【ルフティガルド戦乱/22話】

カイン達はリフラムの関所前へ無事に転移し、フィーアの執務館へ到着した際、彼女はすぐに出迎えてはくれなかった。

それどころか館内の様子は少々慌ただしく、そう広くもない玄関前は魔導具を抱えた者が行き来している。

「すまない、何かあったのだろうか」

通りがかった魔術師らしき男を捕まえて尋ねてみると、魔法陣の書き換えをしなければならないという、実に要領を得ない返答だった。

更にどうしてなのかと問うても、この男も事の顛末まではよく分かっていないそうだ。

釈然としないままカインは男を解放し、メイドに案内された応接の間で待機して数十分後――。


「お待たせしてしまい、大変申し訳ございません……国賓の前に、このような格好で出るのは申し訳ないことだと理解しておりますが、これ以上お待たせするわけにも行きませんでしたから」

ようやく館の主であるフィーアが姿を見せた。


「……王女、再会を喜ぶ前に。その腕の傷は一体何があったのです……?」

怪訝そうな声を発したカインは、彼女の出で立ち……あの緩く巻かれた髪が崩れてぼろぼろになっていることや、腕に擦り傷があることを指摘する。

「ええ、少々こちらで……あら、キョウスケさん、貴方随分血まみれですが、お怪我は大丈夫ですの?」

気丈なフィーアが言葉を濁しつつ、恭介の怪我を見て『互いにイレギュラーがあったようですね』と口にした。

「はは、面目ない。傷口は塞がっていますのでご安心を。
王女、たくさんご報告が――あっ……!」

恭介は右目を押さえ、何かを堪えるように、そして何かに集中しているかのように床の一点を睨んだままだ。

「大丈夫か? どこか……目とか痛むんなら」
「平気……力が発現するときは【そういうもの】なんだ」

心配そうな表情を浮かべて恭介の肩へ手を置き、様子を伺うレティシスに微笑むと、すぐに自身の鞄から緑色の本――ルフティガルド戦争――を取り出し、ぱらぱらとページをめくる。

その奇妙な行動をフィーアは何も言わず容認しているが、カインたちは何事かと互いに顔を見合わせ、ただ恭介の行動を見守るだけだ。

恭介はページを送っていた手を止め、ある箇所を読み始めた。

「……シェリア様が『試練の鏡』で倒れた」

恭介がそう口にすると、フィーアが目を閉じて沈痛な顔で首肯し、反対にカインは目を見開く。

「なん……シェリアが倒れたって、一体どういうことなんだよ! あんた、シェリアに何したんだ!!」

カインが何かを言うよりも早くレティシスが身を乗り出してフィーアに抗議するのだが、それをラーズに止しなさいと宥められる。

「でも、ラーズさん……!」
「フィーア様が説明して下さるはず。きちんと最後まで話を聞いて」

そう言ったラーズでさえ、冷静であろうと取り繕っているのが目に見える。

そんなラーズの心境を慮ったレティシスは、微動だにせずフィーアの言葉を待つカインをちらりと見てから唇を噛み、元の姿勢に戻った。

すると、カインがゆっくりと口を開いた。

「……試練の鏡、とはなんだ」
「――……っ」

カインの声は抑揚がなく、ただ淡々と尋ねてくるが――フィーアはその態度に異様さを感じ、背筋が凍るような感覚すら覚えた。

だが、ここで怯んでいる場合ではない。フィーアは再び気を落ち着かせ、カインの問いに答える。

「……この国の王家が、己が心の弱さと向き合う場所を【試練の鏡】と呼ぶのですわ。
偽りであると分からぬまま、自身が生み出す心の世界に入り込む。
そういった特殊法陣を敷いた部屋……シェリア様をそこにお連れしたのです。
彼女は強く在らねばならない。自身の為に、そして――何よりカイン様の為にも」

そうしてフィーアが説明した顛末は、シェリアが法陣に中に入り自分の心、そして心の世界と向き合ううちに、感情を抑えきれず魔力を暴走させるに至ったのだ、という。

暴走を食い止めるため魔力介入したフィーアもまた、多少なりとも傷を負ったようだが――当のシェリアは大きな外傷は無く、気を失って眠っているとのことだ。

「シェリアの意識は戻るのでしょうか」

ラーズはフィーアが尽力してくれたことも承知した上でそのように聞いてみるが、フィーアは浮かぬ顔。

「……無事であると、信じています」

返事は弱々しく、その場にいる者――しかし恭介以外――の心に暗い影を落とし、不安にさせた。

ただ一人平然としている恭介は再び緑の本のページをめくると、柔らかい声で『大丈夫だよ』と告げて一同の顔を見る。

「シェリア様は、夕方には目を覚ます。これは絶対だ。
怪我は擦り傷だけ。記憶障害は無いし、何も心配は要らないよ」
「あてになるのか、その言葉は」

これには棘のある口調でカインも反論する。

「確かにそうあって欲しいが、なぜそんな確証もないことを確実だと言いきれる? シェリアの具合がその本にでも書いてあるというのか」
「そうだよ。詳しくは後でね」

心の内でも見透かすかのような恭介の黒瞳はカインを捉え、一度瞬きをした後、悪意なくゆっくりと細められる。

にこりと微笑む恭介にカインは奇妙なものを感じたが、確か恭介は帰ってきたら『全てを話す』と言っていた事を思い出した。

ここでフィーアは自分側の事情ばかり話していたことに気がついたようだ。

「あら、失礼……貴方がたがここへ戻ってきたということは、宝珠は回収できたのですね。怪我を負うほどに激しい戦闘があったのでしょう?」
「洞窟内で――カリヴンクルサスの近衛である『アダマス』『アカテュス』と出会いました」
「なんですって……?」

