【ルフティガルド戦乱/7話】

「長居をして迷惑をかけた」
「そうでもないが、あんたらも今後怪我人を運び込まないような旅ができるといいな」

翌日、迷惑料込として多めの宿代を支払ったカインは、この時初めて主人の笑顔を見た気がした。

それはようやく訳ありそうな一行が立ち退くという安堵のためか、あるいは代金を乗せたせいかは定かではなかったが……。

厩舎へ馬を引き取りに向かい、鹿毛の馬へ荷を括り付けながら、カインは進んできた方角を見やった。

今日は曇り空だが、天候さえ良ければアルガレス城が見えるのではないかと思われる距離しか進んでいない。

実質一日も満足に旅をしていないのだ。

それだというのに、旅の共は……二人も増えてしまっている。

傷が痛むらしいレティシスは、カインらと共に行くと言ってきかないため、仕方なくレナードの馬に乗せて同行させることになった。

そのレナードでさえ、武器が破損してしまったため現在ほぼ丸腰なのである。

レナードの素性については、ラーズが『依頼者はわたしと縁ある者で、どのような道を通って行かれたか、また……皇子がどのような状態であることを伝える役割を担った』と説明した。

そうか、と返事はしたが、カインは微塵も信じていない。

死なれては困るというのは本当なのだろうが、それは皆同じだ。

第一そのような役目であるなら書状文や顔を隠す必要もないのだし、聞き覚えの無いレナードという名も偽りであるかもしれない。

関わりたくはないのだが、何があっても勝手についてくると言ったため、どうすることも出来ないのは明白だ。

直接的な文句は口にしなかったが、カインの表情は明るくないまま、ザルツグリューネを後にしたのだった。


「孫がすっかりお世話になりました」

レティシスの祖父らしき老爺……クラーレシュライフが深々と頭を下げて、丁寧な礼をする。

一見穏やかそうな緑青色の瞳の奥には、彼らをどういった人物であるか確かめるかのような鋭さがある。

「レティシス、お前は随分高貴な方々に命を救ってもらったらしいな」

カインの鎧に、剣と盾を守る竜の紋章があるのを見たクラーレシュライフは、緊張の欠片も無く椅子に座って寛ぐレティシスへと声をかけた。

「カインさん達が貴族って事は聞いたよ」
「馬鹿者。貴族なんて一言で済むか、この方は――」
「なに、道楽貴族が旅をしているだけだ」

クラーレシュライフがカインの素性を明らかにしようとした矢先、カインは首を振ってクラーレシュライフの言葉を遮るように言う。

高い地位にいる者が身分を明らかにしないで旅をする事など、身の安全という意味もあるためさほど珍しいものではない。

カインに何かしらの事情があることを汲むと、クラーレシュライフは返事代わりにゆっくり瞼を閉じる。

「……国を出て旅をするには、目立つ鎧ですな」
「確かに。異国で大っぴらにチラつかせながら通って行くわけにいかない。外套を羽織って覆うゆえ、さほど不都合はないと思う」
「そうですか……して、これからどちらに向かわれるのです?」

クラーレシュライフがそう尋ねると、レティシスを除く一同は表情を引き締める。

カインは至極真面目な顔つきで、こう答えた。


「ルフティガルドに」

レティシスはおろか、聞いた本人であるクラーレシュライフですら驚き、そのままカインを瞠目している。

その地名が何を意味しているのかを知らない者はいない。

しかし、そんな彼らを見てもカインやイリスクラフトの兄妹は、顔色一つ変えはしなかった。

「えぇ……、本気か? ルフティガルドっていったら魔族の本拠地だし、魔王までいるんだよな!? そんなところへ何しに行くつもりなんだ?」
「魔族と人間の停戦を話し合うためだ」
「はあ!?」

またしてもレティシスは困惑と驚きに満ちた声を出す。

カインが何を言っているのかわからない、正気か、といった様子がありありとわかる。

「停戦って……さらっと言うけど、魔族に話し合いが通じると思ってんのか!?
魔族と人間がどれほど長い年月、傷つけ合って血を流しあっているか知ってて行くのか?」

まくしたてるように言うレティシスを見ながら、これが普通の反応なのだろう、とカインは思う。

こうして身分を明かさずにいても、身分を知っている諸侯らと同じように言い、止めようとする。

「それに……カインさんはラーズさんとシェリアさん……の三人で行こうとしてたわけだろ?」

とはいえ――レティシスの方は大臣や貴族と違い、本気で心配しているからこそ言うようだが、彼の視線は時折シェリアに注視されている。

彼が心配なのは、男連中だけではなく、まさに恩人であるシェリアの事だろうとも推測できた。

「戦いを挑みに行くわけではない。
オレが預かる事のできる兵など、ほぼないといっていい。現状ではアルガレスの防衛に手一杯だ。
金銭で雇う傭兵は信頼性に欠けるばかりか、個人行動が多くなる」

