【ルフティガルド戦乱 / 『一緒に』】

アルガレス帝国の首都フィノイス。そこにアルガレス城は存在する。

その国の皇子、カイン・ラエルテ・アルガレスは城下の視察を終え、帰還を待っていた臣下へ外套を渡す。

恭しく一礼して外套を受け取り、その場を離れていく臣下を一度だけ視界にとらえ、カインは玉座の間へと歩みを進めた。



「お帰りなさいませ」
「皇帝陛下がお待ちです」

カインがやってくると、扉の前で警護を続けていた二人の兵士がカインへ声をかけて扉の前から引く。

「父上。カインです。只今帰還致しました」

扉を兵士たちが開き、カインは玉座の間へとゆっくりとした足取りで入ってくる。

白い服の右胸にはアルガレス王家の者であると示す勲章が、金の細鎖と共に揺れていた。

カインは王の前に跪くと、形式上の礼をする。それを片手で『よい』と制する皇帝。

「……して、城下の様子は」
「魔族との争いは激しく、近郊の魔物も殊更増加したため、国民は一層不安や恐怖を覚えているようでした」

王より許可が下りたため段を上がり王の左、獅子を飾った玉座に腰かけたカインは、その目で見てきたことを簡素に報告する。

カインの報告に、アルガレス王は憂いを込めて小さく唸った。

「そうか……増加の一途では、一同大規模な討伐を起こすしかないとは考えているが……同胞であるミ・エラス共和国からも救援の要請が入っている。これ以上は自国の防衛の為、兵を割くのは厳しい」

隣国であるミ・エラス共和国は昔、アルガレスから独立した国である。

現在もアルガレスとは友好国でもあったが、魔族に苦戦しているようだ。

ミ・エラスだけではない。ほぼすべての国が、防衛のために魔族たちと戦いを繰り広げていた。

「このアルガレスでさえ苦戦です。他の国にも余裕はない。もしかすると、ミ・エラスは堪え切れぬかもしれません」

カインは己の考えを王に伝えたが、滅多なことを言うなと一蹴された。

「あちらにも太陽神ルァンの祝福がある。それに、今アルガレスが魔の者たちを押し返すことが出来れば、他国の希望にもなろう」

確かに共和国はアルガレス王族に連なる者が国王だが、ルァンの祝福はカイン達よりもずっと薄く、ないも同然なのだという。

「ルァンの……か。では父上、彼らは前線に立つとでも思われますか。
御身はいかがか。敵を、死を恐れぬ気概があろうと、戦力差を覆すには有能な策士と魔術師、一騎当千の将がいる。
その辺に転がる有能ではなく、稀代の才能が、です」

カインの言葉に、分かっておると力なく返すアルガレス王。

「かといって、イリスクラフトは貸せぬ」
「ええ。ラーズも正統後継者と認められたようですが、彼を送り出す事も出来ないでしょう」

ここで議論をし、正論を吐こうと状況は蟻一匹分変わらないことはカインとて分かっている。

王にも疲労の色が見えた。外交や内政でままならぬことが多いのだろう。

だが、王は国内の産業発展などには意欲を見せるが、国内の政治対応は遅い。こうして話しても無駄だと感じたカインは、深く沈んだ青い色の眼を王から外す。

「オレもまだやるべきことが残っているため自室に戻ります……父上もお疲れのようだ。早めに休まれるが良策と思います」

そのねぎらいの言葉に反応し、父王はカインの背へ言葉を投げる。

「……カイン。婚姻の儀の事だが」

父の言葉に、カインは再び顔をそちらに向けざるを得なくなった。

事実、やるべきこととはその段取りも含まれている。しかし言いづらそうに、父王は言葉を濁した。

「イリスクラフトの娘との婚儀は、もう少し延期したほうが良い。国民の反感を買う」

またか、とカインは憎々しげに呟き、降りかけた段差から身体ごと向き直る。

「……それは何度目です、父上。もう二度もそう言って先へ延びている」

カインの顔に濃い反感が浮かぶ。荒れる事はないものの息子が激情に駆られ、怒りをあらわにしているのを見て取った王は、許せと一言詫びる。

「この時期にそんな事をして大量の兵を警護に回す余裕も、国庫も使うわけにもゆかぬ。理解しろ、カイン」
「……リエルトはどうなる。国の都合で不肖の子として扱われなければならないのか」

