【魔界で従者を手に入れました/44話】

――クライヴさんは、クドラクと決着をつけても、つけなくても死んでしまう。

それは、あまりにも衝撃的だった。

「なっ、なんで!! なんでそんなこと考えるの!? クライヴさんは死んだらダメだよ!」

本当にもう一度よく考え直してほしいと思う。だけど、クライヴさんは決めたことだと言って取り合ってくれない。

「ルカさん。貴女のお気持ちが理解できないわけではありませんが、その考えは些かクライヴさんに酷だと思います」

ルシさんでさえ、私に苦言を呈してくる。

いつも私の味方だと思っていたけれど、今回はそうじゃない。

「……ルシさん……」

自分でも随分悲しそうな声が出てしまったと頭の中で考えていると、その言葉を投げかけられたルシさんのほうがよほど弱ってしまったようだ。

すみませんと謝る顔が、妙にしおらしい。

「……ご存じの通りクライヴさんは、クルースニクです。
彼は生まれたときからクドラクを倒すことが宿命づけられています。
そのためだけに技を磨き、技能を覚え、今日まで戦ってきました。
そんな自分が、クドラクに噛まれた挙句に――己がおぞましい宿敵クドラクになろうとしているのです。
自分のすべてを踏みにじられる屈辱を受け、なお貴女は彼にクドラクとして生きろと言うのですか」

静かに、そして諭すように教えてくれるルシさん。

クルースニクであってもなくても、クライヴさんはクライヴさん――では、ないだろうか。

「吸血鬼に噛まれたものは、静かに身体が作り替えられていき……いずれ血を欲する。人間が食事をとるのと同じだ。
吸血行為を禁じれば、その反動は大きくなる。
ますます血を欲するようになり、自制が利かなくなって、理性を失い敵も味方も分からないまま、とにかく何かの血を得るまで暴走してしまうわけだ。
わたしは、そんな情けないものになるのは御免だ」

それはもう死んだと同じ事。自分ではないし、今だって死にたいくらいだと平然と語っている。

「だが……あのクドラクだけは、絶対に倒す。死ぬのはその後だ。
わたしに残された、人間(ひと)である期間のうちに必ず、この手で仕留める……!」

拳を握りそう決意したクライヴさんだったが、言葉の力強さとは違い、よろよろとおぼつかない足取りで通路を歩き、ようやくといった(てい)で木製の丸いテーブルの上へ置かれた自分の剣を掴む。

もう戦う準備をするみたいだけど、いったいその怪我でどう動くのだろう? そう思ったときのこと。

「ぐあぁっ……!」

苦悶の呻きがクライヴさんの口から出て、彼は剣を取り落とす。


クライヴさんの手――剣を掴んだ利き手――は、まるで火傷したときのように焼けただれて赤くなっていて、掌からは白い煙が立ち上っていた。

「……」

クライヴさんの顔には、失意と嘆きのようなものが……初めて人間らしい表情が浮かんでいる。

初めてこんな顔を見たけれど、得したとか、嬉しいとかは思えない。

だってそれは、クライヴさんがクルースニクとしての力を失ってきていることと……クドラクに近づいていることをはっきり証明している。

「――クライヴ。そんなんじゃお前、もう羊膜も装着できないんじゃないか」

落ち着き払ったヴィルフリートの声に、現実を認めたくないクライヴさんは『そんなはずはない』と幾度か譫言のように呟いた。

「わたしは……まだ、こうして人間として生きている! 今のは、ただの」
「クライヴさん……確かに貴方は『まだ』人間です。
ですが、貴方にこの剣を握ることができる、クルースニクという資格はもうない。
戦うことなどは……もう無理なようです」

沈痛な面持ちで、ルシさんがクライヴさんの剣を拾い上げて机の上に置く。

だが、クライヴさんは置かれた剣を再び握り直そうとして、さっきと同じように火傷を負っている。

「こんなことはあり得ない!」

手から煙がでているというのに、クライヴさんは剣を掴もうとするのを止めずに握ったままだ。

「やめなさいクライヴさん! 手が使えなくなりますよ!」

ルシさんがグイと引っ張って剣をもぎ取ると、クライヴさんは『何故だ!!』と、苛立ちのあまり大きな声を出した。

「何故堕天した君が平然と聖剣を握ることができる!?
何故クルースニクだったわたしが、聖剣を握ることができなくなっているんだ!
わたしの命はまだ尽きていない……まだ人間なのに何故握ることすら叶わないんだ!」

