【異世界の姫君/68話】

(レスター様と、きちんとお話ししたい……!)

少しでも力になりたいと思い立ったアヤは、勢いよく乗り込んで行った先……脱衣所の前に立つと、その扉へ手を伸ばす。

きちんとプレートには【脱衣所】と書かれているのだが、リスピア語の読めないアヤに読み取ることは出来ない。

ドアノブを握り、押し開く。

ここまで、アヤの行動には何ひとつの迷いもなかった。

「レスターさ……ま……」

ドアを開けると、そこにはレスターが立っている。

風呂に入ろうとしていたのだから当然、上半身裸だ。

勇ましかったアヤの歩みと思考は、そこで止まってしまった。

レスターもいつもなら人の気配がしたら瞬時に察知できるはずだが、今はアヤの気配に気づけぬくらい内的思考に耽っていたようだし、服も脱いでいる途中だった。

誰かの気配にようやく気づいたらしく、緩慢な所作でゆっくりと振り返る。

「……?」

そこには……ドアを開けたまま、動きを止めて彼を凝視しているアヤの姿があった。

上を脱いだので、次にベルトを外そうとしていたままのレスターと見つめあう。

「…………」

見据えられてもアヤは目を丸くしたまま、人形のように……固まって動かない。

「…………」

少々レスターは、ぼうっとした顔をしたまま、これはアヤだな、と思った。

そこまで理解して、レスターは考えた。

どうしてアヤが『ここ』にいるんだろう、と。

どうして、脱衣所に――…………脱衣所に! 来た!

「……姫!? 何事です!!」
「きゃああごめんなさい! ごめんなさい! 覗きじゃないんです!!」

思わず大きな声を出してしまったレスターと、それに過剰反応したアヤは顔を赤くして謝罪を繰り返しながら一旦出てドアを閉める――が、何故かまた開けると中に入ってきて、焦ってカギまで閉める。

その行動にもレスターは驚きを隠せない。

「姫、待って……落ち着こう。ちょっと今の状況が掴めない……何か、わたしに用が?」

女性が見ているのだから隠すために服を着ればいいのか、それとも汚れた服だからもう着なくていいのかも分からず、服を持ったまま困惑しているレスター。

とりあえず外そうとしていたベルトは締め直し、努めて冷静に、耳まで朱に染めたアヤへ尋ねた。

「あの……特に何かがあったわけではなく……レスター様の様子がおかしいのが気になったので……」

ちらちらとレスターを見ては視線を外すを繰り返し、アヤはぎこちなく答える。

青年の身体――ましてや意中の相手の――をこんな間近で見たのは初めてだ。

顔を見て会話をしなくてはと思うのだが、彼の顔を見ようとすると身体にも目が行ってしまうので、視線も落ち着きなくあちこち彷徨う。

レスターの身体はしなやかな筋肉がついており、毎日鍛えているせいか無駄な肉や脂肪も少なそうだ。

それでいて胸は薄くなくしっかりしているし、腹筋も割れている。思っていたよりも筋肉質だったので、思わず手を伸ばし触れてみたくなる――そんな健康的で、色気のある体つきだった。

だが、その身体や腕には幾つもの傷がついている。

傷の判別はあまりできないが、直線的で均等な線からして戦いで出来たもの……だろうか。

「……ん……流石に戦いも無傷ではいられません。もうこの辺は痛みもない。負傷することもだいぶ少なくなったため、安心してください」

アヤが自分の身体を見ていることに気付いたレスターは、気恥ずかしさも相まってはにかむような表情を浮かべつつ腕の傷などに触れる。

(あ……お腹の傷は……かなり大きい……)

アヤが気になったのは、レスターの腹部から左脇腹にかけてまっすぐ一本走っている傷。

色は薄いが、他の傷より大きくて長い。これは相当深かったのではないだろうか。

これを聞いていいものかどうか悩むアヤだったが、レスターは『わざわざわたしの身体を見に来たのですか?』と薄く笑った。

「ち、違います!! えーと……」
「あなたがいると、風呂には入れないのですが……いつまでもこのままというわけには」

そう言われれば流石にアヤも出ていくだろう、と踏んだレスターだったのだが、後ろ向きますからお気になさらずとアヤは言い出して、視線を逸らすとドアの方を向いた。

(そうじゃないだろう……)

暗に出て行ってほしいと示したのだが、アヤは出て行ってくれない。

「姫、はっきり言います。わたしは服を脱ぐと言っているのです。そこに居られて出て行かないなら勝手に脱ぎますよ」
「は、はい。大丈夫です……」

全然大丈夫ではない。

困るのでもう行ってほしい。

レスターは相当困惑したのだが、言ってしまった手前引くに引けず、ベルトに手をかけて一気に引き抜く。

衣擦れの音がするたび、アヤの身体が小さくびくびくと跳ねる。

なんだか、房事に誘った場合のような反応と緊張感だ。

(……まさか陛下に何か吹き込まれたのでは……)

ルエリアの言うことは、レスターでさえ本気か冗談かがわからないのだから、始末に負えない。

だとすると、大変困る。

なんとか追い出さなくては理性の維持に全神経をつぎ込まなければならなくなってしまうし、風呂も悠長に入れない。

(まさか風呂場にまで来るつもりだろうか……?)
「……入るつもりでは、ないですよね?」
「えっ!?」

大きく肩を跳ね上がらせ、アヤは裏返った声で聞き返した。

「ここは風呂場で、わたしは入浴の為に服を脱いでいる。
姫がどうして出て行かないのか考えると、その……入るわけでは、ないなら……ご丁寧に鍵までかけているし、この状況は、誰がどう見ても……かなりおかしい。
あちらには陛下やリネット殿がお待ちでしょう。わたしだって男だ。密室で何もしないなんていう保証もない。
それに、その、何か……間違いがあってからでは、遅い」

