【異世界の姫君/幕間・前編】

レスター、アヤと服を替えて入れ替わり、月の離宮に残ったイネスとアンジェラ。

二人は今、囮として身代わりになったためレスターとアヤ、ということになっている。

「怖くはありませんか?」

レスターが残した髪の束をどういう技を使ったのか――自身の髪に取り付けたイネス。

トレードマークと呼ぶべき白銀の鎧も着ているので、外見上はレスターと寸分違わない。

口調もやはり真似ているようだ。

「はい。イネスさんと一緒なら怖いですけど、レスター様なら大丈夫です」

にこりと微笑むアヤ……の外見をした聖騎士アンジェラ。

こちらも、変化の魔法を使っているので、髪色以外は本当にそっくりである。

アンジェラに微笑まれつつ、イネスはやれやれと肩をすくめた。

「イネスだって、本当は誠実な面があるかもしれないですよ……多分」
「アンジェラ様にはしょっちゅう、本気か嘘かわからない口説きをしているそうですね」

ぎくりとした顔をしたイネスは、頭を掻いてから、後で奴に注意しておきます、と背を向けた。

そして、ワゴンの中からフィッシュナイフやバターナイフ、ミートナイフ、あまつさえフォーク……そういったものが入っているバスケットを取り出すと、極力音を立てないように掴み取ってはなにか魔法をかけている。

「……レスター様?」
「はい?」

イネスはバターナイフを空中に放り投げると、面白い事にナイフはそのまま静止している。

アンジェラは不思議そうにそれを見つめて、何か、というように指で示した。

「せっかく二人でいるのに、会話なんて必要ないと思うのですが……」
『秘密』と口パクで教えたイネスに対し、アンジェラは口をとがらせた。
「……話していただけないと、不安で」

気弱な声を出しつつ、イネスをジト目で見つめながら『魔法使えるの?』と同じように口パクする。

伝わるかどうか失念していたが、どうやらイネスには読心術の心得があるようだ。

頷きつつ、失礼いたしましたと形だけの謝罪をしている。

イネスは次々ナイフに魔法をかけて放り投げては、空中で制止させている。

自身が作業を続けている間、喋りつつ読心術を使うのは集中が途切れるような作業だったが……

それでも器用にこなし、ナイフを配置し終える頃には、アンジェラには概要が伝わっていた。

日常魔法の一時利用だった。

一時固定、という魔法があるのだが、それを使って制止させている。

これをどう使うのかまでは教えてくれなかったが、確かに侵入者が飛び込んでくれば、かなりの脅威に映るだろう。

『ふぅん……応用をうまく考えたわね』
『昔から俺はイタズラが好きでね。それも才能だったのかも』

口では他愛ない話をしつつ、アンジェラと読心術での疎通も図っているイネス。

普段もこれだけ頑張っているところを見せれば、皆の評価も変わるのに、とアンジェラは思う。

イネスは決してバカではなく、そう見せているのだと知って、アンジェラはイネス・ルガーテという男のことをよく知らなかったのだと、本当にすまなそうな顔をした。

「姫、そんな切ない顔をしないで。あなたが悲しいと、わたしも苦しい……」

アンジェラが座っている横にやってきて、屈むとそっと頬に手を当てた。

『ちょ……、イネス、何するのよっ、このバカ!』
『演技、演技だって。あ、でも、言ってることはホント。アンジェラちゃん、俺のこと少し見なおしてくれた?』
「イ……レスター様、私、あなたのことを思うと胸が苦しい……」

真面目なときに、そのヘラヘラ笑う顔を見ているとムカムカする。

以前レスターが嫌そうに話していた言葉を思い出し、まったく異論はないとアンジェラは身を持って理解する。

アンジェラの表情に怒気が浮かんできた。これ以上からかうと、ビンタが飛んできかねない事を察知するイネス。

スッと立ち上がると、姫は罪なお方だ、とワケの分からない言葉を残して、先程食器が入っていたバスケットを手に取ると壊し始めた。

「……あの、傷つけたのなら謝ります……」
「いいえ、怒っていません」

バスケットに八つ当たりをしているのではないのか。

なぜかハラハラしてしまうアンジェラをよそに、イネスはバスケットをバラしながら、細い針金を引っ張りだした。

それをまっすぐ伸ばしながら壁づたいに窓辺へ近づき、針金の端を壁に【固定】させ、窓に自分の影が映らぬよう匍匐前進して反対に移動する。

窓の端にたどり着くと、針金を目いっぱい延ばしてぴんと張る。

調度良さそうな高さに調節し、もう一方の端も【固定】させた。

戻ってくるともう一つバスケットを壊し、左側の窓にも同じように取り付ける。

その作業をしているうちに、扉が叩かれ、陛下より命じられたという騎士たちがやってきた。

アンジェラは髪色に気をつけながら扉を開き、すぐに影になっているところへ入る。

「あっ……姫様……! わ、我々は、陛下の……」
「はい、今伺いました。皆様には感謝の言葉もありません。よろしくお願いいたします」

アヤがアンジェラの事を全く知らないように、アンジェラもアヤの事は知らない。

騎士や従者たちが話している内容を聞いただけだった。

だから、いかにも【姫様】というような、慎ましやかで、か細く、男が好みそうな子なのだろう――というのを演じてみた。

すると、男どもは鼻の下を伸ばしながらお任せ下さい、必ずやお守りいたします、と息巻き始める。

(男って、なんでこう……美人にはすぐデレデレするんだ……)

