【ルフティガルド戦乱/33話】

魔術ギルド内にある応接室は、入り口も狭かったが室内は奥に長く、通路の先にソファセットが見える。

細長い通路の奥へと進む間、本棚の隙間を影で出来た小さな猫が歩いていたり、壁や天井の区別なく、蛇の尾を持つトカゲが部屋中を忙しなく移動していた。

アルガレスではほとんど見かけない精霊語で書かれた書籍、どういう仕組みなのか試験管の中で循環し続ける水など、貴重かつ神秘の存在がオブジェのように飾られている。

カインはそれらに興味を示さず先を行く老人の背ばかりを見続け、ラーズは周囲と仲間の様子を確認するようにしながら歩き、レティシスは神秘の品々を興味深く見つめるといった、三者三様の態度でついていく。

「……座りなさい」

革張りのソファを示した老人は、カイン達が腰をかけるのを見てから自身も対面のソファにどっかりと腰をかけ、目前の青年達をじっくりと観察する。

その10秒にも満たないであろう時間でも、どこからか心地よい風を感じる。窓は厚いガラスでぴったりと覆われているのに――本当に不思議な場所だった。


「申し遅れたが、儂は魔術師ギルド・クライヴェルグ支部を預かる長、エイブラムです。
人目が多いところでの交渉はいろいろと支障がある。ゆえにこちらに移させて頂いた」

そう言ってエイブラムは王族への非礼を詫びたが、カインは首を横に振ると、ラーズへと話の続きをするように目配せする。

「……支部長さん。早速……助力の件ですが」
「ラーズ殿、そう急くでない。
あなたがたの話を断片的に聞き、こちらの持っている情報と照らし合わせた現在の状況を簡単に推測させていただこう」

エイブラムは一度ラーズから視線を外し、息を軽く吐いたあと、再び彼を見据えて口を開いた。

「イリスクラフトの御息女であるシェリア様は、ベルクラフトに何らかの強引な方法で連れて行かれた。
あなたがたにとって、シェリア様から手を引いてほしいというベルクラフトとの交渉はほぼ消え、奪還しに行くので屋敷と手がかりを探るためここに来た――という事で合っていますかの」
「……はい」

ラーズが頷き、カインとレティシスからも意見は出なかったため、エイブラムは更に続ける。

「ギルド側から意見をさせて頂ければ『なぜ今なのか』というところですな。
カイン皇子は魔王を討伐するために出立したと流れ聞いております」
「……討伐?」

怪訝な声を上げたのはカインである。本人は停戦を願い出に行くのだ。

それがいつの間にか――討伐するために国を出ているということにすり替わっている。

「ええ。クライヴェルグ国内でも話題です。軍事国家の皇子が国の期待、いいえ……ヴォレン大陸だけではなく世界の解放を願い、世界を渡り歩いて魔物と戦いながら仲間を募っていると」
「……そんな大々的な誤報がどこから出ているというんだ!」
「そう仰いましても、実際アルガレス国内では随分と盛り上がっておいでの様子。我々も情報は世界のどの支店からでも手に入ります。
即ち、現地からの情報を入手することだって出来るし、詳細を調べることも可能ですので。あなたの意思とは違う形で国と世界の期待がかけられている……ということでしょう」

カインは忌々しそうに目を細め、悪態をつく。

「国内はもとより、世界の平和も確かに望んだ。
だが、魔王討伐だと……?! そんなことをして、魔族全体を刺激したらどうなるか考えていないはずもない! 帝国側も何を考えている……」

