【魔界で従者を手に入れました/10話】

ヴィルフリートが予想していた『女の仕度は長い』という理屈……というか理論? のようなものは、見事に裏切られることになったりする。

そもそも着るものを一番最初に要求したんだから、それを終えていた私の身支度は、割とあっという間に終わってしまった。

軽くニーナがメイクを施してくれたから、その間に髪をブラシで綺麗にとかすだけだったし。

彼女は手入れの面倒くさい眉も、手早くきっちり整えてくれたばかりか、ラインも書いてくれた。

「魔界とはいえ女性は綺麗にしなくてはいけませんし。勿体ないものね♪」

うーん、私を騙して売った元凶ではなければ……彼女とはすごく仲良くしたいところだったのになぁ!

ここを割り切って付き合えるほど、私はまだオトナになりきれない。

さっき貰ったリップもつけたし、これで準備はオッケーだね。

「出来たよ。そんなに時間かかってないはずだけど」
「……おう」

のっそりした動作で壁から背を離して、ヴィルフリートが私に近づいてくる。

そして、じろじろ上から下まで、また舐めるように見てから――フッと微笑んだ。

「俺の好みじゃないが、なかなか似合ってるもんだな」
「あんたの好みなんかどうでもいいし。でもお礼は言っとく。ありがと」

そこで、ヴィルフリートは『可愛くない女』と悪態をついたが、それは本当に大きなお世話だ。

確かに彼が出資者ではあるんだけど。絶対こいつには懐いたりしないんだからね。

さっさと先に進むヴィルフリートの後を、私はいつもと違った足取りでついていく。

ヒールって履きなれないから、後で足がちょっと痛くなりそう……。

あぅ……なんか、下半身……お股のところがじわじわ痛い、けど……

まだ我慢出来ないレベルのものではないかな。

慎重にゆっくり歩く足音に気づいたヴィルフリートは後ろを振り返り私を見やり、じわじわ眉をひそめて渋い顔をする。

「……何でアヒルみてぇな歩き方してんだよ」
「う、うっさいなあ。いろいろ……歩きづらいだけ」

そのへんな顔のまま片眉を上げていくヴィルフリートは『面倒な女だなあ、マジで』と吐き捨て、ひょいと私を横抱きにして歩き出した。

「わっ……! ちょ、ちょっと……! 何すんの!?」
「どうせヒール履き慣れてないだけだろ。ダセエ服着てたようなガキだもんな、お前」

うぅ……バレてるところが恥ずかしい。

さっきもされたけど、またお姫様抱っこで移動しないといけないの……?

確かに歩く必要ないから楽だけども。

荷物みたいに肩に担がれるよりはいいのかな。

――これ、腕を相手の首に回したりしないとこっちの安定が悪かったりするんだよね。

顔にかかるヴィルフリートの髪はさらさらしててくすぐったいし、ヒールもこのままじゃスッポ抜けそうだ。

だから、せめて足の指先に力を入れて反り返らせると、簡単にヒールが脱げないようにしてみた。

……でも、それすらヴィルフリートに見抜かれているらしく、その場に屈むと、立てた膝の上に私を座らせて、ヒールを掴むとまた姫だっこをして歩きだした。

「靴持ってればいいんだろ」
……うん。割とヴィルフリートは優しいし、いろんなことよく見てる。

ただ。悪魔だっていうことと、女の洋服や下着への趣味は悪い――ということかな。

女の趣味は知らないし、興味はないけど。

こうして、【一度は恋人にしてほしいシチュエーションランキング】があったら上位にあるかもしれない……ような『姫だっこ』と『優しい言葉』をかけられながら、連れてこられたのは階段を数階分上ったところにある鉄製の扉の前だった。しかも、鍵穴とかはついていないし。

よく分からない様々な飾り模様が施されている、重そうな扉の中央部。

骸骨の目に当たる箇所の空洞部分から、蛇が自分の尻尾を咥えているという図式の取っ手……という、なんともダークな感じのデザインだった。ゴシック好きには喜ばれそう。

ああ、そうか。このお城は全体的にそういう感じなんだ。そう思えば怖くはないかな。

こういうのも日本人は、すぐ受け入れちゃうから独特の文化が発展したってわけで……とか、誰も聞いてないか、そんなこと……。

「この中に、主人さんがいるの?」
「んー? まぁ、今後そうなる」

今後? じゃあ今は違うってことなのかな? でも、ここに連れてきたってことは、主人さんが居るわけだよね。

確認のためそう聞いてみると、この悪魔は先ほどと同じ言葉を繰り返す。何なのよ、もう。

うーん……。

説明も不十分だし、どんな人かもよく分からないまま、私はヴィルフリートへ扉を開けるように促した。

だって急にこのドクロが笑ったり、蛇が本物になって手に巻き付いてきたりしたら怖いもん。

しかし、その心配は不要だった。

あっさり取っ手を掴んで、引き開く。ああ、これ重そう……。私の力で開くこととかできるのかな?


