ルシエルにルカの手料理を奪われた俺は、腹立たしい気持ちを押し隠さずクソ天使と毒づきながら自室に戻っていく。
なんで今日に限ってあいつも起床が遅いんだよ。
だが、腹を立てるべきはルシエルだけじゃねぇ。ルカ、お前もお前だ。
ああして俺を誘っておきながら、あっさりとルシエルに甘い顔を向けやがる。
しかもまだガキのくせに、俺には見せないような優しい表情をルシエルには向けている所も気に入らない。
確かに、時折ルシエルの表情に形容しがたい危険なものがあるような気はするが。
(ルカは『病みオーラ』だとか訳の分からない呼び名をつけていた)……そうまで甘やかしてやるほどだろうか?一緒にメシを食った後で、朝の『番』ということもあったからルカを美味しく戴こうと思っていたのにな。くそっ。
そもそも、ルカは俺がここまで(性的な面を)育ててきたんだぞ。
『番』については仕方がないとしても、ルシエルに気持ちを寄せてやる必要はないはずだ。あのクソ天使も図々しくルカに懐きやがって。ここまで寛大な俺に敬意くらい見せたらどうだ。だんだん腹が立ってくる。
「面白くねぇ……!」拳で叩くように自室の扉を開け、いつものように瞬時に部屋を確認する。誰かが入った形跡はないが――本やガラス管で場所の殆どを奪われている机の上で、青白く発光する手紙を発見してしまい、舌打ちした。
勝手に送られてくるにしろ、急な召集状ほど面倒なものはない。面白くないときには、何もかもが重なるものだな。
机の上から手紙を取ると、それに指を押し当てて開封し――目を通す。
俺は飼われるのも嫌でどこの派閥にも属してはいないが、魔王が呼んでらっしゃるとあらば、無視を決め込むわけにもいかない。
しかも、これはうちの地域だ……ふん、新しい魔王? また増えたのか。ご苦労なこったな。
魔王となる条件のようなものは無いにしろ、それ相応の力を持っているのだろう。
だからって、この地域に来ることはないのにな。呼ばれない限りは行かないが、挨拶も面倒くせぇんだよ。
出かける支度をしていると、誰かが近づいてくる気配がある。
この城には、俺の術が至る所に張り巡らされている。結界から感知、防御に攻撃。勿論隔離もしようと思えばできる。
侵入者が来れば、眠っていようとアレの最中だろうと気づかないことはない。
――だが、こちらに向かってくる気配は、そんなものを使わなくてもわかる。ルカだ。ルカと俺は契約で繋がっているが、身体や心を重ねていくにつれ、魂というか……ルカである存在自体に俺との『絆』みたいなものが付与されていく。それは生まれ変わっても同じで、来世だろうと俺にはすぐ分かるようになっている。ま、当然だ。
ルカもコツさえ理解すればそれも分かるだろうが、あえて教えていない。
人間は運命の出会いとかいう妄想が好きだからな。生まれ変わって『出会って恋に落ちる運命なんだ』ってからかってやるのも面白いじゃないか。ま、来世も俺から逃す気はないが。
「ヴィルフリート、食事持ってきたよ~?」ドアがノックされて、俺を呼ぶルカの明るい声。食事でも作ってくるなんて、どうやら自分でも悪いと思ったんだな。
俺の気を引こうとしているのか、そういう可愛いところもあるんだが――残念ながら構ってやる時間がない。
俺の楽しみも減るし、もっと早く出せとか言われるのは予想できるんで本当は使いたくないんだが、ルカには精を与えてやらなくちゃいけないな。
そっと手を握り、呪文を詠唱すると、下腹部をそっと撫でて握った手を開く。
そこには白い錠剤がいくつか。まぁ、正体は言わずともいいが……勿体ない魔法だ。
「……ヴィルフリート?」返事をしなかったせいで、ルカが訝しんでいる。すぐに扉を開くと、俺の姿を見てルカが何やら驚いていた。
その手にはサンドイッチの乗った皿。どうやらこれらは俺の分、という事らしい。
ああ、この面倒な呼び出しさえなけりゃ、お前ごとすべて平らげたのにな。本当に残念だ。
「――急に出かけることになった。夜まで戻れないから、朝の相手をしている時間がない。いいか、ルシエルは補助だからな。この錠剤を飲んでおけよ。
渡すと同時に、皿の上からサンドイッチを幾つか掴んで、足早に城を出ていく。
階段の上からルカの文句が聞こえてきたが、教えてやる必要はない。
言ったらどうせ、飲まなくなるからな。
