、基本猫的なカタチをしているので、後方の音を拾うときには耳もそちらの方向に動く、イカ耳状態だ。


 つまり知りませんという態度をしながら、この二人をどうするか気になって聞いているわけだ。まあ、この二人が仲間か中立……いや、グレーの立ち位置でも困るものね。どう転んでもレトやわたくしの決断を受け入れるということか……。


「レト、とりあえず二人に最初から説明しないと……こちらが明確な理由もなく拒否するのでは、彼らも納得できかねるでしょう」

「…………説明してもしなくても、ここに住むつもりだよこの人達」


 俺は嫌だよ、とはっきり口に出しているのに、イヴァン会長もマクシミリアンも動じる気配はない。


 マクシミリアンは『まだよく分からないが、こちらのルールは守る』と交渉しようと真面目に話すし、イヴァン会長は『ここの魔力濃度は高いですね。上手く使うことができれば貴方と対等に戦えるかもしれません』などとレトに微笑んでいる。不穏だ。


「……ねえ、リリー。君はもう人間共のしがらみから解き放たれて、自由なわけだろう? もういっそ……俺と婚約じゃなくて、結婚してくれないかな」


 そしてさっきからずっと眉間にシワが寄ったままのレトは、なぜそういう思考回路になってしまったのか、わたくしに突然求婚してきた。


「結婚……」


 レトと結婚。なんて胸がときめく言葉なのかしら。それはとっても、素敵な話なのだけど……今することじゃないよね?


「こんなにいろんな意味で危ない人たちが一緒だと、心配で胃と脳が壊れそうなんだ」


 そんな縋るような目で見つめられても、彼らに言っていることがちょっと失礼だよ。


「……お気持ちはありがたいのですけれど……結婚は、その……まだ早いかと」

「なんで!? 俺のこと好きって言ってくれたのに?!」


 なにがいけないの、と詰め寄ってくるレト。いかん、落ち着いて。


「……今日婚約破棄していきなり他の男性と結婚、というのも少々……どちらに対しても失礼だと思いますの。それに、真面目な話……結婚するといろいろな面で今後の活動に支障が出てしまいますから。やりたいことや、やらなくてはならないこともまだたくさんあるんですもの! もう少し待ってくださらない?」


 少なくとも、フォールズ王国にある魔界と地上をつなぐ、いわゆる『裂け目』を閉じるまで待って欲しい。


「リリー……役目を優先してくれるのは本当にありがたいけど、そうしたらいつになるの、結婚……」


「ああいうヤツなんだよ。仮に結婚したところで変わらねぇだろうから、頑張んな」


 がっくりとうなだれるレトの肩を、ジャンとノヴァさんがそっと労るように叩いていた。

「そうだ。婚約破棄。目の前で繰り広げられていたことでしたが、おめでとうございます」


「ええ、ありがとう存じます。わたくしもクリフ王子もすっきりしましたわ」


 イヴァン会長は祝福してくださったが、マクシミリアンはまだ腹の虫が治まらないのか、めでたいもなにもあるか、理不尽だと怒っていた。


「では、俗な言い方をすれば、リリーティア様は『フリー』であるわけですよね?」

「あらいやだ、恋人がおりますから、フリーではありません」


「ふふ、結婚されていないなら、恋人の有無などないに等しいものです。いい話ですね」


 なにが良いのかは分からないが、イヴァン会長は妙に……嬉しそうだ。


 目の前にわたくしの恋人がいるにもかかわらず、なぜそんな話を振ってくるのか。


「わたしもまだまだ頑張れそうです」

「?」

「――頑張らなくて良いよ!!」


 わたくしとイヴァン会長の間に割り込んでくるレトが、もういいだろ、と話を強制的に打ち切る。


「――……さあ、リリー。彼らに構っている場合じゃない。父上がお待ちだよ。今日もたっぷり叱ってもらわないといけないね!」


「なんでそんなに怒ってらっしゃるの……いえ、そこではなく……なぜわたくし叱られることが確定で……」「なんでだろうね!? わからないっていう、そういうとこだよ!?」


 そう言ってわたくしの腕を引きながら、レトは……久しぶりにまたプンプン怒っている。


「なんで、ほんとに……よりによって奴らが……」

「そんなに怒ると、綺麗なお顔がもったいないですわよ」

「誰のせいだと思ってるの?」


 ヘリオスもご機嫌斜めだろうね、なんて言いながら眼前の魔王様の居室に引きずるようにわたくしを連れて行く。


 いつも通りだった魔界の生活がまた戻ってくるのだが、仲間たちもわたくしも、更に忙しくなることだろう。

「……また、一緒に頑張りましょうね。レト」

「ああ」


 わたくしの手をぎゅっと強く握り、レトは頷いて……もう離さないから、と小声で告げた。



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こめんと

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