これ以上は待てない、儀をする費用がないのなら、せめて夫婦として認める書状を書いてくれとカインは告げる。

だが、それももう少し落ち着いてから発行すると告げられ、カインは落胆と共に話にならんと吐き捨てた。

「皇子、お気持ちをお静めになって下さい。王は発行しないと仰っているのではないのです」

見かねた大臣の一人がカインへ進言するが、カインは王を見据えて『どうだか』と無遠慮に言い放つ。

「父は、当初からイリスクラフトとの婚姻は乗り気ではなかったのだ。
もっと、相応しい娘がいると言ってな……大方、再びどこかから話が持ち上がってそれを諦めきれぬのだろう」
「カイン! いい加減にせぬか!!」

怒鳴り声を上げる王を一瞥し、カインはこれ以上話すことはないとでもいうように、踵を返して段を降りていく。

「良いな。時期をみて取り計らう。それまで待て」

厳かな口調で伝えられる王の言葉に微塵の期待も抱かず、カインは玉座の間を後にした。


自室に戻ると、レザーベルトを外しながら剣を外し、ソファの上に投げ捨てる。

苛立ちを抑えきれぬといった様相で、室内を大股に歩いて窓へと寄った。

夕方だというのにそこから眺める空は灰を塗りたくったように暗く、城下町には灯りも少ない。

こうしている間にも、どこかで魔族が人間をその手にかけているのだろうか。


「……気になる事があるの?」

遠慮がちにかけられた声に、カインはゆっくりと振り返った。

そこには、赤子を抱いた自分の婚約者……シェリア・イリスクラフトが立っていた。

「カインは最近、いつも怒ってばっかり。リエルトが気に当てられて泣くわ」
「好きで怒っているわけではない……情けない父に嫌気がさしただけだ」

シェリアの手からリエルトというらしき赤子をそっと抱き取ると、その顔をのぞき込む。

赤子も夕焼け色の瞳を父カインへと向け、じっと見つめていた。

「……すまない、リエルト。まだお前を正式な世継ぎと認めてはくれぬそうだ」

その言葉に、シェリアも悲しそうに眉を寄せた。

「王は、なんと……? やっぱり私の……」
「……シェリィのせいじゃない。この……国家情勢では難しいとのことだ」

それは建前上の事だとカインは踏んでいる。国庫とて様々な支出がかさみ潤沢ではないにしろ、ただ聖職者を呼び、婚儀を行うだけなのだ。莫大な金がかかるわけではない。

確かに国民感情を配慮するというのは必要なことかもしれないが、反対の声はほとんど聞こえない。

暗い時世であるからこそ、明るい話も国民は欲しいのではなかろうか。そう思うのは自分の都合だろうか。

「しかし、なぜ夕方だというのにリエルトがここに? 乳母からリエルトを取り上げたのか?」
「この子はいったん泣くとなかなか泣き止まないから、安心させようとしていたの」

そうしてシェリアはカインへ近づくと、リエルトの頬を撫でながら微笑む。

「リエルト、将来はあなたに似ないでほしいわね。頑固ですぐ怒るようになると、女の子に嫌われるもの」
「オレは言うほど頑固じゃない。大事なものは譲れないだけだ」

そう言って、カインはシェリアにリエルトを渡すと、シェリアの前髪を指先で払い、露わになった額へ優しく口づけを落とす。

「譲らないのはともかく、怒るのは認めるの?」

シェリアは婚約者の言葉に意味深なものを感じ、頬を赤らめつつはにかんだ。


「シェリィ」

カインの囁きにくすぐったいものを感じながら、シェリアは優しい表情でカインを見つめる。

「なに?」
「……今、幸せか?」

思ってもみなかった言葉に、シェリアはこの雰囲気から我に返ったように目を瞬かせた。

幸せとは、考えたことが無かった。かといって、不幸であったとも思わない。

「どうなのかな。でも……カインのお陰で、今の私はこうしていられる。こうして守るべき子も出来た。後悔はないし、きっと幸せなんだと思う」
「実感は、残念ながら無いようだな」
「ん……」

