時計塔の内部では、ゼンマイの発する規則正しい音が響いていた。
ギギギという古めかしい金属が軋む音。時折階下で時を知らせる音が鳴るのだが、ここへ来る間に階段や仕切りに吸収され、耳を澄ませば微かに聞こえる程度となってしまっている。
攫ってきた人間の娘は、なんとウァレフォル――ヴィルフリート卿の主人だという。
今までどの魔王にも従わなかったあの気位の高い若造が、このような気品のない娘に忠誠を誓うなどという事が未だに信じられぬ。
とはいえ、協力や従属を求めてくる相手は己の力を高めてくれる『翠涙石』欲しさにウァレフォルを飼いたがっていた……というのが本音であるというのも、あのヴィルフリートは知っていたので誘いは全て断っていたのだが。
それに、ウァレフォルを殺してしまったり幽閉してしまえば、それこそ翠涙石は二度と手に入らない。
うっかり機嫌を損ねても同様、あの男は作らなくなるだろう。
運良く従属させても扱いづらく、いつ牙を剥くか分からぬ存在であったヴィルフリートを躾けて飼い慣らした『主人』の手腕は、偽りなしの驚嘆に値する。
その『主人』である娘にも興味を持った我は、目的のため――クルースニクをおびき寄せる餌として――拐かしを実行することにした。
悪魔同士の諍いであればクルースニクは動かないだろうが、人間が吸血種に連れ去られたならば動くはずだ。
人質となる事も露知らず、湯浴みの頃に漸く一人になったため人質として連れ去った後……じっくりその顔を観察してみたが、愛らしさはあるものの、至宝となるような美しさではない。
しかし、磨けば光るであろう輝きは秘めている。ふむ、これは数年経てばそれなりに美しくはなるであろう。
はじらいはそれなりにあったようで、肌を申し訳程度に隠すタオルを握ったまま気を失っていた。
では、この躰は如何なるものか。邪魔なタオルを乱暴に奪い取ると、その肢体が我が双眸に晒された。
気の強さが現れていた瞳は意識と共に深く沈んで閉じているが、可憐な薔薇を思わせる唇は薄く開いて、一定の呼吸を浅く繰り返している。
気を失っているだけなので、そのうち眠りのヴェールも消えて目覚めるはずだ。
まだ成熟していないであろう年齢と見受けたが、透明感のある白い肌は滑らかで傷ひとつなく、とても豊かで形の良い双丘は、男に淫らで熱い劣情を抱かせるには申し分ないものであった。
あの若造に何度も突き散らされたであろう娘の淫靡な花園は、本来の形を汚く歪める事無く……それどころか、男を知らぬような穢れなき色をしている。
一瞬、まだ純潔なのではないかと頭をよぎったが、そういえば若造の隣には、羽根の白さからして堕天して間もないであろう天界の住人がいた事も思い出した。
天使には治癒能力があるはずだが、そのせいで花弁も美しく保たれているのだろうか?
天使が神を主とせず、娘を『我らが主人』と言っていたからには、この娘……天使とも契約を交わしているというのか。異なる存在同士をも惹きつけ、ましてや契る娘とは……。一体いかほどの価値があるのか……?
柔らかく、張りと弾力がある若い娘特有の肌にむしゃぶりついて試してみたくもあったが、若造……ヴィルフリートに自分から告げた約束がある。
そこは残念だったが、約束の時間までにクルースニクを見つけられなければ、この娘は我の好きにして構わぬというだけである。
我に従属させてしまえば、この娘の従者も我が物となるのだ。
自身の主人が我を熱賛しながら淫らに犯され、あられもない嬌声を上げ続けるという痴態を見つめながら、我の靴裏と床の間に額を擦りつける屈辱に身を震わせるヴィルフリートを――是非現実に堪能したい。クルースニクを片付けた後ならば、その喜びは格別だろう。
その強い喜びと興奮を想像するだけで、我の雄は隆起していた。
愉悦が溢れ、喉の奥から低い昏い嗤いがこみ上げてくる。
その時、丁度娘がゆっくりと意識を取り戻し――瞳を開いたようだった。
薄暗い室内。耳鳴り――とは違う、なんだか変な音が頭の中か室内に響いている。
……ここは、どこだろう……?急に声がかけられたことと、自分が裸だったはずなのに気づいて、慌てて胸とアソコを隠そうとしたけど……腕に痛みが走った。
「痛っ……?!」そして、足も全く動かせなかった。
じゃらりという金属の音が耳の間近に聞こえたので、そちらを仰ぎ見ると……手首に、鎖が付けられていた。足首にも。
「ちょっと……! どういうつもりなの!? この鎖を外しなさい!」思わず声を荒げ、眼の前に立っている……私を誘拐した男を睨みつけた。
だけど、男は全く動じない。それどころか、やっぱり私の身体を無遠慮に眺めている。
「そっ……、そんな眼で、人の裸を見ないでよ! 変態! 何か着るものくらい出したらどうなの!?」悪魔と違って、私風邪とかにも気をつけないといけないんだから!