もう一度、何故だと叫んだ。その問いに答えられる者は誰もいない。

泣き出してしまいそうなくらい悲壮感に満ちた顔をするクライヴさんは、ルシさんの腕に収まっている剣を見つめてその場に立ちすくむ。

クライヴさんの言うとおり、堕天してしまっているはずのルシさんは、聖剣を腕に抱いていても煙どころか、痛がるそぶりなど微塵もない。


なんだか、もう見ていられないよ。


これはいつものツンなクライヴさんじゃない。

私がさっきショックを受けていたように、今クライヴさんも現実を受け入れられなくて抗ってる姿は人間らしいけど、こんな状況は見ている方だって辛いよ。

「ヴィルフリート……ルシさん……本当に、クライヴさんをなんとかしてあげられないの?」
「安い同情なんかすると、余計クライヴが惨めだぜ?
この際、分かるようにはっきり教えてやった方がコイツの為だ」

もうクドラクが倒せないんだからな、とはっきり口にするヴィルフリート。


ルシさんも私も、そして当の本人クライヴさんも黙りこくる。そんな私たちを、ヴィルフリートもかける言葉がないのか、腕組みして眺めていた。


剣は握れず、クドラクを倒せないでじわじわ吸血鬼と化していくクライヴさんは……もう死ぬしか道は残っていないっていうの?

それに、吸血鬼になっちゃったら……私たち、戦わなくちゃいけないの?


やだよ、そんなの。


「お前等……まるで葬式みてぇなツラしやがって。なんだよ辛気くせぇ」

ああ臭い、とルシさんをからかうのと同じような口調でヴィルフリートは鼻先を手で仰ぐ。

いくらなんでも……今言って良い事じゃない。

「――ヴィルフリート、あんた……」

いい加減にしなさいよと怒りかけた私の前に手を突きだし、まぁ待てと余裕たっぷりの表情を見せるヴィルフリート。うん、こんな時でもいつものヴィルフリートだ。

そして『クライヴ』と名前を呼んで、自分の方へ気を向かせた。

「……クルースニクに付ける薬はないが、昔から吸血鬼化にパニックを起こす奴はゴマンといる。
代々のウァレフォルにも、吸血鬼化を【治療】する事はない」

一瞬期待させておいて、今更分かりきったことを……。

「だが――吸血鬼になるのを止める事はできる。
正確には、お前の身体の時間を少し戻して、その状態に留めておけるだけなんだが」

その一筋の光明が見えたことに、クライヴさんは目を見開いて本当かと尋ね返す。私でも同じ事するよ。

「本当だ。俺はウァレフォルを冠する悪魔。
薬やアイテムを作ることで、俺の右に出るものなどいない」
――おお……ヴィルフリート……。

そんなすごい切り札出し惜しみして、任せろとか自信たっぷりに言い切っちゃうあたり、悔しいけどなんだか格好良く見える……! いや、格好良いよっ。すごく素敵だよ。

そんな私の視線に気づいたらしいヴィルフリートは胸を張り『もっと俺を褒め讃えろ、敬え』と(言っているように)私へと流し目を向けた。

「……適当な事言っているんじゃないでしょうね」
「おい、そりゃあんまりじゃねぇか? ……まぁ、俺だって作るのは久しぶりだけどな」

まず大丈夫だろうと言い切るヴィルフリート。

私も彼の薬を作成する腕前に不安はないけど、難しい薬だったら、それなりに難易度も上がるだろうし。

私がそういう事を憂慮している間に、ヴィルフリートはクライヴさんの気持ちを確かめるため、どうするんだと訊いた。

「お前がどうしてもクドラクを倒すために力が欲しいなら、相互利益の為に協力してやらんこともない」

ヴィルフリートから相互利益、なんて思わぬ言葉が出たため、クライヴさんも訝しんで表情を曇らせる。

「……君ら、いや、ウァレフォルにどんな利益が?」
「俺もいつかはこの役目を後継に渡さなけりゃならない。そのときには、情報も多い方がいい。
今や人間は貴重なサンプルでもあってな、どれくらいの調合をすればいいのかを記載しておけば、応用も利くだろ」

むーん。それらしいと言えばそれらしい答えだけど、なんか……考えはそれだけじゃないような気がする。

私と同じく、クライヴさんもそう思っているのか、返事をしかねる様子でルシさんを見たり私を見たり、懐疑的な様子だ。まぁ、何かあると思われてもしょうがないよね……。

「それだけなのか?」
「他にも俺の中ではいくつかあるが……教える必要はないだろ。
お前がどうしたいか、だけだ。どうする。このまま死ぬか? クドラクに殺されるか?
一縷の望みにかけるか? 好きなものを選べ」