シェリアは申し訳なさそうに俯き、腕の中の我が子を見つめた。

産毛のように細く伸びてきた金の髪をそっと撫で、目を閉じる。

「私がカインの側に居てもいいのかって……時々思うの」

シェリアが発した言葉は、彼女の銀の髪を指で梳いていたカインの動きを一瞬止める。

そのまま、カインは銀の髪を指に絡ませたまま、妻となるであろう女の顔を観察するように見つめる。

「なぜそう思った?」
「あの時、カインが私を見つけなかったら……カインは今のように、いろいろ王と口論せずに済んだかと思って」

シェリアも、カインが王と時折口論を行っているのを知っていた。その原因の一端が自分にあるのではないかという事も考えた。

「私がベルクラフトに――」「やめろ。二度と口にするな」

カインの鋭い静止の声が入り、シェリアは思わず口をつぐんだ。

そうしてカインはリエルトを奪う様に抱くと、そのまま扉へと真っ直ぐ向かう。

部屋の外へと出て、メイドを探す。声をかけて捕まえたメイドにリエルトを乳母の元へと連れていくよう託し、再び戻ってくると扉を閉めた。

一人で行かせて大丈夫かと心配そうな顔をしたシェリアに、安心するよう頷きかける。


「シェリア、お前はラーズから……ベルクラフトがどういうところか聞いたことはあるか?」

カインの問いかけにシェリアは正直に首を振ると、カインは小さく息を吐いた。

「……そうか」
「兄様とカインは……ベルクラフトの事を何か知っているの?」

オレも聞いただけだがと言ってから、カインはシェリアを見据えて『識る覚悟はあるか』と告げる。

その表情は真剣で、何かただ事ではない――そんな気さえ覚え、シェリアの胸中に不安が広がった。

不安というより、恐怖のほうが近い物だろう。それでもシェリアは、二度ほど深呼吸をして気を整え、頷く。

カインは一つ頷くと、シェリアをソファのほうへ座るよう示す。

己も柔らかい布地張りのソファに近づきながら、先ほど放り投げた剣とベルトを再び掴んで端に置き、シェリアの横に腰かけた。

少々緊張しているらしいシェリアの肩に手をやり、自分のほうへと引き寄せる。

腕の中にシェリアの柔らかい身体を抱きしめ、その体温を感じながら、シェリアを刺激しないよう言葉を選びながらカインはゆっくり語り出した。


「ベルクラフトは、シェリアを養女に欲しがっていた。それは……シェリアも知っているように、イリスクラフトからあの家に直接提案したことだ」

シェリアも直接父から聞いたことで、間違いはない。

お前はベルクラフト家に行くのだからイリスクラフト家で何も覚える必要はない、と言われ、魔術師の名家の出身であったとしても、カインと出会うあの日までは開錠の魔法しか知らなかった。

「――だが、前々からベルクラフトはイリスクラフト家の持つ魔力を欲していた。
それは、シェリアに限ったことではない。シェリィの母がラーズを身籠ったときにも、彼らは双子ではないかと期待していたそうだ」

浅ましいものだとカインは言うのだが、ここからではシェリアの顔はよく見えなかった。

だが、こんな話をする時に相手の顔が見えないのは良い気がした。

カインとしても、この話の結末は語るに重い。シェリアは悲しむだろうと思って疑わない。

ラーズが今まで口にしなかったことだ。妹に聴かせたくない話題だったかもしれないとようやくカインは思い至り……また小言を食らうのだろう、と自嘲した。

「ラーズが生まれた時に、彼らは自分たちが喉から手が出るほどイリスクラフトの血が欲しいと告げていた。
一方的にとはいえ、憎むべき相手に本心を吐露する屈辱は並大抵のものではないと察する」

