彼女は力強くわたくしを引っ張り……いや、半強制的にアリアンヌの部屋まで連行された。
うーん……学院初日なのに、華奢そうな見た目に反し、内に秘めるゴリラの資質を見せ始めたぞ。
仕方ないわよね、パラメーター的にクリフ王子よりマウント取っていかないと『すごいぞ、アリアンヌ!』って褒めてもらえないもんね……。
……今思ったけどピュアラバ……いや、クリフ王子って、自分より全てにおいて優れた女を嫁にしようって事だよね。もうそれってあんたの存在意義どうなの? って感じもしなくはない。
そりゃ、いつも平均すれすれしかないリリーティアみたいな女よりは、いろんな意味でずっと良いだろうけど……難しい問題だわね。
「もう、わたくしの都合も聞かないで勝手に……」
「いいじゃないですかぁ~。姉妹の絆を深めましょ!」
憮然とするわたくしに、悪びれた様子ゼロのアリアンヌ。
更に神経を逆なでするような言葉を放ち、ねっ、とかわいらしく首を傾げた。
乙女ゲーのヒロインにふさわしい可憐さ・少女的愛くるしさ・標準的な体型、そして……勘は良いのに究極的に天然であること……どれもこれも兼ね備えたアリアンヌ。
こんな子が、人間の世界の救世主になるというのだから……世の中わからんものである。
『お姉様と二人で仲良くしたいので』という可愛いことを言って人払いをした室内は、わたくしとアリアンヌ二人っきりだ。
わたくしのためにお茶の用意までしてくれるのはありがたいのだが、今とてもじゃないけど……一緒に茶をしばきたい気分ではない。
じゃ、いつならいいのだと問われても、未来永劫『良いわよ!』みたいなウキウキした日は来ないかもしれない。仲良くするつもりはないので、諦めて欲しい。
仕方なしにといった感じでわたくしは彼女の右隣に座る。
すると、アリアンヌは嬉しそうな様子でティーポットを手に取って、無造作に茶を注いでくれた……なお、『淹れる』ではなく『注ぐ』だ。
作法とかなにそれおいしいの? 的な……。
急須で入れた緑茶のように、じょぼぼぼ、という庶民的な音を立ててカップに入り、そのカップはソーサーの上にガチャと置かれた。
「……アリアンヌさん……そのように乱暴に扱っては……」
「あは……、すみません。お姉様に繕わずお話ししようと思うので、堅苦しいのは抜きにしようと……で、でも、マナーは、やるべきところではやりますから!!」
今はそのときではない……ということらしい。
変に気を遣われるよりはいいかもしれないけど、なんかこう、さー。あるじゃない?
「何から話そうかな……いっぱいあるんです」
一人で楽しそうに、ふふっと笑っている。わたくしがじっとそれを見つめていると、彼女はわたくしの視線に気づいて『ふわぁ!? す、すみません!』と、また個性的な驚きの表現をしてくる。
……アニメキャラなのかな。ちがう、ゲームキャラだ。
というか、アリアンヌって無印版、変な返事してたっけ……?
これもリメイクの変更点だとすると、ちょっと勿体ないな……。
乙女ゲーの主人公キャラはプレイヤーの分身なんだから、一番気を遣わないといけないところなんだから……『アリアンヌの驚き方がムカつく』『シナリオ書いてるやつ絶対おっさん』とか言われるぞ。
……まあとにかく、アリアンヌは『メルヴィ』ちゃんだった頃からわたくしと話すとき、こんな感じで楽しそうだった。
思い出の温かさとその後の衝撃の落差に、チクリと胸が痛んだ。
それを堪えるように、わたくしはゆっくり瞬きする。
すると、そのタイミングで……アリアンヌもぽそっと話し始めた。
「……お姉様が、戻ってくると聞いたときは……私、びっくりしたんです。もう二度と屋敷に戻らないんじゃないかなって考えてたから……」
「わたくしも……本当は戻るつもりなんてありませんでした。でも、クリフ王子の……いえ、王家のご命令とあらば、逆らうわけにはいきません」
「そうですよね……だからお戻りに……」
そのくらいのことは、アリアンヌにも分かるようだ。軽く頷いて同意を示す。
正確には『王家の命令に背いたら、どんな報復があるか分からないから』だ。
わたくしたちの身の安全は何度も言っているように、いくらでも確保できる……そもそも魔界に引きこもれば全然問題ない。
しかし、それをしたらどうなるか?
