【異世界の姫君/56話】

美味しい茶を飲み、他愛ない話で楽しいひと時を過ごしていたアヤは、はっと気づいてレスターに今何時ですかと問い掛ける。

レスターはティーカップを置き、アヤから預かった時計を取り出すと『11時13分です』と答えた。

「えっ、もうそんな時間だったんですか!? まだ城門にも出かけてなかったのに……」

アヤも驚いたような顔をして、急がないとお昼に戻れなくなっちゃう、と慌てて椅子から立ち上がる。

「おや、城門の何を見るんです?」

ヒューバートがかなりくつろいだ様子で尋ねてくるが、アヤは大きさとか広さです、という漠然とした回答を出した。

「姫の参考になるなら。城門は鉄製で、城に入るまでに三枚あります」
「……えっ……」

思いもよらぬ言葉に絶句するアヤだが、ヒューバートは『当然でしょう』と平然としている。

「だって、考えてみてください。一枚だけしか門扉がないようでは、もしもそれが破られた場合どう侵入を防ぐんです。
時間を稼ぐ他に、侵入経路を塞ぐ、あるいは……そうだなぁ、火事とか土砂とか、そういった害を防ぐためにも閉じたりしますよ」

やはり、自分の知識は偏りがあるようだ、ということを再確認してしまったアヤ。

(あれ……じゃあ、そもそもそうしたら……本の中では、城門が一つしか無かったから……)

はたと気づいて、アヤは口に手を添える。

「描写は端折ってある……あるいはいくつか城門が……壊れてる、とか?」
「まさか! 毎日開閉しているものなのに、壊れて開けっ放しなんてありえないでしょう。
姫だって、ドアが壊れているからと昼夜開けっ放しにはしないでしょう?」

同じ事ですよとヒューバートは笑い飛ばして、先ほどの話の続きをしはじめる。

「横幅は……僕が両腕を伸ばして二人分くらいかな? 十分な大きさだと思います」

ふむふむ、と頷きながら、アヤはメモを開く。

確か成人が両手を広げた長さが約1.5メートル程度だとして……

「ヒューバート様、身長はいくつですか?」
「え? 僕の身長……必要ですか? ふむ……僕は180メジエです」

メジエ、は何センチだろう……。

単位一つでさえ変換に困る有り様だが、アヤは1メジエってこれくらいですか、と、だいたい1センチ(であろう)長さを指先で表した。

「僕も物差しを持っていないので正確には出せませんが、そのくらいですね」

ヒューバートも同意したので、1メジエは1センチと勝手に変換することにした。

「……じゃあ、ヒューバート様の身長が180だと、二人分だと……3.6メートルかぁ……それじゃあ並列しても、兵器を携えても十分通れますね」

これ以上長居したり質問を続けてしまうと、執務中であるルエリアの妨げになってしまうだろう。

「ルエリア様、ヒューバート様……私のお喋りに長くお付きあいさせてしまって、本当に申し訳ありませんでした……色々参考にさせていただくこともありましたし、イネスさんの約束もありますから私たちはこれで失礼させて頂きますね」

深々頭を下げたアヤへ、ペンを止めたルエリアが顔を上げると『おまえが調べたいという用もだいたい終わったのか』などと訊くので、そうですね、だいたい思い浮かんだあたりは終わりましたと返す。

「では、午後は音楽会にでも来るがいい。己のできることをするのは当たり前だが、少しは気を楽にするのも忘れるな」

少しは寛いで構わないといってくれたのだろう。

アヤはお心遣い感謝しますと深々頭を下げてから、レスターと一緒に離宮に戻っていった。

そして、その頃。

アヤたちとは反対……宮殿から見て左の通路、噴水や水辺が多い中庭を一人で歩いているロベルトの姿があった。一歩一歩踏みしめるごとに鎧の金属がこすれあってカチャカチャと音を立てている。

(……陛下の言うことを信じないわけじゃないが、アヤとかいう女は本当にティレシアの血筋なのか……?)