これでも精鋭であろう騎士たちのマヌケ顔を見たアンジェラは、情けなさに思わずため息をつきたくなる。

もし、姫が諜報活動に長けた女であれば少々抱きついてやっただけで、こいつらはホイホイ引っかかりそうである。

改めて本当にそういった姫様でないことにも安堵しつつ、あのレスターでさえ陥落したのだから、仕方がないのかもしれない――とも考えた。

(……レスター、か)

恋愛感情という意味での【好き】だったわけではない、と思う。

ただ、一度だけ気になったことはある。

五年前に辺境で魔族との戦闘があり、新兵に上がってきたばかりだったレスターやアンジェラもその戦いには当然参加した。

魔族を次々に切り伏せていくレスターの眼は感情すらもなく、表情も苦しそうではない。

人間として割り切っているのだろう、そう思っていたが――……ロベルトが相変わらず魔族魔族と絡んでくると、レスターは感情の見えぬ眼を向けた。

『わたしは魔族ではないと思っている。だが、仲間と思っている人間にも決して同族だとは思われない。
互いに『わかり合えない』という『わかりきっていること』を、今更口にする必要があるのか?』

あの時の口調は、寂しそうでも苦しそうでも、恨んでいるわけでもなかった。

本当に、自分のことはどうでも良かったのかもしれない。

それ以来、少しだけレスターを気にしていたのだが……時折レスターは、あのような眼をしていた。

だけれど――先程見たレスターは、本当に変わったのだなと認めるしかなかった。

アヤという姫を少しだけしか見ている時間はなかったが、皆が口を揃えて美しいと言っていたのは知っている。

確かに、造形も整っているし可愛らしい。変身してみて分かったが、黒も偽物ではない。

しかし成程、身分の高いものや低いもの問わず頭を下げるので、平等といえば聞こえはいいのだが世間知らずではあるようだ。

レスターの前に立って、姫そっくりになった格好を見せてみたものの――外見に惹かれただけではなかったらしい。

アヤの耳にイヤーカフスをつけてやる仕草ひとつでも、優しげな表情が見えてしまった。

何故かちくりと胸が痛んだが、レスターがもう自分を蔑ろにしないのなら、誰かを大事に思えるのならそれでいいのではないかと――そう思うようにした。

そうして騎士たちにじっと見つめられつつ、ぼんやりしたままのアンジェラを困っていると見たのか、イネスがツカツカとやってきた。

「――姫に変な顔を見せるな」

ムッとした顔で騎士とアンジェラの間に割り込んできて、アンジェラを抱き寄せる。

あっ、と騎士たちから非難じみた声が上がったが、イネスは引き下がらない。

「アヤは、わたしの大切な人だ。悪いが、誰にもやらない」

それが本当にレスターが言っているように感じて、思わずはっとしたアンジェラ。

しかし、なぜだかぼろぼろと涙がこぼれ始めてしまったので、イネスも騎士たちも驚きを隠せない。

「えっ、ちょっと、アン……アヤ。なにか、わたしは……悪いことを言ってしまいましたか」
「な、なんでもありません……うれしくて、つい……驚かせてごめんなさい」

騎士たちを追いやってからアンジェラを椅子に座らせ、二人は口をパクパクさせながら会話をする。

『アンジェラちゃん……もしかして、きみ、レスターのこと……?』
『そんなんじゃないわよ。でも、ちょっと気にしてたのはあったのかも』
『……ありがと。レスターは美女にばかり好かれて、羨ましいね』
『イネスは、女の子を漁ってばっかりでしょ。嫌われるわよ』
『アンジェラちゃんが本気にさせてくれればいいじゃない。今なら俺レスターよ?』
『……ほんと、イネスなんか大ッキライ。覚えてなさいよ』

ぼかっ、とイネスの肩を拳で軽く叩いてから、アンジェラは立ち上がる。

それを見送ってからイネスも遅れて立ち上がり、アンジェラと騎士に注意をした。

「こっちからこっちには入らないように……危ないので」

と、先程【固定】を施した右半分を指して、左側で行動するようにジェスチャーで示した。

「あの、我々は何を……?」

魔術師の一人がおずおずと口を開くと、イネスはライトボウは使えるかと尋ねる。

コクリと頷く魔術師に、満足そうな顔をした。

「では、唱えて」
「い、今ですか……? わかりました……」

ヒソヒソと会話をする魔術師とイネス。

魔術師が小声で詠唱をした瞬間を狙い、イネスは【固定】をかけていく。

「姫、兵たちを労ってさし上げてください。士気を高めるのもお役目です」

作業を続けながら、イネスは左手側の騎士たちを示す。

魔術師たちには悪いけど待機していてと指示。

アンジェラはイネスの言葉に頷き、ひとつふたつと彼らにも言葉をかけてやる。

一体イネスは何をしているのだろう? 食器はおろか、魔法にまでこんな小細工をしてどうするのだろう。

ちらりと彼を伺うと、今度は空中に魔法の霧を発生させている。

視界を覆うという意味では有効だろうが、部屋全域ではなく右側だけだ。

騎士たちもレスター様はどうしたのだろうか、と不思議そうな表情を浮かべている。

こういった不思議な行動の結果が明らかになるのは、それから数分後のことだった。


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