その心情を汲んだか、はたまた策略か。

イリスクラフトは――もし、自分の妻が子を身籠り、女だったら頃合いを見てベルクラフトに授けようと言った。

ベルクラフトもそれは喜び、女児の誕生を一日千秋の思いで待ったのだ。

「そして三年後、彼らの願いどおりに女児が……シェリアが生まれた。特にベルクラフトの喜びは大きかっただろう」

実の父親の喜びよりも、という言葉を飲み込みながら、カインは目を閉じる。

シェリアは先ほどから言葉も発さず、微動だにせず話を聞いている。

心の動揺もあるのだろう。落ち着いてから続きを話そうかと思ったが、シェリアはそっとカインの手を握る。

「続けて……」

不安そうな声に、カインは安心させたいと思い、その体を抱きしめる手に力を込める。

「今更だが、お前を悲しませるとラーズに怒鳴られる」
「兄様は……今関係ない」

シェリアはそう言ってカインの顔を見上げた。

「話して、お願い。中途半端には終わらせたくないの」
「……わかった」

シェリアの手を握り返し、カインは再び口を開いた。


「勿論、シェリアを渡すことに反感と悲しみを覚える者がいた。
それがラーズとシェリアの母……ランシール。腹を痛めて生んだ娘が、ただの養女で終わるわけはないと本能的に理解したようだ。
すぐに引き取られると決まった自分の娘を、せめて数年間は……イリスクラフトに置いてほしいと嘆願した」

だが、すぐに変えられるはずはない。契約同然の約束である。

そう告げたイリスクラフトに、ランシールは『それなら』と、自らの覚悟を示した。

「――ランシールは自分がベルクラフトに行くと告げた。
イリスクラフトに見初められる魔術師としても申し分なく、女として成熟している自分のほうがこの赤子より何かと都合は良いだろうと……」

その時、シェリアの身体が強張り、カインの手を握る指先に新たな力が加わった。

「……母様、が……私の、身代り――」
「……そうとも言える。だが、イリスクラフトとベルクラフトは了承した。
その瞬間、ランシールは何を思っただろう。ともかくラーズは使いの者と共に家を去るランシールを、泣きながら姿が見えなくなるまで見送ったそうだ」

ランシールやシェリアに対する、愛情のかけらもない父の態度にラーズは反発を覚えたらしい。シェリアをお願い、という母の言葉を胸に刻み、ラーズは今までシェリアの面倒をよく見てきた。

そして、ラーズはシェリアがリエルトを身籠ったと聞いたときに、カインの元を訪ねて二人で顔を突き合わせ、知っている内容全てを語ってくれた。

ラーズも『自分は幼かったゆえ、古くから家にいる者に聞いたところもある』と言ったそうだが……まず内容に間違いはないだろう、とのことだった。

「なんてこと……ではベルクラフトへ行った母様は……」

独り言のようなシェリアの疑問。その声音は不安定に揺れている。例えシェリアが冷静だったとしても、カインはそれには答える気もなかった。

恐らく、ベルクラフトにシェリアとラーズの異父兄弟がいるだろう、という事実。

「……とにかく、ベルクラフトは……まだ妹を狙ってくるかもしれない、とラーズも気にかけていた」

シェリアがカインの妻になるから、ということで当時も無理やり押さえつけたのだ。しかし、シェリアがアルガレス城に来てもまだ正式な夫婦にはなっていない。

そうなれば、事実はどうあれカインにその気がない……と思われている可能性もある。

カインとしては、すぐにでも式は済ませるつもりだった。だが、何故かことがうまく運ばない。

苛立ちも募るが、いつまでも腹を空かせ、骨まで食らい尽くすようなベルクラフトの意地汚い連中に、付け入る隙など与えたくはなかった。

「絶対に、お前もリエルトも渡さないと……自分とラーズに誓った」

カインはそう呟き、シェリアの髪に顔を埋める。薔薇のような香水の匂いが鼻腔に入った。

「オレにとっては、シェリィやリエルトと共にいる事……それが願いのようなものだ」
「カイン……あなたには、まだたくさんの存在意義がある」
「それ以上のものはない」
「でも、あなたは国をいずれ継がなくてはいけない。一番考えなければいけないのは……」
「……そのことだが」