わたくしたちが携わってきた人々が処罰される。そっちのほうが怖いのだ。
もちろん、わたくしがこうして大人しく帰ってきたとしても、出奔中の関係者になんのお咎めもないか――なんて分からない。
ただ、何らかの咎があった場合は……わたくしがマクシミリアンに詰め寄ったり、情報の把握のためにジャンを動かすだろうというのは彼らも分かっていることだろう。
マクシミリアンから『戻れ』と要請があったときには既に……わたくしの仲間がいた場所は調査済みだった。
もちろん魔界に住んでいる彼のことなんて、どんなに調べても分からなかっただろうが、そのほかは大体素性が分かっているといっていい。
教会のほうに携わっている人物は……多分無事だろうけど。
「それで……お姉様がお戻りになって、もう四ヶ月です。お姉様宛には誰からも手紙が来ていないようですが……親しい人たちに住所を教えてないんですか?」
「もともとわたくしに手紙を書いていたのはあなたくらいです。それに、どなたかに教えたところで……無事にわたくしの元へ届くはずもありません」
なぜ? という顔をするアリアンヌ。
よしんばわたくしたち宛てに手紙がローレンシュタイン家に届いたとしよう。
執事か誰かに……即座に検閲させられているはずだ。プライバシーの権利などない。
差出人か内容、どちらでもいい。判定した人物の気分次第もあるだろうし、何か『否』と判断されたら本人に知らされることなく手紙など握りつぶされる。
そう言うと、アリアンヌは人の手紙を勝手に見るなんてひどすぎると怒っていた。多分あんたの出した手紙も多少は見られてたと思うよ。
「じゃあレトさん……からは何も?」
その名を耳にした瞬間、わたくしの胸には抑えていた苦しさと愛しさがあふれてきた。
でも……これは誰にも悟られてはいけない。
表情を変えぬように努めながら、わたくしは短く『ええ』とだけ言った。
「どこの誰よりも、わたくしに接触させないよう気を配られていることでしょう」
もしかするとクリフ王子本人から、マクシミリアンは耳にたこができるくらいに言われただろうし……人を使って居場所を探ろうと調査しているかもしれない。
「――アリアンヌさん。その方の名前は、今後口にしてはいけません」
「でも、彼はお姉様の……」
「……縁を切ることも条件に含まれていました。ここにいるというのはそういうことです。どちらにしろ、あなたには関係の無いことですのよ」
もう話すことも特にないのならと立ち上がろうとすると、待ってくださいと言ってアリアンヌがわたくしの手に自分の手を重ねる。
「……待ってください。もう言いませんから……少しだけお話を」
そう弱々しく口にしながら、アリアンヌは……ちらりと扉を気にしてから、今日あったくだらないことを話しながら、先程しまったばかりの筆記用具を勝手に取り出しはじめる。
自分語りを止めぬまま、ノートの空白部分にさらさらと何か書いて……ん? もしや筆談でも始めるつもりか。
『お姉様はご存じかと思いますが、私はクリフォードさまが好きです』
「……ええ……」
話の相づちを打つかのように、わたくしも知っているという意味の言葉を発する。すると、またアリアンヌは猫がどうだとか言いながら、ノートにつらつら書いていた……意外と器用な子なんだな。
『私はお姉様のこと大好きですけど、それはそれとしてクリフォードさまを恩人として、男性としてあれ以来ずっと好いています。でも、お姉様はクリフォードさまを少しも好いていない。そして、クリフォードさまもお姉様を大切に思っていないというか、愛していないようにお見受けしました』
『そうでしょうね』
お互い親が決めただけの婚約者って間柄らしいもの。
クリフ王子にしても……こんなかわいげも無く、顔を合わせるたびに優しい言葉ではなく、暴言吐きまくるだけの精神的なストレスしか与えてこない美少女を好くわけがない。
わたくしもそうして筆談に付き合っていると、楽しいのだろうか、アリアンヌは実に嬉しそうな顔で表情をほころばせた。
話しませんから、とは言っていたから別の話題に切り替えるのかと思いきや……。
誰かが扉の向こう、あるいはマジックアイテムなどで会話を聞いていないとも限らない――ということを察したにしても、割と機転が利く。
彼女は話さない代わりに、本音と思われる内容をすすっと書いていくのだ。
『お姉様にはレトさんという想い人がいて、レトさんもたぶん、あれからずっとお姉様を想っていらっしゃるのでしたら……私は自分とお姉様のために、内緒で協力したいんです』
――……わたくしは思わずアリアンヌの顔を見つめた。
彼女はドヤ顔に近……いや『お姉様もっと褒めて!』みたいに目を輝かせてわたくしを見ていた。
『正直にお答えすると、双方にとって信頼性に欠ける提案になるためお断り致します』
わたくしがそう書くと、アリアンヌはショックを受けた顔をして、ふるふると首を振った。
『どうしてですかー!? 互いの利しかないじゃないですか!』
『あなたが自分の都合を優先して申し出てきたのは絶対本心だと思いますが、もし重大な物事の選択をしなければならぬ時、ご自身の思いとクリフ王子のご意見に相違があればどうでしょうか。クリフ王子に嫌われたくない一心で、そのまま彼の意見に頷いてしまうのではないかしら? それに、クリフ王子やマクシミリアンにわたくしが話した情報が渡ってしまう懸念もあ』『そんなことしません!! クリフォードさまの大好き度より、お姉様の方が上ですから! お姉様の幸せは私の幸せの一部です!』
わたくしが一生懸命書いていたものを、アリアンヌはペンでぐちゃぐちゃーと一気に上から消しにかかって、頬を膨らませながらよく分からん比較を書いた。しかもどこも嬉しくない。
なんだよ一部、って。だいたい何割くらいとかじゃないと、比重が大きいのか小さいのか全くわかんないんだけど!