言いながらも、カインはその噂が魔族に……魔王親衛隊の耳に届いていないはずはなかったのだと理解していた。

だからこそ、ブレゼシュタットではあの女……アダマスが、そして五代目のラエルテと既知であったアカテュスが、彼らの前に姿を見せたのだから。

あの時アカテュスが剣を抜かなかったのは、『本当に今回だけ』見逃してくれたに過ぎない。


――共存できるかどうかというお話しであれば、無理でしょうな。

アダマスを回収しながらアカテュスが静かに言い放ったその言葉は、明らかな拒絶だった。

この魔王討伐の噂を聞いたからなのか、彼の意見なのかは定かではない。

どうあれ、他種族と同じ土地で共存共栄は出来ない。する気もない。そういう事だろう。

だが、人間側の意識がこれ以上増長しては危険だ。魔族を刺激し、魔族の強襲や人間側の派兵に繋がる恐れも出て、カイン達の行動は抑制される結果にもなる。

一度加熱し始めたものが冷めるには大きな衝撃……カイン達が壊滅状態になるような出来事に遭うことだと、カインは知っていた。それは同時に人々の心から、抵抗を失わせるものだ、とも。

カインは不意に、あの黒い魔女と初めて出会った日のことも思い出す。

『はじめまして、光の加護を持つ皇子様』

妖艶に微笑みながら、女はカインの耳元で囁く。

自分は動けず、初めて見る『黒』に、美しいとも感じられず……恐ろしい、とすら思った。あれは害を生む者だ、と。

『まだ――……でしょう?』

あの時、もしも首を横に振っていたのなら……いや、そんなこと『できるはずがなかった』から。


『皇子』

嘲笑じみた女の声が降ってきて、額に手を置かれる。赤に濡れる髪を指で梳きながら。

女の唇は、愉しげに予言めいた呪詛を吐く。

『あなたは……いつか約束に、   て――自分で、   ……そして、その……を、返すようになる』

その言葉の意味を十分知ることもなく、それでいいと目で訴えて、カインはそれを受け入れた。

何を言われたか、一部はもう思い出せない。だが、自分が助かったと理解したのはそれから数日もかからなかったというのに。

だからといって、あのまま、というわけにもいかなかったのだ。


「――カイン様、いかがされました」

エイブラムの声にハッとしたカインは、暫し自分の意識が過去の記憶に囚われていたことを認識し、すまないと口にする。

「……考え事をしていた。こちらに意見を聞いていたのなら……もう一度教えて欲しい」

カインがそう伝えると、エイブラムは同じ話を、一部要約して繰り返す。

「イリスクラフトとベルクラフトの間だけならば、まだギルドの意向で済む問題に押さえることは出来る。
が、問題なのは……アルガレスとブレゼシュタットの王族が絡むとなると、非常に厄介です。
王族のお二人は、ラーズ様に任せて今回様子を見ていただけないでしょうか」
「……ラーズは、なんと」
「本当に話し合いのみで済むのならば、カイン様も同行する形がよかったでしょう。
ですが、今回は手荒になる事が高い確率で予想されます。カイン様は、どうか――」
「……オレのせいでシェリアは連れ去られたのに、その責を負わず手を出すなというのか」

カインの声に冷たい響きが含まれるのを聞きながら、ラーズはひと呼吸置いて頷いた。

「わたし個人の我が儘と……ほんの少しの一族問題です。
カイン様もフィーア王女も、シェリアを助けたいと思う気持ちがおありなのも知っています。
ですが、もしもベルクラフトとわたしの間で死人が出た場合、わたしだけなら私怨で片付けられるよう国に配慮――ギルドはそう手配してくれます。
アルガレスとブレゼシュタットの王族が絡めば、三国の連合条約に響く恐れが」

