【魔界で従者を手に入れました/2話】

眼を開けると、そこは――確かに異世界だった。


まず空の色は青くない。夕闇の黄昏色じゃなくて、朝起きて空を見ても、絶対気分が良くならないようなどんよりとした紫色。見慣れない今は新鮮には映るけど、毎日見たいものではないかな。

そして、地上はといえば……この場所だけかもしれないけど、見渡す限り、木どころか草一本生えてない。砂地とか、ごつごつした岩山とか、そういうのばっかり。ハリウッドの宇宙をモデルにしたSF映画みたいな世界だ。

「……なに、ここ?」

パンフレットの明るい表情をしたイケメンは、はたしてこんな光景を『ファンタスティック!』とか言って喜んだのかっつー話よ。いや、望んで来たなら喜ばないってことはないのか……。

私のテンションが下がってきたのを見て、レディは『異世界の入り口ですよー』と明るい口調で話しかけてくる。

「異世界、パンフとか私の想像と違うんだけど……」
「これからですよ! さ、一緒に来てください!」

レディは一人楽しそうに、私の前を歩く。ふりふりお尻を揺らして歩くので、ついついまぁるいヒップラインを凝視してしまうけど……いいお尻だな……じゃなくて。置いていかれたら嫌だから、早くついていかないと。

小走りで距離を詰めると、どこからか視線を感じる気がする。やだな、なんだろ……?


立ち止まってキョロキョロ周囲を探ってみると、右手側にある大岩の間――……なんか大きな猿みたいなのが、こっち見てるんですけど。グルルとか唸ってますけど。

ゆっくり視線を外して、慌てず騒がずダッシュ。前を歩くレディの肩をがっしと掴んで、ガクガク揺さぶりながら変なのがいるって捲し立てた。

「そんなに揺らさないでください~~え? 動物いたんですか? どこに?」
「あれ、あれだよ……岩の間」

見るのも超怖いけど、私が岩の間を指さすと……レディはにっこりと微笑む。

「お客様、あれは動物という存在じゃないですよ?」
「大体わかるよ! なんなの!?」

あれはですね、とレディは平然としたまま顔を寄せて……私をドンと押すと一目散に駆け出した!


「魔物っていうんです!」
「フザけんなコラァァ! 囮にすんな!!」

ていうか魔物って何! ここ何なん!


隠れて機会をうかがっていた魔物が、今のやり取りで好機と取ったらしく物陰から勢いよく飛び出してきた! マジで食われる!!

「私は美味しくないよーーッ!!」

意味わかんないまま死にたくないっ!

所属の陸上部で鍛えたこの瞬発力を、今こそ発揮するとき!

尻餅をついた状況から横に転がって腹ばいになってから腕と足の力だけで体制を立て直し、砂っぽい地面を蹴った――あ、よかった。ちゃんとクラウチングスタートみたいにできた。

私が走りだした数歩後、獣が着地したらしき重い音が聞こえたけど、怖いから極力後ろは振り向かず、前をいくあの薄情なセールスレディめがけて走った。


ていうかあの女、パンプス履いてるくせに凄い脚速いんだけど……。

でもって、私の後ろからドドドってすごい音が聞こえてくる。

見ちゃいけない気がするけど、安全確認のため振り返ると……!


大猿、ヨダレまき散らして走って追いかけてきてるし。


「いやぁあああー!!」

絶対捕まったら食われる。捕まって食うって書いて捕食。

ジョーダンじゃない!! 何にも面白くないし!

「ちょっと! 何が安全を保障よ! ぜんっぜんはじめっから危険なんだけど!」

ようやくレディに追いつくと、肩を並べて文句を浴びせる。

「旅はある意味自己責任の塊ですよっ! 自分の行動に責任を持って頂かないと!」

よくもいけしゃあしゃあと……!