傭兵も盗賊もさほど変わらないからな、と告げると、レティシスはそんな事はないと先ほどよりも強い口調で言い放つ。

「……確かに、傭兵だってロクでもない奴らはいる。
騎士じゃないから、貰った金以上には働かず、不利になると命のやり取りを捨てて逃げたりもする。
でもな、傭兵も人間だ。
信頼できる主や仲間に出会えば金の問題じゃなく、命をかけて身体を張る。
カインさん、あんたが言う『信頼性』は、職業や身分で決まるのか……?」

そうではないと言ってほしい――そう彼の眼が訴えかけているが、カインは『そんなところだ』と、表情を変えずに肯定する。

「依頼主の提示した契約金以上のものを第三者に積まれたら、奴らはそれを断るか? オレはそんな傭兵に出会わなかったな」
「……あんたの中じゃ、それが普通なのか。じゃあ、誰も信用しそうにないはずだな」
「……なに?」

意外そうな声音に、レティシスは一瞬悲しげな表情を見せて『本当なのかよ』と呟く。

「人を信頼するのって、カインさんには難しいのか?
信頼しなかったら、誰だってそいつに心を開こうと思わないだろ」

価値観の異なった意見を口にする両者は、相手がどういう人間なのかを見透かそうとするかのように、じっと眼前の男を見据える。

その様子を心配そうな顔ではらはらと見守るシェリアは、時折兄へ助けを求めるように左隣を仰ぎ見る。

しかし、当のラーズも動こうとせず、黙って見つめているだけだ。

「信頼をしない、か……。確かに、君の言う事は一理ある」

カインはそう言って、レティシスを見据えていた強い眼光を幾分和らげる。

「オレは自分と、彼ら兄妹しか信じていない。
それ以外は敵か、敵ではないか……その判別しかしていないからな」
「カインさんがどんな境遇だったかは知らないけど、もう少し見方を変える事が……出来たらいいよな」

レティシスもそういって肩をすくめたのを見ていたラーズは、先ほどの話ですが、とルフティガルドに行く話へ戻す。

「……危険だと仰って止められたのも、もちろんこれが初めてではありません。
我々は誰に命令されたわけでもなく、自らの意思でそこへ赴きます」

そして、と、ラーズはレティシスの方を向く。

「わたし達はこの世で最も危険な場所へと行きます。貴方は無事にご家族と再会できたのだから、ここでお別れです」
「ちょっと待ってくれ。俺はそんな不義理じゃない」

レティシスは憤慨したように彼ら一行に目を向けるが、義理の問題ではないとカインに一蹴された。

「死ぬ可能性があるんだ。何も関わりのない人間をこれ以上増やしたくはないし、足止めを食っている暇もない」
「そりゃ……そうだろうけど。
俺も今まで国を憂うような事を言ってた奴はたくさん見てきた。
でも、自分から少数の仲間と危険な旅をして、国を救おうと考える奴は見た事ない。
隣の軍事国家アルガレスと友好的だって、ミ・エラスの貴族達は何もしないんだ」

昼夜問わず魔族が闊歩し、人は死に作物は実る前に枯れ、森も動物も消えていく……被害は目に見えて拡大する一方なのに、この国はまだ手を打たないと語るレティシス。

そうじゃない、とカインは口を開きかけたが、民に貴族の……国の政はわからない。

貴族の側から伝えないようにしている部分もあるだろうし、何よりミ・エラスは侵攻する魔族からの防衛に多くの兵や資金を費やし続けている。

兵力はおろか、糧も――どこも国庫に余力などは無いのだ。

それを貴族は知っている。国が傾きつつあるというのに、自らの懐を痛め、祖国と滅亡を共にするような意識のある者などどこにもいない。

国民が真実を知れば、ミ・エラス全土にたちまち混乱が訪れるだろう。

勘のいい商人は既に国に近づかないし、アルガレスなどの隣国へ出た民もいる。

暴動になることを防ぐため、知らない方がいい事もあるのだと――目の当たりにして感じたのだ。

「もしアルガレスが豊かになるなら、ミ・エラスもきっと、今より良くなるはずだ。
カインさんみたいに自国のために行動できる貴族もいる。俺は平民だけど、自国の為に何かがしたい」