扉を開けた途端、中から『むわっ』って擬音語が合いそうな感じで紫色の瘴気がこっち側に溢れてきた。

ニーナとヴィルフリートがしてくれた説明だと、これは人間の身体には良くないものらしい。

初めてでいきなりだったのにヴィルフリートの精を身体に受け入れたから……害が及ぶことはない。らしい。

今日のところは大丈夫というだけなんだけど、やっぱり気分いいものじゃないので敢えて避ける。

避けたって、部屋の中には充満しているみたいだ。

部屋をのぞき込むと、部屋の両脇から正面に――無数に設置されている燭台には全て、蝋燭の灯火が揺らめいていた。

数はざっとみた感じ、100や200ではない気がする。

これだけの蝋燭を使用しているというのに、瘴気がその光量を阻んでいるせいで室内は薄暗い。

この扉からまっすぐ、一番遠いところ。

ぼんやりと浮き上がるように……奥に一段高い場所があるのが見える。

多分、あそこにヴィルフリートの主人さんが居るんだろう――というのを、何となく察知した。

そこには黒っぽい薄布がかかっていて、肝心な主人さんの様子はわからない。


「入れよ」

ヴィルフリートが顎で示し、文句言ってやるとか息巻いていた手前、とうとう引っ込みがつかなくなった私は……おじゃまします、と場違いな挨拶をしながら部屋の中へと入っていく。

でも、歩き始めたらヴィルフリートがまた私を抱えあげてくれた。

自分の主人との対面だっていうのに、この悪魔はなにも喋らない。

テレパシーみたいなものでも出し合っているのかな? じっと彼の顔を見ていると、視線に気づいたようで、ヴィルフリートも顔を私のほうに向けた。

「……挨拶、しないの? 主人さんに……」
「ん……そうだな」

なんとも曖昧な返事。私が居る前だと恥ずかしいのかな。そりゃそうか。自分の主人に『今から人間に説教されてください』とはいいづらいもんね……


だけど、驚くべきことがあった。


ヴィルフリートが、主人さんの居るであろう場所にかかっている薄布を無言のまま空いている手で掴むと勢い良く開く!!


「――あ……れ?!」

主人さんが座って居ると思っていたのに、そこには誰もいなかった。

「ヴィルフリート……どういうこと? 主人さんいないよ?」

まさか透明人間……? と、勝手な妄想を膨らまし始めた私に、意地悪な笑みを浮かべたヴィルフリートは『いるじゃねぇか』と、その椅子の上に私を座らせて、ここに――と告げる。

急な展開すぎて、私の思考回路は動いていない。

数秒ヴィルフリートと見つめ合った後、自分を指差す。


「わ……たし?」

やっと出た言葉だった。


そう、と深く頷いたヴィルフリートは、私の前に片膝を床につけて跪く。

「さっきも説明したろ。
俺たち悪魔が何やらを頂くってことは、相手の願いを叶えてやるときだけだ。
まぁ、中には非処女・非童貞だったりもあるわけで、それは魂を頂くための契約……とか、俺たちにとって都合のいい話での商談になる。
なんたって、こっちが力を貸してやるわけだから契約上優位にいるわけだしな。あと、出来ない事は拒否できるし。
しかし――相手が処女やら童貞だと話は別。それを貰う、って本来は同意してコトを成し得たときに貰う、ってわけ。
異論がない……つまり俺たち側が、相手の要求の一切合財を了承したときだけだ。
だが、無理やり奪ったら相手に死ぬまで従うことになる。それを俺たちは【契約】と呼んでいる。本来は……まあ、恥ずべきであり、上級悪魔にとってはあるまじき行為だ」

それがあったわけか……今回。

「一時期はそういう【契約】も多くあったから、俺たちの間でも十分注意してきた。
だが、上の世界に多くいたはずの人間は急激に減っていき、いつしか人間自体が俺たちを呼ぶこともなくなった……存在を忘れちまったんだな。
で。俺が最後に人間に会ったのは……いつだったろうな……もう忘れるくらい前……数百年単位での昔だ。
処女の匂いも味も忘れていたせいで、久々の人間にガッついたのは一生の不覚だが、やっちまったもんはしょうがない。
試してみたら味も俺好みだったしな。退屈はしなくなりそうだ」

そうしてニヤリと笑われるのだけど、セクハラ発言だし、好きな人でもないからなんかちっとも嬉しくない。

「ま、あれだ。【契約】しちまったんだから、お前は否応なく未来永劫俺の主人ってことだ。

俺もお前も可哀想に、主従関係が刻まれてる。生まれ変わってリセット、とかは出来ねぇ」
……あまりにあっさり言っていたから、ちょっと『ふーん』とか聞き流しそうになっちゃったけど……。
「えぇーー?!」