「無事に帰れたら訴えてやるっ……!」

ていうかいつまでも全力疾走なんかできないし、真面目な話、早くなんとかしないと二人とも死ぬかも。

「――見てくださいお客様! あちらに立派なお城が!」

レディが指さす方向を半信半疑で見る……あ、ほんとだ。ドイツとかにありそうな、黒っぽいお城。

「お城ってことは誰かいるよね……助けてもらえないかな?」
「早急に救助をお願いしましょう!」

その意見には賛成だ。私とレディは、とりあえずお城を目指して懸命に走った。

やば、ちょっと息上がってきちゃったよ……。

「お客様、しっかり! もうちょっとですよ!」

レディが私の手を取って激励し、引っ張ってくれる。

ありがたいけど、まだ息切れてないの? 凄い体力だなレディ……。これくらいのバイタリティでないと、営業はやっていけないのか……。私将来絶対営業はしないよ。

そうして、私とレディはお城の扉の前にたどり着いた。


レディが『ごめんください』と扉を叩くが、誰も出てくる気配すらない。

振り返れば、あのサルがどんどん近づいてきていた。

「レディ、早く! 来たよ!」
「あたしの名前、レディじゃないですけどねー……そんなことは今どうでもいいですよね」

仕方ない、と言ったレディ。手をぱんぱんとはたいてからスカートをたくしあげ――

「どォォオオリャアアアー!!」

すらっとした脚で、城のドアを蹴り開けた。

バァン、と音を立てて左右の大きなドアが開き、私たちはそこに駆け込むと扉を閉める。

あー……くるしい……。

ぜぇぜぇと肩で息をしながら、私は扉に身体を押し付けるようにして、すぐに開かないようにする。

もうお願いだから、来ないで……。

もう対処できないし、一回立ち止まると動けないよ。

ホントは全力疾走して急に止まるのは良くないんだけどね……。

肝心の猿の気配は扉の向こう側にあったけど、扉を叩いたり引っ張ったり、体当たりしたり……そういったことはしないみたいだ。

しばらくそこにいたようだったが、猿の遠ざかっていく足音と気配を感じて、ようやく安堵の息を吐くことができた。肺にたまった不安がどんどん吐き出されていく。

「レディ……! 頑張ったね……!」
「当然ですよ! わたしにかかればこんなもの朝飯前!」

おだてに乗ったレディは胸を張っている。

蹴り開けるのに手をはたいた意味は全然分からなかったけど、助かったことは助かったようだ。

ぴったりくっついていた扉から身体と両手を離し、避難した城内? を見回してみる。

「……暗いね」

幻想的と言えば聞こえはいいけど、濃い紫色のモヤ……がうっすら床に立ち込めている。

うーん、ちょうど、ドライアイスとかの煙? みたいな感じかな。

手で払ったりすると、空気の流れる方向に渦を巻きつつ散っていく。


照明とかもあるけど、蝋燭なのかな。

蛍光灯みたいな人工的な明るさのものもあれば、ちゃんと蝋燭を使っているものもあるね。

「こんにちはー……」

控えめに声を出してみたけど、誰も来る気配がない。

今度はもう少し大きな声で、もう一度呼んでみるんだけど……やっぱり誰も来てくれない。

「お留守なのかしら」
「お留守って……こんな家なら誰か居るんじゃないの? 召使とかさぁ」

家が広すぎて聞こえないとか。あんまり広いと、掃除とか絶対終わらないよね。

「ちょっと、お城に誰かいらっしゃるか見てみません? 今外に出たら、ほら……さっきのが……ね?」

さっきの、というのは……レディが私を見捨てて囮にさせた時の猿だ。

でも、レディも悪いと思っているのか、ただ単に怖いだけなのか――背を丸めて外をチラチラ気にしている。

「……勝手に入ってウロついたりしたら家の人の心証悪くしない?」
「理由を話せばわかってくださいますよ! だってこちとら異世界人ですもの♪」

ですものっ、じゃなくて……そんなに異世界観光もメジャーじゃないでしょ。多分。

だけど、レディは私の腕を掴んでずんずん奥へ奥へと進んでいく。

ちょっとやだ、なんで私も一緒なの?