レティシスはカイン達の顔を見つめると一呼吸置いて、こう言った。

「俺は剣匠クラーレシュライフの孫。剣の扱いは子供の頃からこの爺さんに習っている。
助けてもらった義理だけではなく、俺は俺の育った国と、恩人を守りたい。
どうか、一緒に連れて行って貰えないだろうか」

レティシスは痛む身体を折り、木張りの床に片膝をつくと頭を垂れ、腰に差した剣を自分の前に置いた。

それを見ていたレナードは僅かに口元を引き締め、カインとラーズは無言のままレティシスを見つめ続けている。

剣を受け取るということは、レティシスの願いを叶えてやることを意味するからだ。

レティシスは辛抱強く待った。

だが、等しくカインもその時間をかけて無言の意思を貫いている。

「レティシスさん……あなたの気持ちはありがたいけど、そんな身体じゃ無理だと思うわ」

無言の空気に耐えかねたのか、シェリアがレティシスの側にやってきて膝を床に付けるようにして屈むと、彼の肩へ手を置いて頭を上げさせた。

「身体、まだ全然治ってないの。本当だったら、まだ安静にしていないといけないんだよ?
だから、恩返しより先に自分の傷を癒すことを第一に考えてほしいの」

諭すように話すシェリアにも、レティシスは首を横に振って、頼む、と哀願してきた。

「身体の心配は嬉しい。
でも、この傷が完治するころには……シェリアさん達は遠くに旅立っているだろう?
もう二度と会えなくなりそうで……自分が後悔する」

すると、先ほどから様子を見守っていたクラーレシュライフが『もうよしなさい』と、レティシスの背中に声をかけた。

「子供のようなわがままを言うんじゃない。第一そんな身体で何が出来る……孫が度々ご迷惑をお掛けして、お恥ずかしい」

髭面を渋らせ、クラーレシュライフはレティシスの剣を拾い上げようとするが、レティシスは『やめろ』と制止の声を上げるとほぼ同時に、祖父の腕を強く掴んでいた。

「確かに誰かから見たら、俺はカインさん達に迷惑を掛けてるようにしか見えないだろう。
多分、俺だってみんなと同じような位置ならこんな奴は止める……それも分かってるよ」

レティシスは自分の側に座るシェリアに再度視線を送り、次いで正面に腕を組んで立っているカインをじっと見つめた。

「傷は早く治す。こんな身体だけど、俺も連れて行ってほしい。頼む」

身勝手な願いであるとも承知していた。カインにも確実にそう思われているだろう。

「……全く。オレの目的を阻害する為に人が集まるのか。いい加減にしてもらいたい」

言葉は辛辣だが、カインの表情にはある種の諦めが見えた。

「……シェリア、ラーズ。彼に日々回復魔法を施してやってくれ。治療費の20ソラリスが80ソラリスになろうが構わん」

ぱあっとレティシスの顔が明るくなるが、ラーズがよろしいのですか、と困惑しながらカインへ問う。

「自分の身が守れる前提で交渉しているはずだ。それが出来ずに持ちかけているなら……次は死ぬだけだからな」

喜ぶレティシスとは逆に、クラーレシュライフは弱った顔で孫を見つめる。

「レティシス……お前はこの方々に借金をしとるのか」
「ん……ああ、魔法医療士直々だから治療費が、ちょっとね」

やんわり内容をぼかしたようだが、クラーレシュライフは長い溜息を吐く。

「……20ソラリスもか」
「ん、ま、まあな……でも自分で必ず返すつもりだから」

いつになるかも分からない完済計画を口にしたレティシスは、ぎこちない笑みを祖父に見せた。

「……という事で、カインさん、よろしく頼む。足手まといにはならないようにする」
「当たり前だ。クラーレシュライフの孫が口ばかりではない事を証明してもらおう。そして剣は受け取らん。とっととしまえ」

カインはレティシスの剣を拾わず、彼の横を通り過ぎると、クラーレシュライフにレナードの剣を見立てて欲しいと口にする。

レティシスの祖父は、奥の部屋にいくつか良質な出来をまとめてあると言って先導した。


カインだけではなく、レナードもラーズも後に続いたためこの場に残されたのは、レティシスとシェリアだけなのだが……レティシスは、剣と共にその場から動かず、シェリアは彼と剣を見つめながら逡巡して――やむにやまれずレティシスの剣を両の手にとって、彼に渡す。