そう思うロベルトでさえ、ティレシアという既に滅んだ国のことをよく知っているわけではないが、素直に納得が出来ないだけだ。

それと同時に、腹立たしさがじわじわと彼の心に広がって黒く塗りつぶしていく。

陛下は、レスターのことをあんなにも信用している。

このロベルトのほうが、陛下への忠誠も高いし功績だって上げているはずなのに。

そして、ぴたりと足を止めると昏い瞳で水しぶきをあげる噴水を見つめた。

きらきらと陽光に細かい水滴が反射し、うっすら虹もかかる光景はとても美しい。

それを見ていると、ロベルトは――レスターがクウェンレリックを賜った日のことを思い出す。

謁見の間で、ほぼ全ての騎士に見守られながら、ルエリアより賛辞と守護者の証を与えられ、恭しく受け取ったレスター。

汚れた魔族の混血でありながら、聖騎士としての受勲も受けた。

皆からも祝福されていたはずなのに、レスターは笑顔もろくに見せず、ありがとうございますと呟くだけ。

身に余る名誉に緊張しているわけではない。

あの男には、もともと喜びなんて感情は薄かったのだ。

恐らく生真面目な性格のせいで断らずに賜ることになったのだろう……そうロベルトは未だに思っている。

おとなしくレスターが断っていれば、クウェンレリックは自分が受け取る事になっていただろう、とも。

レスターがいつも身に着けている装飾品のどれかが収納先であるはずだが、見せろといってもレスターはそれを誰にも教えようとはしない。

リスピアの創造宝具は、常にその形を維持しているわけではなく、どこかに収納されている。

必要な時以外、守護者は無暗に出してはいけないという掟があるのだそうだ。

なのでヒューバートの宝具も、レスターの槍も、エリスやルエリア以外その形状を詳しく知っているものはいない。

チッと舌を鳴らすと、自身の髪をくしゃっと握った。

(笑わせるな……魔族のくせに、聖騎士だと? 守護武器が聖槍だと? 一番似合わないものを……!)

そうしてレスターの顔を思い出す。

あの赤い瞳には、ついこの間まで輝きなどなかった。

しかし今は、あの瞳には確固たる強い意思があり、輝きも宿っている。

瞳だけではなく、表情も明るくなったような気さえした。

――忌々しいのは、レスターだけじゃない。

アヤが、余計なことをしているに違いない。

ロベルトの眼には怒気が込められ、押し込められた憎しみが形を変えようとしていた。

あの女は毒婦だ。

己の美貌で、いろいろなものを魅了している。

陛下でさえもあの娘に気を許しているようだし、ヒューバートでさえも割と親身にしているようだ。

そこを足がかりにして、国を傾けようというのではなかろうか。

何せ、ティレシアの出身なのだ。十年前の事もそう。アルガレス帝国とあの王家が、リスピアに害を加える。

それよりも何より許せないのが、自分に対しての振る舞いだ。

二度もぞんざいにこの俺を扱いやがって、いい加減にしろ――……どうせ女一人では何も出来ないくせに。

したたかに媚びを売り、必要とあらば誰にだって擦り寄るのだろう。

そう思えば、ロベルトをはねのけるアヤの仕草は、彼に知れると己の計画の妨げになるから――と、都合よく解釈できた。

だから、女に免疫のないレスターを選んだのだろう。

バカが勝手に引っかかるのは構わないのだが、そのまま国や騎士たちに迷惑をかけられてはたまらない。

そんな奴を許していいはずがない、なんとかしなければ……そう思った時のことだった。

「――何か強い憎しみを持っておられるようですな」

後方から声をかけられ、急に現実に引き戻されたロベルトは腰に差した剣の柄へ指を滑らせ、バッと勢い良く振り返る。

ぼうっとし過ぎて後ろを取られるとは恥だ。

そこには、灰色のローブを目深に被った長身の男がいた。

僅かに残る髭が同性であることを示し、張りツヤがあまりない口元しか見えないが、歳上であることは間違いなさそうである。

「何か恨みを持っておられるなら、お手伝いいたしましょうか?」
「なんだお前? 急に来てふっかけてくるたぁ、いい度胸だな。ていうかどこの誰だよ。
俺も頭にきているところだから、喧嘩売ってるなら買ってやってもいいぜ……当分起き上がれないくらいには覚悟しておけよな」

剣を抜こうとするロベルトに、男は笑いながら『あなたに協力を頼みたいのですがねぇ』と持ちかけてきた。


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