【ルフティガルド戦乱/5話】

自室になるはずの部屋を、話し合いという名目で事実上追い出された形のカイン。

いささか不服ではあったが、カインが同室では話も出来ないままだ。対処としてはあの場合一番良かったのだろう。

それを分かっていたにしろ、あのレナードという謎の青年に対する不信感と警戒心は払拭できそうになかった。

カインが不満だったのは、部屋を追い出されたことだけではない。

――自分ではなくラーズにならば話せるという【目的】とは何なのだろう、ということだ。

カインの耳に入っては困ることが、これから自分の右腕となる男には話されるのだ。

彼に任を与えた貴族が誰なのか。

道中をこれから監視されることになるのか。

あの部屋で一体どんな意見交換が行われていようと――そんな都合良く話がまとまるものか。

憂鬱ではないと言えば嘘になる。

若干の苛立ちを覚えつつも、カインは【不満】という形に押し込んで、シェリアがいるであろう部屋を目指す。


カイン達が世話になっているこの施設は、一階が酒場、二階が宿屋となっており、旅人が立ち寄る町や村にあるのも、珍しいものではない。

ここからイリスクラフトの治める領地へは二時間程度馬を走らせれば着く距離だし、首都フィノイスですら半日もかからない。

そしてこのままミ・エラス共和国の方に向かう道沿いに半日も進めば、数倍も大きい街がある。

ザルツグリューネは商売を営むにしても少々中途半端な場所に位置しているし、カイン達も中途半端な場所で立ち止まっている。

まだ日の落ちない時間ということもあってか――客の入りは非常に少ない。

一歩進むごとに小さく軋む木張りの床は全体的に砂泥で汚れていて、こまめに掃除など行われていない事が伺える。

砂のざらざらした感触が靴底を通して伝わってきて、カインは不衛生な印象を持ったが、施設を利用するのはいつ現れるともしれぬ魔族に遭わぬよう祈りながら、早く目的地に着きたい者がほとんどだ。

店側としても、そういう所を分かっているからこそ、立ち寄る者がいれば良し、くらいに思っているかもしれない。

それに、日々活発化する魔族の侵攻をさておいたとしても……なんでも物価は上がっている。

酒場の酒だって井戸から湧いてはこない。一階と二階で使用する以外にも、数日分の食料は必要だろう。

恐らく客入りが少ない場所では、手持ちと生活必需品のやりくりに必死なのだ。

貧すれば鈍する。まさにその通りか。

カインは何かを考えるように乾いた土がこびりつく床板を見つめ、少しの間を置いてから何事も無かったかのように歩き出す。


魔法医療士でもあるシェリアは、昏々と眠り続ける赤毛の男と同室にいた。

一刻を争う事態であったため、宿が取れて備えつけのベッドに寝かせるまで男の顔をまじまじと見る暇など無かったが、よく見ればカインたちとそう変わりない年齢のようだった。

中性的な面立ちのカインと比べ、この青年のほうは男性的な精悍さのある、整った顔立ちである。

シェリアが普通の町娘であったのなら、あるいは少々惚れっぽい性質であったならば……眼があっただけで少々浮かれてしまうのではなかろうか。

しかし、シェリアは婚約者とはいえ既にカインの妻に等しい存在である。

真面目な性格でもあったため、魔法医療士の任で付き沿っている以外には理由がなかったようだ。

そんな彼女は治療で体力も精神力もだいぶ消耗した。椅子に腰かけて小さく息を吐いたときだ。

扉が少々強めに叩かれたので、その音に驚いたシェリアの尻が、ほんの少し椅子から浮いた。

「は、はい……!」
「オレだ。入るぞ」

最後まで言い終わらぬうちにカインは扉を開け室内に入る。

シェリアが椅子から立ち上がったところで、カインの顔を見てホッとしたような表情を浮かべた。

「男の容体は?」
「呼吸が少し弱いけど、血液が足りたみたいだからとりあえず大丈夫だと思う。傷口は体力が回復してから魔法を使って塞ぐつもり」

多少の疲れはありそうだが、怪我人を助けられたことが嬉しかったのだろう。

簡易的な説明をしつつも、シェリアには疲れが見える。

カインは彼女へと近づいてねぎらいの言葉をかけると、治療を終えたばかりの赤毛の男を見下ろした。

息遣いはシェリアが言う通り細いものだが、ここへ担ぎ込んだときほど深刻な様子ではない。

顔色もいくらか血の気が戻ってきたのか、死人の様に青白くは無かった。

「ラーズから聞いたが……術や薬を施したとか」
「ええ、造血魔法を。血液が足りないと、生き物は死んでしまう。
でも異なった血液を与えても体が受け付けず死んでしまうの。血液を急速に作り出すための魔法をかけたのよ」

