ラッセル・ローレンシュタイン伯爵とその妻、クラリッサ。
公爵の息子であるマクシミリアンに丁寧な挨拶をした後、わたくしを見つめる。
「……リリー……ティア……」
娘の名を呼んだだけなのに、その声はかすれて、聞き取りにくい。
「お久しぶり、か……初めましてなのか……ごめんなさい……どのようにご挨拶すればよろしいかしら……うまく言葉が出ませんの」
「やはり……記憶は戻っていないのか?」
「はい。恐らく、二度と……。そして……不在中連絡もせずご心配をおかけしたことは、配慮が足りず大変申し訳ございませんでした」
両親という方々に立ち上がって深々と頭を下げれば、彼らは言葉もなく顔を見合わせ、諦めたような息を吐いた。
それがどういう心情を表しているのか……それをわざわざ聞く気もないし興味もないけど、わたくしが推し量れることは――……もう、娘は変わってしまった、以前のような家族の関係には戻れない……ということを両親は悟ったのだろう、ってことだ。
この家で覚えていることといえば、部屋に駆け込んで来て、娘の記憶が無いと知るやひどく困惑した当主の顔。
そのときこの……母親には会っていなかったが、リリーティアは決して愛されずに育ったわけではない……くらいは分かっている。
記憶を無くした娘を彼らが受け入れられないこと。
そしてわたくしも、彼らを親だと思って接することが出来ないこと。
それは一般的には悲しい事かもしれないが、わたくしにとっては……ありがたいことでしかない。
「……どうか半年間だけ辛抱なさってくださいませ。それを過ぎればわたくしは学院に通いますし、卒業時にクリフ王子との結婚が決まらなければ、今度こそそのまま除籍していただいて構いません」
「そんな、お姉様とクリフ王子が結婚されるのは悲しいですが……除籍なんて、とんでもない! 嫌です!」
「そうですよリリーティア……あなたはまだ帰ってきたばかりです。今後のことは、もう少し落ち着いてから話し合いましょう」
母という女性がそう取りなして父親がうんうんと頷くのだが――……以降相談せぬまま、この条件で固まることになるのだが、今回一番反対したのはアリアンヌだった。
ひっしとわたくしの腕にすがりつき、いやだと首を振る。
うっとーしい……じゃなかった、可憐で権力もない女の子のわがままそのもので可愛いのだが、さんざんな目に遭っているわたくしには、何かふつふつとした怒りが湧いてくるようだった。
そうはいっても、わたくしをここに連れてくるため、今までマクシミリアンが行った労力は計り知れない。
出奔中に何度か会ったマクシミリアンの配慮で大事にせずいられたようだが、それでも、今回ばかりは拒否できない者――すなわち王族――の命令だったから、彼も動かざるを得なくなった……ということもよく、それはもう、説明されなくとも充分に分かっている。
なぜなら同じ理由だからこそ、わたくしも帰らざるを得なかった。
もちろん、やろうと思えば本気の失踪という手段を執ることなど容易いことではあったが、後々の行動に差し支えてしまう。
それを避けるため、マクシミリアンの要請に応じたと言いきっても問題ない。
魔族と戦う人間を育成するための場所……セントサミュエル学院にクリフ王子が入学するので、その婚約者であるわたくしも、殿下をお支えするため共に通え――という条件を。