アリアンヌが筆談ではなく声での会話として話している内容は、いつの間にか猫からクリフ王子ったら優しいんですよ自慢なのかのろけなのか分からないものに発展していた。
興味が無いからこちらも生返事だけを続けている。
しかし、その間にも真面目な話っぽいことを綴っているノートは少しずつ文字で埋まっていく。後でこの部分を切り取って、暖炉で燃やして隠滅しよう。
『もしお姉様がクリフォードさまを好きだったら……しょうがないから諦めたり、ライバルとして頑張ろうかな~って思ったりもしましたけど、顔を見て吐くほどお嫌いなら、私がお姉様の代わりに結婚しても問題ないんじゃないかなーって気がします』
顔を見て吐くほど嫌いなら代わりに結婚する、って仮にも自分が好きな相手をよくそこまで……。
彼女は本当にクリフ王子が好きなんだろうか。好きだからこそなのだろうか。しかし……。
『あなたのその意見には全く異論はございません。応援はしておきます』
『だから、それを実現するため、お姉様と私は手を組んで協力しましょう! お姉様がクリフォードさまと一緒にいるのを嫌がるのでしたら、私がお姉様を守るため喜んで身代わりになります! そして、お姉様がお友達などに連絡を取ったり、誰かと会っていても誤魔化したりしますから! 秘密は守ります!』
その内容を見て、わたくしはふむ、と一考の余地があるか己の胸に聞いてみた。
クリフ王子との婚約破棄を目指しているわたくしにとって、略奪愛をわざわざ宣言し、こちらにとって都合のいいようにしてくれるアリアンヌを断って動く必要は……全くない。
裏があったとしても、わたくしは不利益となるような情報を流さなければ良いだけの話だ……が。
この女が信頼に値するかというところ――……そう考えていると……。
またノートに『どうか信じてください。お姉様に並び立てるくらい……お姉様に信頼される人になることがずっと、私の目標でした。一度で良いです、そのチャンスをください』
そう書いて、彼女は目元を潤ませた。
「アリアンヌさん……」
「……」
以前、まだロリっ娘だったわたくしたちが……心を通わせようとしていた頃。
孤児院にいた彼女と、ラズールという大きな街でたまたま知り合って『いつかご友人だと、そう言って頂けるような恥ずかしいところのない人間になります』なんて言ってくれたことがあった。
わたくしたち魔界の陣営には彼女がアリアンヌ、すなわち【戦乙女】の生まれ変わりであるということがわかり、それがきっかけとなって疎遠になったが……その頃の思いをまだ持っていてくれていたのか。
アリアンヌは当時から『お友達になりたい』と言ってわたくしの言葉を待ってくれていた。
思えば、仲間からあいつはやめとけ、と言われて……渋々だったとしても態度を変えたのは――わたくしのほうなのだ。
決別した日、お友達になりたいのに互いはこういう関係だから出来ないと、レトの前で泣いていたことを思い出す。
彼はずっと、わたくしの泣き言を聞いてくれていた。
アリアンヌは当時と変わらず、またわたくしの言葉を待っている。
一度くらい……彼女の気持ちを汲み……そう、互いに利用し合えば良い。そう切り替えよう。
『今回だけですよ』
ためらいがちに書いたその文字を、食い入るようにアリアンヌは見ていて……。
「うれし……いっ」
こくこくと何度も頷き、はらりと一筋、涙を流した。