俺の気が変わらないうちに考えてくれよ、と愉しげなヴィルフリート。

怪しいな、絶対何かあるぞ、これ。

何かあるのは分かっていても、クドラクになる前の自分に(多分何か条件があるかもしれないけど)戻れるばかりか、剣を全力で振るうことができるという魅力的な条件を持ち出されたクライヴさんとしては、断るのも惜しいはず。

現に、何度か唇を噛んだり、ヴィルフリートを見据えたり、かなり苦悩している様子が見受けられる。


「――こうして悩んでいる間にも、わたしの身体は死に近づいているのだったな……。
ウァレフォルの手腕と、人間性を信じる他にあるまい」

あ、やっぱり提案を受け入れることにしたみたいだ。

よかった……これでクライヴさんはとりあえず、大丈夫なんだね。

「俺の人間性をアテにするなよ。なんといっても悪魔だぜ?
それじゃ幾つか訊くぞ。お前、苦難に耐える覚悟はあるか?」
「……必要なら耐えよう」
「よし。じゃあ次に……」

言いながらヴィルフリートはチラ、と私を見て――

「お前は何故、そうまでしてルカを守るんだ?
言っちまうと、ルシエルの力でもクドラクはうまくやりゃ塵にすることはできるのも知ってるだろ」
「……彼女は関係――」「クライヴ、正直に言えよ」

ちょ、なんか妙な話になってきてない?

クライヴさんは急に押し黙るし、ヴィルフリートはそれはそれは、もう愉しそうだ。

「皆の前では話したくない」
「わかった。お前の採血がてら聞こうじゃないか……ルシエル、ルカの側にいてやってくれ」

すると、ルシさんも素直に頷いて、私の背を軽く押しながら部屋を出ましょうと口にした。



それから私たちは、居間でぼんやりとヴィルフリートがくるのを待った。

ルシさんとは他愛ない話をしたけれど、いつも二人っきりになるとするような、そういう色気のあるものではない。

私もルシさんも、ヴィルフリートとクライヴさんがどんな話をしてるのかが気になっていたし、状況的にも心理的にも……愛を囁きあうような気分にはなれなかった。

二時間くらいまでは時計を見ながら過ごしていたから数えていたけど、気がついたら私はいつの間にか眠ってしまっていて……再び目を開けた時には、ヴィルフリートが疲れたとか言いながら居間へ来たタイミングだった。


「ヴィルフリート……!」
「おう。ちょうど起きたか」

もう朝じゃねぇか、俺も寝てぇよ、とか一人ごちながらヴィルフリートは伸びをする。

すると、やや遅れて姿を見せたクライヴさん……!

だったのだけど、クライヴさんの様子はさっきと全然変わっていない。

「ちょっと、ヴィルフリート……薬作ったんじゃないの!?」
「作ったぞ。でも、お前たちにも見せないとまたうるさいと思ったから連れてきたんだ」

親切なのか、そうじゃなんだか……。

折角だったら、完全復活のクライヴさんを見たかったんだけどな。

「作ったのは、薬じゃなくアイテムなんだ」

ヴィルフリートはクライヴさんを椅子に座らせ、勿体ぶった様子で懐から黒いものを取り出した。

よく見るとそれは、細い金属製のチョーカーだ。

外側が黒くて、内側には魔法文字みたいなものが、もう隙間が無いくらいにびっしり彫り込まれている。

チョーカーにくっついてるチャームにあたるものは、大きく口を開けた竜がついている。

うん、まぁ、男の人らしいチョーカーって感じはする。

「これは本来、老化を食い止めるためのチョーカーだ。
ご婦人方も、若い姿のままでいたいっていう願いがあって、時々作ったりするんだよ。それを少し応用しただけだ」
「薬じゃないんだ……」

なぜかがっかりした私に、薬だと身体から抜けていくだろと叱るヴィルフリート。いや、責めてるわけじゃないんだよ……。

「だが、そのチョーカーは……困ったことに副作用が出るんだよ。その副作用が、いったいどんなモンなのかが分からねえ。
というのも――副作用の出方が、皆違うんだ。
ある者は殺戮衝動が高まったり、ある者は激痛が数日続いた。
ただでさえ改良を加えたこのチョーカーじゃ、俺ですら何が起こるか判断つかない。だから、どういう症状かは……保証できないから聞いたんだよ」