カインはゆっくりとした動作でシェリアから身を離す。

まだ、大切な事を教えねばならない。


「オレや父は、既にアルガレスの……ルァンの祝福を色濃くは受け継いでいない。その血統は絶えてしまった」
「え……?!」

衝撃的な発言に、今度はシェリアが驚く番だった。

カインは直系の子孫ではないという事だろうか。耳を疑うシェリアに、先帝は身体が弱く、子を授からなかったからだと伝えた。

先帝だけではなく先々帝も兄弟はおらず、その二人に比べ、血の薄いアレス6世が最も王位に近い継承者であった。

だが、ルァンの祝福は直系から離れれば離れるほど比べ物にならぬほど薄れていき、カインたちの血統から先は針先すら防ぐこともできないそうだ。

それでも国家存続の為、王位はアレス6世へと継承された。

「父上もなかなか子が授からず、周囲が気を揉んだらしい。結局オレしか世継ぎ候補は出来なかったようだが」

そして、シェリアはカインが以前『世継ぎは早めに欲しい』と言っていた意味をようやく理解できた。

「驚いたようだが、家系図を読めばわかることだ。
確かにこれ以上血筋が遠のくと血がますます薄くなるそうだが、既に直系ではないというだけで、オレも大きな重圧はない。がっかりしてそこでオレに興味を失くすのなら、それも構わん」
「何くだらない事を言ってるの。カインにルァン様の加護が無くても関係ない。
カインの事を好きになったのは、そういう付加価値みたいなもののためじゃない……私の事、まだよくわかってくれてなかったの?」

そう言って、シェリアは甘えるようにカインの胸にしなだれかかると、青い瞳の婚約者を見つめて金の髪に触れる。

「この綺麗な金色の髪も、不思議な空の色をした瞳も大好き。
特に私をシェリィと呼ぶ甘い声が大好きなのも知らなかったのは、ちょっと寂しいな」
「今更言われなくとも知っているし……好きだの嫌いだのという返事はきっと……していたと思う」
「え?」

戸惑うシェリアに、なんでもないとカインは気にするでもなく告げ、シェリアの手を掴んで互いの身体を密着させるように抱き寄せた。

ただ、女は常に言わないと分かりはしないようだとカインは思った。


「母様の事は辛いけど、私にとってカインは大切な人……。
あの時あなたに出会わなかったら、笑って居られなかったかもしれない。ありがとう、私を見つけてくれて……どうか……」

その先を言うのが怖いのか、シェリアはいったん言葉を切ると、カインの胸に顔を伏せたまま、告げる。

「私から離れていかないで……。あなたとリエルトを失うのなんて耐えられない」

蚊の鳴くような声だったが、それはシェリアの本心らしい。

「……オレを失いたくないなら、いつでも愛でて構わないか? シェリィはすぐに恥ずかしがってはぐらかすから不満が募る」
「…………努力はする」

そんなものの努力はいらないのだが、生憎そこを指摘する人物はいない。

「でも私がいなくても、あなたは女性の引く手数多だから結局変わらない気がする」
「そうならないように、夫の気を引くのも妻の役目だと考えないのか?」
「もう旦那さん気分なのね……」

呆れたような顔をするシェリアだったが、まんざら嫌でもないらしい。

「そういうシェリィも、既に嫁気取りだ。尻に敷かれぬよう気を付けるか」
「もう無理よ。毎日、私に甘えているじゃない」

二人は他愛ない冗談を口にするとくすくすと笑い合った。


戻るべき場所があること、心地よい居場所がすぐ隣にあることを嬉しく思いながら。



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