「ずっとこのまま座っていても、カインは取らないから、ちゃんと鞘にしまってね」

レティシスはぎこちない動作でシェリアの顔を見つめてから、彼女の持っている自分の剣を注視した。

クラーレシュライフがレティシスの為と打ってくれた幅広の両手剣は、女の腕には重すぎて扱えないだろう。

現に、両手で持っているにしろ、彼女の細い両腕は重さに耐えて震えていた。

「シェリアさん……あんた……いや……あなたは、俺の剣を拾ってくれたのか」
「え? そう、だけど……これ、あなたのだよね?」

そこに込められた、意味も知らずに。

きょとんとする女性の顔を、レティシスは目を細めて見つめる。

「シェリアさん、俺にただ一言でいい。『誓え』と口にしてくれ」
「え、えっ…………『誓え』?」

するとレティシスは目を閉じ、恭しく頭を下げ、戸惑いの渦中にいるシェリアに『剣士の儀に誓い、レティシス・エッジワース、剣とこの命を生涯貴女に捧げます』と告げると、シェリアの手から剣を受け取って立ち上がる。

その頬には先ほどより赤みが増しているようだが、シェリアには彼が俯きがちなのでよく分からない。

「……ありがとう。まさかあなたに受け取ってもらえると思ってなかった……けど、実を言えば嬉しい」

そう言うと、レティシスは奥の部屋へと駆け出すようにしてシェリアの側を離れていく。

その背を見送ったシェリアは彼の言葉の意味を測りかね、小首を傾げてから立ち上がったが、戸口で彼女を待っていたのは先に行っていたはずのカインだった。

「……話がある」

カインは普通のようにも若干不機嫌そうにも見える表情――常にそんな表情なのだが――を浮かべ、シェリアを見据えた。

「なあに?」

カインが待っていてくれた事に気を良くしたのか、笑顔で彼のそばへやってきたシェリア。

カインはそのまま奥に行くことはせず、逆方向……小屋の入口までシェリアの腕を引っ張って連れてくると『どういうつもりだ』と静かに切り出した。

「どう、って」
「あの男の剣を拾い上げたろう」

すると、シェリアは合点いったように、うん、と声を上げた。

「ずっとあんなふうに拾ってもらうの待ってるんだもの。だから――誰か拾えばいいかなって」
「そんなわけないだろう! やはり適当に拾い上げたか!」

カインは盛大に溜息をつき、レナードやレティシスを連れて行くと決めた時以上に……誰の目から見ても明らかな怒りと呆れをシェリアに見せていた。

「……あれはな、剣士にとって一生に一度あるかないかの大事な儀だ。
主として仕える人間の前に剣を置き、頭をたれて傅くと、拾い上げられるまで待つ」

カインの説明にも、シェリアは柔らかな笑顔で頷いている。

この先を話すのも嫌そうに、カインは眉間に皺を寄せ、だから、と告げた。

「拾い上げた主に誓いを乞われ、運命の神に主を勝利に導く剣となり、命はおろか、心身、血の一滴も主のものだ……という意味の誓いを立てる。
お前は、奴にそう誓われた」
「ええー!?」

シェリアは大きな声を上げて心底驚いた顔をしたが、カインは不機嫌に更に磨きをかけて、凶悪に近い顔でシェリアを睨む。

「奴は義理深いようだし、オレとてそんな誓いをされてはたまらん。
お前は知らないなら手を出さなければいいのに、何回も憐れんで手を差し伸べるから……」
「わ、私どうしよう……そんな大事な事、取消せるかなあ」
「無理に決まってるだろう。やってしまった以上、どうしようもない」

命を捨てるような無茶はさせるなよと告げて、カインは小さく長い息を吐いて、背を壁につけてもたれかかる。

どうやら、レナードの剣の選定はどうでもいいらしい。

「……カインも、あれをしたの?」

シェリアがそう尋ねるので、カインはシェリアを一瞥し、いいや、と首を振る。

「オレは、まだ捧げていない」
「捧げる人って、もう決めてるの?」
「決めてはいる」
「……」

聞きたげな表情で見つめられるが、カインは教えないからな、と先に釘を刺した。

「捧げる人間がいようと、捧げる覚悟がオレには……なかった」

そう告げるカインの言葉は寂しげで、シェリアにもそれが伝播したのか、彼女の表情も哀しげなものに変わる。

「そう、なんだ……勇気も要るんだね」
「少し違うが、まあそんなようなものだ」

カインとシェリアは、そのまま彼らが用事を済ませて出てくるまで、ずっと無言だった。



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