あ、だから苦難がどうって聞いたんだね。

ヴィルフリートもまるっきりひどい奴じゃないんだ。

チョーカーを手渡されたクライヴさんは、しげしげとそれを眺め回してから、やや緊張の面もちでそれを首につけた。


着けてから十数秒経ったけど、何かが起こる気配はない。

「……これで、いいのか?」
「まさか。さっき採血しただろ。それが必要だ」

そして、また胸ポケットからヴィルフリートが取り出したのは、真っ赤な楕円形の宝石。

「さっき、クライヴの血を垂らして吸わせておいた。
この宝石を、竜の口にはめ込むんだが……どういう副作用が出るかが分からない……覚悟は良いか?」
「ああ」

クライヴさんも頷いて、いよいよその宝石が竜の顎にはめ込まれた。

「……宝石の血は、使用者の種族によるんだよ。
最初はまず問題ないんだが、クライヴの場合――吸血鬼化が始まってたからな。そこからが微妙なんだ」

鮮やかな紅い宝石がワンポイントになった、わりと素敵なチョーカーだったりするんだけど……。

クライヴさん、大丈夫……かな?


「う、っァ……!」

そう思った矢先、クライヴさんは胸を押さえて苦しみだした。

チョーカーが赤く光って、クライヴさんの身体がびくびくと跳ねる。

胸を押さえる手にも力が篭り、押さえているというより握っているみたいに強張って、爪が胸に食い込んでいる。

様子がおかしいことに気付いたのだろう、ヴィルフリートがクライヴさんのチョーカーや彼の様子を観察すると……眉を寄せた。

「これ……副作用、じゃないな。拒絶反応を起こしている……!」
「じゃあ……っ」

ルシさんの手がクライヴさんの肩に触れたが、獣みたいな悲鳴と共に白い煙が立ち上ったため、ルシさんもすぐに手を引っ込める。

「なんてこった。いきなりクライヴ本人の血じゃ効果が出ないってことかよ……。
くそっ、どっちだ! 吸血鬼か、人間か! どっちの種族の血が必要なんだ!」

ヴィルフリートでさえ悪態をつきつつ、目の前で苦しむクライヴさんを辛そうに見て焦っていた。


同じ種族じゃないと効果がない……? クライヴさん、人間、なんだよね……?

「あの、ヴィルフリート……私の血、使ってみて。
住む世界は違うかもしれないけど、同じ人間ということなら、彼が助かる可能性があるかも」

おずおず腕をまくって手首を見せるように差し出したが、ヴィルフリートは返答に困ったようで言葉を詰まらせた。

「うまく……いくとは限らないんだぞ」
「だって、今ここに吸血鬼いないし、いたとしても姿を見せなかったら人間の血をどうにかするしかないじゃない」

それに――ぜいぜいと苦しげに喘ぎながら椅子ではなく床をのたうち回って、恐ろしい悲鳴を上げ続けるクライヴさんをどうにかしなくちゃ、身体がますます弱ってしまう。

「――分かった」

頷いてくれたヴィルフリートは、クライヴさんの前に膝を付くと短い魔法を唱えてチョーカーと紅珠を外し、再び私の所へと戻ってきた。

チョーカーを外されたクライヴさんはといえば、拒絶反応とやらが無くなったみたいだ。

床の上に仰向けで倒れていて、さぞ苦しかったのだろう。額にはまた汗が浮いていて、胸は大きく上下している。

「……少し血を抜くために切るから我慢しろ」

私が頷くのを見てから、指をとって指先の腹に黒い針を突き刺す。

ちくりと痛みが走って僅かに顔をしかめちゃったけど、クライヴさんの痛みに比べたらこれくらいどうってことない。

ヴィルフリートが針を抜くと、じわじわと指に赤い玉が浮き、そこへ取り外したばかりの宝石を押し付ける。

血に触れた瞬間、珠玉は生きているかのように淡く光ったけれど、その輝きもすぐに失せた。


「お前の血を吸わせてる。もう二分位待ってくれ」
「うん……」

そんなに吸うの、こいつ?

だけど、私の血が誰かの命を救うのに役に立つ(かもしれない)なら嬉しいよ。献血みたいなもんかな。

じっと宝石を見ていたから分かったんだけど、宝石は弱く明滅している。

「これ、生きてるみたいだね」
「生きちゃいないが、特殊なモンだ」

そろそろいいだろ、と宝石を私の指先から外し、まじまじと宝石を燭台の蝋燭の灯に透かして、ふむと納得したような声を出すヴィルフリート。

チョーカーを再びクライヴさんの首に付け直すと、じゃあもう一度だと言って、珠玉をはめ直した。



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