夜の帳も下りて、すっかり外も暗くなった頃。
「それでは姫、また明日に」アヤがそろそろ休むというので、イネスはもとよりレスターも部屋から退出する。
ドレスからロングパジャマに着替えた後、リネットが丁寧にアヤの髪を梳きながら、今日は大変でしたねと声を掛けてくれた。
「明日はお医者様に診ていただきますから、少し早めに起床なさってください。その後一度入浴し、陛下にご挨拶されませんと」5時ころ伺います、とリネットが言ったので、ずいぶん早いなあと思いつつ、身支度に時間が掛かるからだと頷いた。
「でも……そんなに早く、お医者様は起きているの?」どこの世界も医者は大変なようだ。
しかし、ふとアヤは『この世界には魔法もあるはずだ』と疑問に感じる。
それをリネットに聞いてみると、彼女も魔法の事は詳しく分かりませんけれど、と前置きしながら答えてくれた。
「お医者様にも、魔術で治してくれる魔術医療士と、人体に精通した医者、の二種類がいます……。方法がないわけではないが、どうやら一般的には回復を促進させると体の機能を活性化するため、体力を消耗するらしいのだ。そのため重病人や、かなり衰弱している人にはできないのだという。
「ありがとう、参考になりました。怪我しないよう、気を付けますね」アヤが穏やかに礼を告げると、リネットの表情は不安に曇る。
「明日も……どこかに?」そうですか、と残念そうなリネットに、アヤは『何かあるの?』と尋ねる。
すると、リネットは音楽会があるのですと教えてくれた。
「音楽会は陛下も拝聴されます。折角の機会なので、ご一緒されてはいかがかと思ったのですが……」確かにそれは素敵で魅力的なイベントだが、その時間も惜しい。
「聞けたら嬉しいな……もし時間の余裕があれば」そうですね、とリネットも頷いて、再びアヤの髪を梳く。
「アヤ様」お願いですからと切ない声で哀願されて、アヤは返答に困ってしまった。
保証はできないと言えば、リネットはますます悲しみそうだ。
だが、こんなに心配してくれる彼女に、ウソはつきたくない。
肩に置かれたリネットの手を握り、『ありがとう』とだけ言うのが、やっとだった。
広いベッドに入ると、雨が窓をたたく音や、風で窓枠が軋む音を大きく感じ――天気は割と荒れているようだと知る。
「リ、リネット……なんだか、音が怖いんだけど……今日一人で寝ないといけない?」一人で寝ているけれど、と言ってから、目が見えないから余計音が怖いと可愛らしいことを小声で告げた。
「リネット、一緒に……寝てくれない、かな?」すると、リネットは何故だか困ったような声を出した。
「ええと……その、今日は予定がありまして……明日などであれば……」なぜ、もう寝るというのにこれから用事があるのだろうかと尋ねかけて――アヤはヒューバートの存在を思い出し、『あっ!』と大きな声を出してリネットを驚かせつつも把握した。
「……ごめんなさい……先約があったんですね……」リネットも恥ずかしさのあまり気が動転してとんでもないことを言いながら、部屋を出て行こうとする。
「待って、待ってリネット!! レスター様を呼んだら、私緊張して眠れなくなっちゃう! というより、確か特別な相手じゃないからダメだって昨日言ってたじゃない!」もはやアヤよりもリネットのほうが落ち着いていない。
止める者がいないので、二人はひとしきりきゃあきゃあと騒いだ後、大きく息を吐いた。
「……リネット。大丈夫です。一人で寝ます」誰か部屋にいるとあれば、怖くないでしょう? とリネットは言ってくれたが、結局あまり変わっていないのではないだろうか。
というか、もったいない、とはなんだ。
「確かに誰かいてくれたら心強いけど、レスター様は昨日からあまり満足にお休みになっていないでしょう? これ以上負担を掛けたら、倒れてしまうんじゃ……」仮眠と言っても、こちらを気にして浅い眠いとなっているだろうし、疲れも取れるわけではないだろう。
「大丈夫です。そんなヤワなことを言っていて、兵士になんてなれません!」なぜか兵士でもないのに誇らしげなリネットは、どん、と自分の胸を軽く叩くと、ちょっと待っていてくださいねと言い残し、レスターを呼びに行ってしまった……。
それからしばらくの後、確かにレスターは来てくれたようだ。
リネットが昨日のように窓と寝室の入り口に結界を張り、レスターによろしく頼みますと言い残して今日のお役目を終えた。
もちろん、最後にレスターを見て、ニヤリとするのは忘れない。
しかし。
寝室へ続く扉は……アヤが見えないのをいいことに開けっ放しである。
(絶対わざとだ……)そう悟ったレスターだったが、結界がレスター側に張ってあるので、手を出してドアノブを掴もうものなら弾かれる。
無理に閉めようとすれば、たちまち結界が壊れて大きな音を立てる仕組みだろう。
あのメイドは、人を陥れる事ばかり考えているのだろうか。
「……レスター様、ごめんなさい。お休みのところを……」ベッドの上からアヤが話しかけてくれるのだが、この状況は問題だらけ。
レスターはそちらに視線を向けないようにして、お気になさらずと答える。
「それじゃあ……おやすみなさい、レスター様」持ってきた毛布をかけて、壁に背を付けて目を閉じた。
そうでもしないと、妙に意識してしまいそうだからだ。
ライトの光量を薄くし、足元にランプを置いておく。
火は使っていないため、倒れても安心だ。
時に激しく、そして静かに振り続ける雨の音は、眠気を誘いやすいのだろう。
しばらくすると、頭の芯が重くなるのを感じてきた。よほど疲れていたのだろう……そう感じ、すぐに強い眠気が襲ってくる。深く物事を考える力も無い。
念の為【危険感知】を使用して、何か遭った時の補助とし――そのまま、彼も目を閉じた。