条約のことを思いだし、カインは渋面を作る。

【ヴォレン大陸三国連合】とは、アルガレス・ブレゼシュタット・クライヴェルグが不戦を締結した同盟条約で、現在もまだ生きている。

アルガレスからミ・エラス共和国が生まれる前の条約のため、直接的にミ・エラスは明記されていないが、ミ・エラスもこの条約のことは知っているはずだ。

「オレが、手を出さなければ……うまくいくのか?」
「……確証はありません。だが、あなたはシェリア以外にも守らねばならぬ立場と目的がある」

カインは俯き、膝の上に置いた拳を握る。

シェリアが無事かどうかも分からない。助けることもかなわない。そして――助けられる保証もない。

手立てもないが、そうするしかない……というのだろう。なぜ自分には何も出来ないのかと不甲斐なさに歯噛みした。

「全く手が無いわけではありませんが……儂の呼んだ実行係がどうするかですな」

悔やむカインの頭上から、エイブラムの声がかかったので、カインはゆっくりとエイブラムを見据える。

「……その姿を隠していただけるならば、手はあります」

そう言った所で、応接室の扉は乱暴に三度ノックされ、開いた。


「ギルド長、はいっちゃうよ~!」
「こら、やめなさい……!」

ばたばたと通路を小走りに駆ける音。そして姿を見せたのは、二人。

先に姿を見せたのはまだ年端もいかぬ少女。

太めの眉と勝ち気そうな顔には抑えきれぬ好奇心が見え隠れし、後方の女性にフードを掴まれじたばたと細い手足をばたつかせている。

もう一人のほうは、二十歳前後の女だ。緑色の短髪と浅黒い肌が印象的だが、どこかおどおどとした態度を見せる。

「……彼女たちは?」

カインが二人のほうに視線を向けながら尋ねると、エイブラムは苦笑しながら口を開く。

「子供のほうがイルメラ、そちらの娘がミュリエル。二人とも戦闘向きの術士ではないが、隠密行動はこう見えて得意です」

こう見えて、というように……ぶーぶーと不満を露わにしている少女と、おどおどしながらも少女を窘める女性は、確かに隠密行動が得意そうには見えない。

「ラーズ様を先行させたあとカイン様と共に館へ侵入し、カイン様はシェリア様の捜索、そして彼女たちはベルクラフトの情報を入手する」
「……情報?」

怪訝そうな声を上げたカインに、ベルクラフトの活動については把握しきれないことがあると告げたエイブラム。

「何やら奇妙な術や儀式を執り行っているという噂が。しかし、定期報告書には術への取り組みや構想への意思は記載されない。
研究としても、彼らには分相応ではないものを扱っていたなら……これは虚偽と魔力暴走の恐れがある」
「世界に支店のある各職ギルドは大きな力を持っている。特に国の特色を持ったギルドは……煩わしいものでしょうね。
ギルドと力の差が大きく広がって対抗できなくなる前に、何らかの異を見つけて制限をかけたいと国の上層は考えているはずです」

ラーズがそう説明すると、エイブラムは首肯する。

魔法国家であるクライヴェルグにとって、優秀な魔術師を多数集めた魔術ギルドは強大な勢力である。

王宮魔術師になるよりギルドで腕を磨きたいという魔術師も多く、王国に魔術師が集まりにくいという議題もあるという。これは国の威光にも関わることだ。

ギルドとしては自由に活動する権利とそこから生まれる利益を得ているのだから、国家にこれ以上大きな問題や摩擦を与え、活動を縮小することになる事態は避けたい。

そこに飛び込んできたのがイリスクラフトとベルクラフトの因縁で、ギルドとしては『ついに来たか』という心境と『事を荒立てて欲しくない』という本音が混在している。

他国の皇子すら絡む今回の事件。ギルドとしても、間違えれば国家どころか戦争の口実を与えかねないギリギリのところを歩もうとしているのだ。

エイブラムは静かにラーズ達を見回すと、いいかね、と告げる。

「場合によっては、ギルド証を剥奪しなければならん。
それはベルクラフトだけではなく、イリスクラフトも同様であると留意するように」
「……はい」

ラーズが神妙に頷くと、頼みましたよとカインにも言葉をかけ、後ろに立っていた二人を呼び、皇子だと判断できぬよう身を隠す処置をと命じる。

「説明はミュリエルからやってもらえそうだから……はじめまして、イリスクラフトのご子息さん!
あたしはイルメラ! 長からベルクラフトの屋敷への案内と同行を命じられましたッ!
危なくなったら逃げますから、あなたもそのつもりでお願いしますねえ?」