よく言い切った、と自分で自分を褒め、レスターは衣服を全て脱ぎ去る。

これだけ言えば混乱したアヤとて理解してくれるはずだ。

前を見られてはまずいので一応腰にタオルを巻いて、ちらりとアヤのほうを盗み見た。

アヤの耳が赤いのは、相当恥ずかしいのだろう。

だったら早く戻ればいいのに、と思いながらも……悲しいことに、心のどこかで期待してしまうレスターは、己の感情に後ろめたいものを感じたため、そこにアヤを置いてそそくさといった感じで風呂場の戸を開く。

「……服、濡らしてはいけませんから……裸は恥ずかしいのでダメですけど、下着まででいいですか……」

と、服に手をかけたアヤを見て、ぎょっとしたレスターは急いで戻ってくるとアヤの肩を掴んだ。

「しなくていい、お願いだからやめてくれ!! 一体なんだというんだ? 皆でからかっているのか? わたしをおかしくさせたいのか!?」

誘惑したいわけではないだろう、というかそんなことされたらわたしは我慢できないから、とどうでもいいことまでバラしてしまいながらレスターが必死に引き留め、服から手を離したアヤはようやく理由を話してくれた。


「レスター様がお辛そうだったので……どうしたんだろうって。そうしたら、たくさん血を見ると……よく、あんなふうになってしまう、って教えていただいて……。
私、レスター様の力になれることも少なくて迷惑ばかりかけているけれど、何か支えになりたくて」
「その話と今服を脱ぐことは何も繋がって無いな……」
「でも、お一人だと気が塞いでしまうんじゃないかと。それに……」
「?」
「私とレスター様は……一応気持ちが……その、恋仲……なので、構わないかなって」
「……時折とても大胆な事を仰る」

ともあれ、そういうことだったのかとあらかた飲み込めたレスター。

眉尻を下げたままのアヤを壁際に押し付け、じっと見つめた。

かなり彼女も緊張しているのが見て取れる……まあ、レスターが裸だというせいもあるのだが。

「心配をかけてしまったようで……申し訳ありません。
だが、わたしの中で捨てられない……忘れられないことがあって、血を見ると思い出しやすいというだけです」

そう言って聞かせる顔も辛そうに映る。

いつもの真面目なレスターではなく、悲しみをたたえる弱々しい眼をした、幼な子のようだった。

(レスター様……そんな苦しそうな顔……)

アヤにはわからない、深い傷があるのだろう。

誰にも触れられたくないことかもしれない。

様々な事情はあれど……このまま放っておいてはいけない気がした。

レスターの顔に手を伸ばすと、レスターは嫌がるように首を振る。

「おやめください。血がつく」
「そんなの……いいです。レスター様に触れたいです」
「いけません。姫が汚れる」
「洗えば落ちます」

アヤの指先がレスターの頬に触れ、すぅと愛おしそうに撫でた。

レスターの表情は晴れなかったが、もうアヤの事を拒絶しない。

「レスター様……」

頬から首に、そして胸に指先は移動し、するりと腕が身体に伸ばされて――アヤはレスターを抱きしめる。

肌が直接触れる部分からは、直に暖かさが伝わってきて、アヤの鼓動をより早くさせた。

「私にも、レスター様に教えたくない……隠していることはいっぱいあります……見てほしくないことも、ずるいこともたくさん」

アヤがここに来た時には、レスターの居ない世界を『できれば来ないでほしい』くらいで受け止めていた。

それでいて、レスターを気に入っていると言っていたのだ。

本当にずるくて、軽い気持ちで行っていたことが嫌になる。

(ごめんなさい。ごめんなさいレスター様。でも、私は良い方向に変わりたい。
たとえ辛いことがたくさんあっても、ずっと一緒にいたい。
いろんなことを乗り越えられるように頑張るから……!)
「私、偉そうなことを言うばかりですが……レスター様を失いたくないという気持ちだけは嘘じゃなくて本当なんです。
面倒くさい女だと思われても、構いません。私はレスター様の側にいたい。
レスター様が辛いなら、一緒に辛いことも分かち合って、少しでも減らしたい。
楽しいことがあるなら、もっと喜んでもらいたい……これからも、そうです」

言っているうちに感情が高ぶってきたせいか、涙が出そうになるのをアヤはぐっと堪える。

真面目な話なのに、泣く必要はない。

レスターは黙ってアヤの言葉を聞いているらしく、指一本動かさなかった。

「心の傷を癒す知識……わたしがいたところには、そういう学問があって……。
それを学ぶことはもう叶いませんが、それが習得できなくても、傷の痛みを軽くしてさしあげたい。レスター様の辛そうな顔は――」
「もういい」

そこでレスターの制止が入る。

拒絶の意も含まれているのかもしれない。

レスターの手がゆっくりアヤの背に回されると、徐々に指先に力が込もっていき、レスターは辛そうな顔のまま、アヤをきつく抱きしめる。


「……それ以上、今は優しい言葉をかけないでくれ……」

指先は痛いくらいに力を込められてアヤの背へ食い込んでいた。


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