しかし、男は何がおかしかったのか、喉の奥で笑っていた。
なんか……何考えてるかわからないあたりが凄く怖くて気持ち悪い。
「――起きたばかりだというのに、気丈な娘だ。そうして男は首元から大きく指を回すようにしながら自身の胸へ掌を戻し置き、片足を後ろに下げた姿勢で一礼するという、貴族っぽい挨拶をした。
つまり、なんか言葉を綺麗に飾って並べたところで、平たく言えば『ヤリたい』でしょ。冗談じゃないわ。断固お断りよ。
「……どう思おうが、私はあなたに体も心も許さないんだから、関係ないわ。げっ。この人、表情も変えずにとんでもないことを言ってるけど……!? こ、これは見事な変態。
私がドン引きしているのも気にしていないのか、堂々と視姦宣言をしたこの男は、私の真横に椅子を持ってきて、腰を下ろす。
ていうか椅子はどこから出てきたんだろうか。いや、こんな魔法世界で、突然現れる椅子なんていう瑣末なことはどうでもいい。
「人質である自分の体調を気遣うより……彼らが間に合わなければ我の欲望をその身に受け続けるということのほうへ、気を揉んだほうが良いのではないかな?男は熱っぽく語りながら、私の首筋を指で撫でる。言葉と正反対に体温が低くひんやりとした指は、私の身体に鳥肌を立てるに十分だった。
いや、鳥肌は、男の気持ち悪さで立ったのかもしれないけど。
あわわわ、真面目に怖すぎだよ、この人。この辺に医者と病院はないの!? 収容しておきなさいよ、こんな妄想力が強い患者!
ともかく、この妄想患者(面倒臭いから電波って呼ぼう)は、私に興味が有るようだ。
嫌だよー、怖いよ。話だけでも気持ち悪いプレイしようとしてるのに、現実ならもっと過激な事をするに違いないんだから。
「絶対嫌よ……! あんたなんかに、私の身体をイジられてたまるもんですかっ!ボコボコでは飽き足らない。ギッタギタのフルボッコだ。
「……これはこれは、考えの浅いお嬢さんだ……! さぞ毎日が楽しかろうに!」電波男は、言うに事欠いて『私の頭は悪い』と告げて笑い出した。ムッカつく……!
ヴィルフリートにならまだしも、見知らぬ男にこうまでバカにされるとは、さしものルカさんも黙ってられないわよ!
「失礼じゃないの! 何が気品を尊ぶ種族よ! 相手を尊重することも貴族の嗜みじゃないの!?つい怒りに任せてしまったが、ヴィルフリートは貴族のくせに相手を尊重していたりしなかった。ここは突っ込まれると反論できないなぁ……。
「む……一理ある。我としたことが何たる失態。常に心がけよう」あれ、なんか素直に反省している。なんだかわかんない人だな。電波だからかな。
「……わかったら、鎖外してよ」全然取り合ってもらえなかった……ですよねー……。私だって、もし邪な考え持ってたらみすみす逃さないよ。
そうして、男は無言になって、私も喋りたくないから口を閉じたんだけど……。
でも、あれから瞬きも少なに、私の身体をじっくり眺め続けている電波な男。時折ニヤッとするから、こいつの頭の中で私は汚されているのかもしれなかった。
うう……嫌ぁ。凄く気持ち悪いぃ……。
まだ目の前で、自慰とか始められたほうが気が楽だよ。いや、勿論嫌ですよ? 願い下げですよ?
でも、うっかり『嫌』だとか『もうやめて』って口に出すと、こういうのは嫌がる事を喜んでやってくるような最低な輩だと思うのよ。
この気が病んでいきそうな空間で、私は自分の身体が、なんとなく違和感を持っていることに気がついた。
身体が、なんだかずしりと重たい。
手枷足枷をはめられているから――だけではない。
だるくて……気持ち悪いのも、もしかすると体調が悪いせいなのかも――
『僕の側にいなければ、ルカさんは瘴気の吸収が早くなっていくんです』もし、悪魔の精を受けてから丸一日経っているなら……。
ルシさんの呪い(愛情にもマルチ対応)の『贖物』が、うまく働いちゃって、私の身体に瘴気が入ってきているんだ……!!
つまり、抵抗が格段に落ちて、病気になりやすくなっている……!
それは本当に、こんな状況じゃ一大事だよ……!
電波男が何してくるか分からないのに! ていうか何もしてこないけど、ヤツの頭の中では確実に何かが行われてるんだよ!!
……や、それどころじゃない。なんか……こんな時に……! こんな時だからなのかなぁ! なんかもうよくわかんなくなってきた!もじもじと身体を揺らした私に、男が気づいて声をかけてくる。
「バカ! あんたなんかに見られて興奮するわけ無いでしょ!? ト……トイレ、行かせてよ……」恥ずかしいけど、おしっこしたくなっちゃったんだもん……。裸だから身体が冷えたせいかもしれないじゃない!
しかし、やっぱり私は言った事を後悔した。
男はそれこそ嬉しそうに目を輝かせたからだ。椅子から立ち上がって手を叩いている。
「おお、それはいい。是非ここでするべきだ。我の眼前で、嫌悪し恥じらいながら解放するがいい! さぁ、早く!」それはそれは、スタンディングオベーションまでして楽しそうですねあんた……。
「絶対嫌! 膀胱炎になったって、あんたなんかの目の前でそんな事――」そうして、懐から小瓶に入った水……? に、あのラッパのよく効く黒い薬みたいな……多分スライムのタネ(?)を入れて呪文を唱え始めた電波男。
あの時と同じように、にゅるにゅると瓶から出てくるぶるぶるした魔物が生まれた。
ちょ。マズイマズイマズイ!! 私もあの時のニーナみたいに色々されちゃうわけ!? お尻にも入るわけ!?
私が否定の言葉を口にしかけたので、男の眉が期待に上がった。
それを見て、ぐっと口を閉じた私に、ふんと鼻で笑う。
「さて……いつまでその気丈さが続くか、見せてもらおう……さぁ! 早く甘美な歌声と絶望の悲鳴を聴かせてくれたまえ!」言うや否や、男は私のお腹の上に、瓶ごとスライムを放ったのだった。