【異世界の姫君/55話】

「アヤにも我が国の防衛が強固である……という事を理解してもらえたようだが、肝心の兵のほうに隙がありそうだな。ヒューバート、どう思う」

ルエリアがヒューバートに話を振ると、お恥ずかしい限りですが、と口にした。

「兵士も結界に関しては多大な信頼を寄せております。
現状では壊せないと我々は踏んでいますが、いつどこかで新しい方法や網をかい潜る術式を編み出すかもわからないので、重々気を引き締めていなければいけないとは教えているのですけどね……」
「ふむ……そういう輩は実際に事が起こってしまえば茫然自失となって使い物にならん。
魔術師でも呼んで、幻術の中で訓練させてみるのはどうだ」

報告を聞いて返事をしながら、ルエリアは手元の書類に目を通し、インクも使用せずペンでサインを書き添えていく。

アヤの意識がペンの方に向いてしまっていると気づいたルエリアは、顔をあげてそう珍しくもないだろうとペンを見せた。

「マジックライティング、という生活魔法が施されている。
インクも要らず何にでも書ける。割と普及しているぞ」

確かにペン自体はアヤからしても珍しいものではないが、何にでも書けるという汎用性が素晴らしい。

よくある油性ペンみたいなものだろうか。

「書いたものは消せるのですか?」
「マジックイレイサー、という術が使えれば、指先でなぞるだけで消せますよ」

ヒューバートがそう教えてくれたが、アヤにとって魔法というものは、ここに来るまでは身近に感じることは殆ど無かったし、恐らく初歩の初歩さえ覚えられないのだろうな、と残念に思いつつルエリアにペンを返した。

「興味がおありでしたら、姫様も魔術師を紹介いたしましょうか。
勿論、当面の問題をクリアしてからになりますけど」
「……その時には、どうなっているかわかりませんから。余裕があれば考えさせていただきますね」

そうして苦笑いしたアヤは、ヒューバートへ自分の気のせいかもしれないが不思議な現象が起こったのだと話し始めた。

「私、なんだか時折頭の中に、不思議な映像が見えるんです。
会ったこともないレティシスが、セルテステに行って泉に手を浸した時の事? とか、さっきもロベルトさんに会って、ルエリア様が来てくださった時にも……ヒューバート様が何か口添えしてくれた……? から、ルエリア様が来てくださったりした事とか」

もう一度思いだそうとするのだが、もうおぼろげにしか浮かんでこない。

そんなアヤを見つめたヒューバートは、ふぅん、と小さく声を出した後ルエリアの顔を見つめて小さく頷く。

「どうだ、過去ではなく先は見えるか? 数分後や数日後だ」

ルエリアに聞かれたため、数分後……できるかな、と言いながら不安そうな顔をするアヤの脳裏に、やはり何か映像が浮かんだ。

「――ええと……何分後だろう…………髪の毛を白い布で覆った背の高いメイドさんが……ティーセットを運んできてくださいますね」
「ああ……ではきっと陛下の侍女だね」

ヒューバートとアヤが何の話をしているのか、レスターだけは把握できていないようだ。

奇妙なものを見る顔で、この部屋にいる皆を眺めている。

この中でレスターだけが事情をまったくと言っていいほど知らされていないので、ヒューバートが人の心を読むことができたり、アヤにも何らかの力が発現しつつあることすら知らない。

多少の疎外感を覚えたところで、ヒューバートが『近いうちにちゃんと全部話すから』と言ってくれたことだけが幸いだろうか。

「その時は、アヤの口から説明してもらいたいですね」

アヤ自身、レスターに話せないのを心苦しく思っているようではあったし、何より二人でいられる時間も増える。いろいろ衝撃的な話もあるかもしれないが、そういった事も、アヤが話せるならそうしてほしいと感じたのだ。

そういった意味を込めて隣にいるアヤを見つめると、彼女もレスターを見上げて『必ずそうします』と眼を細めて笑ってくれた。

その微笑みに幸せな気持ちを覚えたレスターは、不思議だなとも思う。

数日前まで、こんなふうに女性と見つめ合う事が嬉しいとか、誰よりも愛しいと想えるような気持ちはこれっぽっちもなく、ましてや芽生えるとは夢にも思っていなかった。

出会って、たったの数日……いや、もしかするとその日のうちにレスターはアヤを好いていた。

そしてアヤも、自分を必要としてくれている。

まだアヤの事は何も知らないに等しいが、これから知っていけばいい。

もっとも……ルエリアから交際許可が下りるならば、だが。

その時、コンコンと執務室の扉が軽くノックされた。

「入れ」

ルエリアがそう声をかけると、失礼致しますと可愛らしい女性の声が聞こえ、ゆっくり扉が開く。

その女性の姿を見るなりアヤは驚き、ヒューバートとルエリアは何も言わずに視線を交差させた。

今しがたやってきた女性こそ、アヤが予知してヒューバートが素性を言い当てた、ルエリアの侍女だった。

レスターはアヤの顔やルエリアの態度などを注意深く観察し、アヤの能力について思い出したため『ああ……』と合点がいったような声を出して、侍女に怪訝そうな顔で見られている。

「……?」
「構うな。レスターが一人で考え事をしているだけだ」

左様でしたか、と侍女は頷きつつ柔らかな物腰で人数分の茶を淹れると、再び執務室を出ていく。

せっかく淹れてもらった茶を口に運びながら、綺麗な人でしたね、とルエリアに正直な感想を伝えるアヤ。

『美しさで言えば、おまえに並ぶものはそうそうおらん』とルエリアに真顔で言われ、困ったような表情を浮かべる。
「……アヤは、自分の美しさを理解していなさすぎるのです。
わたしは今日だけでも、兵士たちがぼうっとする顔を何度も見ましたよ」

そのぶん、レスターがムッとしたんだねとヒューバートにからかわれつつ、黙したままレスターもカップを手にとった。

「そうは言っても……その、私の基準と、この国の美的感覚がうまく釣り合ってないだけなのかなって……思います」
「残念な感覚だな。おまえは黒がなくともかなり綺麗だというのに……」

そうして、ルエリアはレスターに『おまえもこれから苦労するぞ』と言えば、レスターは『それは初日から諦めております』と眼を閉じて答えた。


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