「あのー。勝手に入ってウロついたりしたら家の人の心証悪くしない?」

しつこいようだけどもう一度聞いた。

「だって一人じゃ怖いですものぅ」
「私だって嫌だよ! こんな不気味なところさぁ……! もう観光はいいから早く家に帰して!」

予定と違う事が起こっただけで、すぐ元通りですから! とレディはフォロー……になってないフォローをしてくる。

彼女ももしかしたら、いっぱいいっぱいなのかもしれない。

「……これ、イレギュラーなの? 普通はもうちょっとスマートなの?」

ちょっとかわいそうになったので優しく尋ねてみると、レディは困ったように眉を寄せて、乾いた笑いの後……


「お客様をお連れしたのは初めてなのでぇ……これが『普通』なのかどうなのか……」

…………は?

「つまり、お客様を連れてきたことがないので、わからないってことですよっ?」

さっきから軽い口調でごまかしてるけど、分からないで連れてこられた私って……うまく釣られたってことじゃん。

「もう帰る」
「帰るって……どうやって帰るんです? 魔法を使えるのはあたしだけですよ?」

ドヤッとした顔を浮かべてるレディ。こいつ、私を依頼主に見せるまで帰さない気だな。

「じゃあもういいからさぁ。早く依頼主のところに連れて行って。早く帰りたい」
「そうしましょう、そうしましょう……でも、まずは探検ヨソの城、ですよ!」

どっちが観光しに来てるんだか、わけがわからないわよ……。

お化け屋敷にでも迷い込んだくらい軽い気持ちで進むレディの気の向くまま、私は腕を引かれて歩く。

私お化け屋敷とか苦手だから、もう重ね重ね嫌だよ……。


異世界って言ったら、もうちょっと綺麗でさー、なんかイケメンとかいっぱい出てきて、自分お姫様扱いで――とかなんかそういうのを想像してたのに……。

私はセールスにそそのかされて、猿に追いかけられてお化け屋敷探索中とかすごいギャップ。

またさっきみたいなのが出てきたらどうすんだよー……。

一人で悲しみに打ちひしがれていると、レディがお客様、と私の肩を叩き、顔を寄せてヒソヒソ声になる。

「ん?」
「これ、いかにもボスがいます的な扉が」

ボスがいます的ってなんのことなのか……。

レディが指す扉を見ると……5メートルくらいはあろうかという、鉄製の両開きの扉があった。

私たちはちょうど、その前に立っている。


ああ、なんとなく言いたいことはわかるかな。

マンガとかゲームには、こういう感じの後、魔王とかボスと戦闘になるもんね。

「ちょっと入ってみません?」
「や、やだよ怖いし」

ほんとに怖いの出てきたら勝ち目ないし。すごく嫌がって絶対ヤダって言ってるのに、レディは私の意見を無視して扉に手をかけている。


ヤバイもう知らない!

レディが私を置いて逃げたんだから、私だって逃げてイイ権利くらい――……?


……あれ? 体が、なんだか動かない。ピクリともしなくなったんだけど。うそ、なんで?

「お客様、行きましょ?」

レディが囁くような口調で私に言う。

この先は絶対嫌なのに、勝手に私の身体が動いて、扉に手をかけていた。

やだ、なんか怖い……! 声を出したいのにそれすらもできないまま、私の体は扉を押す――!

そしてどういうわけか、力も込めていないのに扉は開く。


結構広い室内はやっぱり暗くて不気味。でも、私の体は何かに導かれるように、ふらふらした足取りで部屋の中へと勝手に入っていく。

靄はさっきより多くなったようだし、不安のせいかなんだか息苦しい。


「…………ほう。我が城に侵入者か」

レディじゃない声に、ぎくりとした後全身がこわばった。だって、今の男の人の声だよ。

突然目の前の靄がざあっと、一瞬で晴れる。

霧散して、ほんとに消えてしまったみたいだ。


靄が晴れたその場所には……黒い玉座があって、そこに座っている男の人がこちらを値踏みするような目で私を見ていた。



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