そう言いながらシェリアは、血液が付着した包帯を金属製の箱の中へと入れていく。

どうするのかとカインが訊ねると、この包帯は良く洗ってから干すのだと返される。

「またそんなものを使ったら病気にならないのか?」
「ちゃんと血液は落とすし、洗ってから熱湯に入れて消毒するの。汚れがひどいものは焼却する。大丈夫よ」

そう安心させるような口ぶりで言いながら箱の蓋を閉じ、シェリアは立ち上がったのだが……カインは彼女が憔悴しているのも気になったらしく、白い顔をしげしげと眺めた。

「……確か、回復魔法というのは対象が弱っていると危険だからということで掛けられなかったはずだ。造血魔法とやらはどうなんだ」
「私の生命力を併用したの。そうしないと本当に危なかったから」

至極真面目な顔で言われても、カインにとっては驚愕でしかない。

「…………なぜ、そこまで?」
「え? 助けたかったから、だけど……?」

当惑気味に答えたシェリアに、カインはそうじゃない、と首を横に振ってから――自分でも困惑しているらしく、眉を潜めた。

「お前まで倒れたら困る。
聞けばこの男は、あのレナードという男の連れではないそうだ。
彼もどうするべきか悩んでいたところに、オレたちがやってきたらしい。つまり赤の他人だ」
「怪我人ということに変わりはないでしょ?」
「それはそうだが……そう、この男の看病をいつまでする気だ? まさか治るまでとは言わないだろうな」

カインがそう揶揄すると、シェリアは金属の小箱を抱えたまま小さく首を傾げ、三日くらいと答えた。

「多分もう少しかかるかもしれないけれど、明日か明後日に目が覚めれば、体力は一定以上回復できてるはず。
そうでなくても、今日みたいに私が生命力を少し分けつつ回復魔法を使えば傷は塞がるわ。
その後はもう治療しなくていいと思うし」
「だから、なぜこの良く分からん男の為にそんな事を……」

そう途中まで言ってから、カインはばつが悪そうに視線を外す。

「多少の治療なんてそのへんの僧侶でもできるだろう。動けるようになったらその辺の寺院でも勝手に行ってもらえ」

早口で言われた言葉が聞き取りにくかったらしい。

シェリアは怪訝そうにカインの顔を見つめていたが、言葉を理解すると小さな笑い声を漏らす。

「大丈夫。自分が倒れる前に全力で治療するから……ふふ、心配してくれてありがとう」
「そういう意図ではないが、分からんならもういい。とにかく……城が眼鼻の先にあるのに三日もこのままか」

忘れ物を取りに戻れるじゃないかと冗談を言ってから、カインはふと、自分の部屋の方を仰ぎ見た。

「順風満帆ではないことくらい覚悟しているが、出鼻をくじかれるのは最悪だな」


その頃、カインの部屋であった場所では……ラーズとレナードが向かい合って座っている。

消音結界という、外部に音を漏らさないようにする魔法を使用しての密談だ。

しかし、ラーズの顔は驚きと困惑の入り混じるもので、対するレナードの表情は読めない。

ラーズの手には、レナードがカインに一部だけ見せた羊皮紙の書面が握られており、彼は今この内容全てを読める状態だ。

最後まで読みきり、署名とともに押された捺印を見て……ラーズは目を閉じる。

「信じろ、というのは難しい。しかし、この見慣れた署名に間違いはない……」

ラーズは気を落ち着けるために深く息を吸い、瞼を開くとアイスブルーの瞳をレナードへと向ける。

「この【依頼者】の書いていることが事実であれば……貴方がこんな早く姿を見られたのは良くなかったと思いますが」
「はい。そこは誤算でしたが……道中見通しの良い場所も多いかもしれませんし、誰かに尾けられて居ることくらい気づくでしょう。
いずれ姿を見せねばならなかったわけですから、早い方が……良かった」