俺の居住地域には、二人程魔王が居た筈だ。もう一人増えたから今は三人か。
居住地域と簡単に言ってはみるが、ルカの世界に当てはめて考えると……そうだな、日本とかいう地域が俺の居住地域だとすると、北海道から東北、関東から関西、山陰から四国・中国地方、って具合に魔王が治めているってわけだ。
何せ地下世界全体が魔界だ。魔王なんざ、掃いて捨てるほどいる。
俺は統治も派閥も部下の管理も面倒だから、魔王にはなりたいとも思わない。何がいいんだか。
ちなみに、新魔王の城は俺の城からさほど遠くない位置にある。まったく、やりづらいな。
顔を拝んで帰るくらいなら気楽でいいが、ウァレフォルだとか言われると翠涙石を引き合いに出されるのも面倒だ。
だいたい奴らはそれが欲しくて俺を呼ぶんだが、部下になる気もない。今なら主人がいるのでと口実もあるしな。
しかし――……新魔王を見て、俺は驚愕せざるを得なかった。
驚愕というより、信じたくはなかったというべきだろうか。
玉座の間に通された俺は、そこに悠々と座っている女に、一瞬すべての感覚を奪われた。
「いらっしゃい……ヴィルフリート、お久しぶりね。300年ぶりかしら」俺を見つめる青い瞳には愉悦と懐かしさが混在し、ぞくりと背筋を撫でるような色気のある声色には、和やかさと親しみを感じさせる。
質の良いシルクのように光沢がある紫色の長い髪に、闇色の黒いロングドレス。どちらも彼女の美貌によく似合っている。
300年ぶりに見ても――あの頃の美しさを……いや、あのころよりももっと美しかった。
「エスティディアル……まさか、お前が魔王になるとはな」くすくすと笑ってから、エスティは玉座を離れ、俺の前まで歩いてくる。
その目には、女の色気と……かつての面影を感じさせた。
「……ねぇ、ヴィル……。単刀直入に言うとね、わたしの右腕として働いてくれないかしら。つぅ、と、俺の胸元に指を這わせて頬を寄せたエスティ。
彼女なりに、ヨリを戻したいというアピールをしているのだが……。
「悪いな、エスティ。俺とお前はもう……あの頃とは違うし、ヨリを戻す気はない。彼女の柔らかな肢体を押しのけ、俺は溜息まじりに答える。
とはいえ、四ヶ月も前なら――その話に乗ったかもしれないが。
確かにエスティとは心を許しあった間柄ではあったし、憎みあって別れたわけでもない。
そういった過去もあり、当然断られると思っていなかったエスティは多大なショックを受けたようだ。
「なっ……、どうして? わたしの何がダメなの?」確かに主人に仕える事と自分のプライベートは別として考えて構わないものだ。
だが、今の俺は全てを一緒にさせている。
「……俺の主人は女だが……女の魅力なんて、お前と比べたら全く足りない。あげつらってみると、ルカ、お前は全くいいところが無いな……。俺はエスティの誘いを蹴る自分を異常に物好きだと感じたぞ。
そしてエスティも同様に、そんな奴に女としてのプライドを傷つけられたのか、柳眉を吊り上げ『人間ですって?』と不快感をあらわにしていた。
「そうだ、俺の主人は人間だ。しかも異世界の女。粗末、と言われて、俺は湧いた感情を抑えきれずエスティを睨みつけた。
「確かに俺の取った行動は自分でも情けないと思うぜ。だが、俺の主人を粗末だと愚弄するな。エスティがびくりと肩を震わせ、少女のような顔をする。
「……な、によ……そんないい方……。わたしの気持ちは、どうでもいいって……いうの?」ここまで言う必要はないのだが、こうはっきりしないとズルズル後腐れが残るからな。
そもそもだ。謁見がどうして色恋沙汰になるんだよ。
エスティは拳を握り、俺を睨むように見つめながら嫉妬の情を見せる。
「……その好きな女っていうのは、今の主人?」どっちと一緒に居ても生活は変わらないからな。毎日『番』もあるし。
ただ、ルカが年を取ってくると正直なところ辛いが、不老長寿の秘薬を作るとなると、材料を集めるのが面倒だ。
かといって、ルシエルがアムリタなんか持っているわけはない。不死にしたら、あいつ人生飽きるだろうしな。
「――ちょっと! 聞いているのヴィル!?」俺が考え事に没頭していると、エスティが烈火の如く怒っていた。
「何だよ、うるせぇな」当然ぞんざいに扱われた女は怒るわけだ。
覚えてなさい、と言いながらエスティは――俺の頬に痛烈なビンタを張った。