事の重大さに、私は大きな声を出して立ち上がった。

「何よそれ! どういうこと?! できないことはしないって言ってたじゃない!」
「出来たから背中に痣が浮いたんだろ!?
俺だって、出来ると思わなかったが――実際出来ちまったんだからしょうがないだろ!」
「うそつき!!」
「嘘なんかついてねぇ!
だいたい、俺の契約内容なんだから、俺が一番ありえなさをヒシヒシと感じてんだよ!」

あ、これは本気で言ってる。目がマジだもん。

拳を握りしめて力説するヴィルフリートは、ほんとふざけた内容だと文句を言っている。どうやら、彼自身としても本当に不本意な契約だったらしい。

「……とにかく、今更内容の変更は出来ない。
お前の願い【ムカつく酷い奴らをボコボコにして、俺を未来永劫こき使ってやる】ことは叶えてやるつもりだからな」

うあ、契約の変更は出来ないとか冗談じゃないよ。クーリングオフとか契約不履行とかそういう法律とかはないのか。

「だから、そのためにお前には少し強くなって貰う。
明日から剣の握りから魔法の使い方まで、みっちり教えていくからな。今日は初日だから勘弁しておいてやる。
こっちもいろいろ準備もしなけりゃいけないしな」
「ん? 強くなるって、戦うって事?」
「当たり前だろ。お前が一撃で死んだりしたら、俺の沽券(こけん)にも関わる」

つまり自分の契約とメンツのため、私をスパルタ教育して少しは戦えるようにするつもりだな……。


もうおなかいっぱいです。


「それ、私にメリットあるの?」
「お前が言い出したんだろ!」
……言ったけど言ってない。

でもどうしよう。私がこの悪魔の主人で、一緒に戦っていかなくちゃいけない。

喧嘩腰で言い放ったセリフが願い事として受理されるなんて……。お陰で過酷な運命が待ち受けてるんだ……。

こんな事ならもっとまともな事を言っておけば良かった。後悔先に立たずとはよく言ったものだよね。

「……とにかく、契約は変えられなくて、私も家に帰れないし、ヴィルフリートの城……。
ここであんたに養って貰うしかない状態……ってところは合ってる?」
「ああ。おおむねそんな状況だろうな」

そうか……。四六時中ヴィルフリートと顔を合わせることになるんだ。

「衣食住もちゃんとしてよ」
「へいへい」

超面倒くさそうに返事をして、逆に俺からも確認したいことがあると言ってきた。

「何?」
「お前を『ルカ』って呼んでいいな?」
……ええっと。それは……どうしよう。

さん付けにさせるか、様付けにするか。塩澤さん、とかだとしっくりこないな。ご主人様、も反応できないかもしれない。

「うん。わかった、それでいいよ」
「よし。じゃあそう呼ぶ。
で、次に……お前はこの世界の瘴気に弱い。
一日あけずに契約者同士での精を受けておかないと、たちまち病気になったり、最悪死ぬ。だから――」
「ちょっと待って。事あるごとにやろう、ってんじゃないでしょうね」

慌ててその先を確かめると、ヴィルフリートはしばし考えている。あれ、違うのかな。

「夜だけにしておこうと思ったが……そっちの方がいいな。よし、そうしよう。頻繁にしておけば心配はいらないな」
「やだ! それは嫌だよ!! そんなレディコミックみたいなるのは困るっ」

なんか言っちゃいけない事を言ってしまったような気がするけど、しょっちゅうエッチして万が一クセになっちゃったりしたら……い、いやだ。そこから先は考えないようにしよう。

「とにかく、死ぬよりマシだろ? あともう一つ」
「まだ要求あんの?!」

それだ、と、ヴィルフリートは私を指さした。

「お前、言葉遣い悪いぞ。俺の主人になるんだから、もう少し口調も女らしくしろ」
「あんただって悪いじゃない」
「あんた、じゃなくてあなた、だろ」

クッ。急に厳しくなった。

「なんだ、反抗的な態度をとるなら……身体に分からせるようにしながら教え込んでやってもいいんだぞ?」

俺は嫌じゃないしな、なんてふざけたことを言ってくる。

ああもう、何から何まで! 私の人生今日で終わった! はい終わったよ! もうなんとでもなれっ!

「わかった……わよ! ちゃんと上品に振る舞えばいいんでしょう?! もうヤケだわ、やれる範囲からやるわよ!」

ちょっとヒス気味に言い切ると、ヴィルフリートは『その言葉、忘れんなよ』と静かに言った。うう、何なんか怖いんですけど。

「じゃあ、我が主人(あるじ)ルカ。末永く頼むぜ」

最後の最後ですごく爽やかに言ってのけたヴィルフリートだったが、私には言葉通り――悪魔の微笑みにしか見えなかった。



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