その説明はラーズだけではなく、自分自身にも言い聞かせているようにも見える。

複雑なのはレナード本人も同じらしい。膝の上に組まれた手は、そわそわと親指だけ動いていた。

それを見つめながら、ラーズはカインの事を思案する。

カインに彼が何者か、その目的はなにか……という全てを告げる事は出来ない。

なぜなら、これから行おうとしている事――ルフティガルドへ行くための旅――を否定することにもなるからだ。

しかし、ここで旅をやめるわけにもいかない。

国の、民の安定を願うのであれば、成し得なければならない事だからだ。

「魔王……カリヴンクルサス……」

レナードがぽつりと漏らした言葉の続きが気になったらしい。ラーズは彼の口元を注視する。

「魔王は、何のために人間たちへ兵を向け続けるのか……。人間の領土を奪うという目的ではない気がします」

ラーズの『貴方は知っていますか』と言いたげな視線を受けて、レナードはかぶりを振った。

「魔族の動きが活発になる条件は未だ不明です……今回、それも究明したい」

レナードの口調は強く、意欲が感じられるもので、ラーズも小さく頷き返す。

「……レナード、さん」
「レナードで構いません。本来であれば……いえ。こうして顔や姿を隠さねばなりませんからね」

こつこつと指で兜を軽く叩いて肩をすくめたレナード。

「ではレナード。わたしは……この書状には依頼者のほか、恐らく嘘偽りはない。貴方を信用するしかないようです。
ですが、二つわたしのほうから答えて頂きたいことが」
「なんでしょう」

心なし声音の硬いラーズと同じく、レナードの声も緊張が増した。

すると、ラーズは『武器はありますか』と訊ねたため、拍子抜けしたようにレナードは短い声を発した。

「出会った時、貴方は素手だった。予備はあるのですか」
「使えぬ剣ならありますが……常用は買う必要がありますね」

ナイフであれば数本あったが、剣士が戦闘するにはいささか頼りない。

「その剣を使えないのは、貴方が誰か……ということがカイン様に知られるからでしょう」

ラーズは、彼の言う『使えぬ剣』の事を尋ねたが、レナードは『現状で理解するには難しいでしょうが、あの方なら分かると思います』と肯定する。

訊ねた本人であるラーズも、それは予想できる範囲だったため、同意を込めて頷いた。

「……もう一つは。貴方がわたしの知りえる人物であると確認の為……兜を脱いでください」

レナードの動きが止まる。驚いた様子は無かったので、もしかしたらこれもありうると思っていたのかもしれない。

「色は変えていますよ」
「カラーリングアイテムであれば、解除してからお願いします」
「……はい。この場だけでよろしいか?」

無論ですとラーズが答えれば、レナードは手首にはめた銀色のブレスレットに触れる。

見た目は何も変わらないが、カラーリングアイテムというのは名の如く、髪や眼の色を変える事が出来る装飾品の事を指す。

兜の下では、彼本来の色合いに戻っているのだろう。

ゆっくりとレナードは兜に手をかけ、それを脱いだ。

レナードを見つめるラーズの瞳は見開かれ、次第に柔らかなものに戻る。

「……よくわかりました。ありがとう」

レナードはその言葉を受け、感情を堪えるように下唇を噛んだ。

無言のまま兜を装着すると、ラーズが『年はいくつになったのですか』と訊ねてきた。

「18です」
「そうでしたか……我々とあまり変わらなかったのですね」

満足げな様子で頷くラーズに、レナードは『お願いがあります』と、苦々しく呟く。

「僕の素性はカイン様だけではなく……貴方の妹君にも知られたくはないのです」
「……わたしやシェリアはイリスクラフトの血筋。隠していても魔力の質でいずれ分かりましょう」
「そうだとしても、それまでは……! あの人と親密になる気など、僕には毛頭ありません」

レナードの怒りを孕んだ声を聞きつつ、これからの事を考えたためか、ラーズは心底弱ったように眉根を寄せる。

「【依頼者】は、随分とわたしに色々な要求を突き付けてくる。貴方がたの仲を取り持ちながら、先へ進まねばならない」

わたしはそんなに器用ではありませんよと言いつつ、自分がやるしかないという諦観の気持ちもあった。

「わかりました、レナード……わたしの方から、カイン様やシェリアにはそれとなく話しておきます。
ですが、もしも……カイン様に命の危機があった場合、わたしは主を優先します。恨まぬよう」
「はい、それは理解しています」

力強く頷いたレナードに、ラーズは礼を述べた後、椅子から立ち上がる。

「貴方の事を軽く説明しなければなりません。あまり長い時間話していると、カイン様が不機嫌になりますからね」
「もうとっくに不機嫌かもしれません。出ていくとき納得しておられなかったから」

レナードがそう言いながら小さく笑ったが、ラーズには笑い事では済ますことができない。

シェリアが少しでも宥めておいてくれたらありがたいのだが、シェリアは病人の介護で疲労困憊だろう。

部屋を出るレナードの背中を見つめながら、カイン達にはどのように説明するかを黙考するラーズ。


本当に、この旅路には波乱ばかりが待ち受けているような気がしていた。



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