フィーアの表情は瞬時に強張り、思わず椅子から身を乗り出した。

が、恭介はフィーアの前に進み出ると、ご安心下さいと言って布に包まれた宝珠を差し出した。

宝珠はまだ拭ききれなかった血痕が残っていたが、丁寧に手入れをすれば取れるだろう。

「結論から言えば、この通り宝珠は回収致しましたよ。
でも彼女……アダマスはこの宝珠を狙い、ブレゼシュタットへ侵入していたようです。
が、いざ実行……と思ったら一足先にイェルマが目的の品を盗み出してしまった。
その彼女を兵士が追う。アダマスは彼らの後を追跡してあの洞窟へ侵入し、頃合いを見て兵士とイェルマを殺害。
宝珠を手に入れるところで――僕らが来たことを感知した。
戦闘になり、一応怪我はしましたがアダマスを撃退できたのはレナードさんの起死回生の一撃のおかげで、皆こうして生きています。
アカテュスは、傷ついたアダマスを回収しに来ただけで、僕らは剣を交えませんでしたので相手の強さは謎です。
あそこで剣を抜かれていたら、僕らは助からなかったはずです」

そうして恭介はレナードを振り返り、視線が自身に集中した彼はそこから逃れるように俯く。

中でも、カインの視線はレナードにとって痛いものだった。

「レナードさん……ですね? ご苦労でした」

労りの言葉を寄越すフィーアの声。レナードの胸は締め付けられるような切ない痛みを感じ、レナードは無意識に胸に手を当て、外套を握りしめる。

「わたしのような者に、そのようなお言葉を賜り……恐悦至極に存じます」
「そう畏まらなくてよろしいですよ。助かったのは事実だとキョウスケさんが仰るのですから」

フィーアはそうして小さく笑ったが、レナードの様子を見つめる恭介はこの仮面の男に、聞いてみたいことが山のようにあった。

ただ、この男には何らかの目標があり、会ったばかりの他人が尋ねたところで口にはしないだろう――ということも同時に感じている。


「……キョウスケさん」

フィーアは黒髪の男の名を呼び、彼もフィーアに視線を戻す。

「貴方の能力で視た通りに、事は運ばなかったようですわね」
「……こんな事は、初めてです」

恭介は唇を引き結び、緑の本をきつく握った。

悔しいのだろうか、とカインはふと思う。

あの本に何があるのか、彼の能力というのはどういうものなのか、それをフィーアは知っている。

そこに策謀があるのでは無いかと疑問を抱き、カインは口を開いた。

「王女、少々伺いたい」
「なんでしょう?」
「想定通りに事が運ばなかったようだと言ったが、どういうことです。
あの洞窟に我々へ内密にしていた何かがあったのですか。最初から何か別のことを仕組んでいたのか」

カインがフィーアを射るような眼差しで見つめ、彼女はそれを真っ向から受け止める。

「わたくしたちは何も仕組んでいません。本当です」
「僕がね、フィーア様にお伝えしているだけだよ」
「……その奇妙な言動の解明は、全て話してくれるんだろうな」
「そう。でも、今日は少し色々なことがありすぎた。
シェリア様も夜までには起きるけど、みんな満身創痍でお疲れでしょう……翌朝に場を設けてはいかがですか、フィーア様」

恭介の言葉に、そうしてくださるとありがたいとフィーアも答えてから、納得がいかない様子のカインに申し訳ございませんと謝罪する。

「今ここでお話しすることも可能ですが……明日、きちんと全てご説明致します。
それまで、お怒りはご尤もですが抑えて頂けないでしょうか」
「……必ず、説明を」
「アーディ神に誓って」

力強く頷くフィーアに、カインは頷きを返し、立ち上がる。

「お待ちを、カイン様……侍女に案内させます」
「結構です。充てて頂いた部屋が変わっていないのなら道は覚えましたから、問題ありません」

背を向けたカインに、そうではございませんわと薄く笑むフィーアは、中庭の方向を指す。

「眠り姫を起こすのは、皇子様のお役目でしょう……鍵を持ってこさせましょう、と言っているのです」

そこでカインの歩は止まり、返答と見なしたフィーアは握っていた手を軽く開く。

手に握り込んでいた小さな銀の鈴を親指と人差し指で摘まみ、りん――と鳴らしたのだった。



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