くせのある青い髪を両脇で結い、はつらつとした口調でイルメラはラーズに指を突きつけ、挑戦的に笑う。

「お気遣いありがとうございます。わたしたちは逃げるわけにはいきませんから、あなたがただけでも無事でいて下さいね」

ラーズは突きつけられた指を見つめながら、優しく微笑むと――イルメラは何か思うところがあったか、可愛らしい唇を噛みしめ、ふっくらとした頬を紅潮させる。

「くっ……、あたしを子供だと思って余裕を見せているんだなぁ~っ!? これだから大人って嫌だっ」
「や、やめなさいよ……あんたが束になったって、この人には勝てないし、勝手に話進めないでよ……迷惑」

鼻息も荒いイルメラの長いマフラーを引っ張り、ぺしんとイルメラの頭をはたいて窘めたのがミュリエル。

青い瞳には迷いのようなものも見て取れる。

まるで手綱を操るかのようにイルメラを引き寄せ、すみません、とラーズに頭を下げた。

「この子のせいで不快にさせて、失礼しました……いつも犬みたいに考え無しにいろんな人に噛みついて……バカなんだから……あっ、それで……」

ミュリエルはちらりとカインを伺い、彼と目が合うとすぐに伏せた。

「……顔立ちが綺麗だから大丈夫だと思うけど……喋らなかったら、大丈夫……きっと」

よく分からないことを呟きながら、ミュリエルはカインに後ろから近づき、支度をしましょうと声をかける。

「嫌かもしれないけど、自分のためだと思って、堪えてね」



カイン達が自らのために動いているとは、想像もしていないであろう。

彼女の意識は、胸を刺して倒れた瞬間から、刻を進めていない。

たゆたう意識の中、シェリアはそれからようやく……何かの存在を精神で感じていた。

『シェリア……』

誰かが、自分の名前を呼んでいる。

【誰】の声かという判別はできないまでも、カインや仲間達の声ではないことは何故か分かっていた。
『起きて』

それに、こうして意識下で何者かに呼ばれることは旅に出てからというもの稀に起こり、その度に心にさざ波が立つ。

――また何かが起こるの? こうして呼ぶのは、あの黒い女の人かな。私をどうしようというのだろう。信じていいのかな……?
『シェリア、ここへ来て』

葛藤を悟ることなく、声はまだ彼女を急かすように呼び続ける。

『……が、あなたを』
――あなたは誰? どこへ来いというの?

『――早く、目覚めなさい!!』

その言葉の強さに驚いたか、偶然夢から覚めたか。シェリアはぱっちりと目を見開いた。

瀕死の状態から目覚め、状況判断よりも第一に感じたのは、今まで経験したこともない――圧倒的な身体の不調。

四肢の感覚が著しく鈍いうえ、鉛のようにずしりと重いし、胸には鈍痛がじくじくと響く。

そして、シェリアが一番驚愕したのは身体にあれほど満たされていたはずの魔力が、枯渇していたこと。そう、全く残っていないのだ。

これまでの生活では、いくら体調が不良でも、魔力が安定しないときでも魔力が『枯渇すること』など一度もなかった。だから、彼女にとってこれは初めての経験である。

――ここは、どこなの?

身体の感覚が安定しない。いや、精神と身体が、上手く合致していない。

魔力にも異状があり、これは早急に回復を試みなければならないと判断できる程度には、彼女の思考や判断力ははっきりしていた。

だが、身体は動かない。そして……ほぼ感覚的になのだが、彼女は精神と身体の間に薄い【何か】が入り込んでいるような、そんな不安がある。

じわじわとゆっくり、身体と心を侵食していくような……そして、いつかは、魂が【喰われていく】ような想像が頭をよぎった。

「う、っ……」

不快さに思わず呻き声を漏らした瞬間、部屋の中で何かが動く気配がした。



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