【ルフティガルド戦乱 / 『ここから』】

「窓から見ていたのは君だよね」
「……うん」

少女は顔を上げずに、首を縦に振る。

「イリスクラフトの魔法使い。将来、俺の――」
「ううん、それは兄さんだけ。私は無理」

無理というのは何なのか。そう訊ねようとした矢先、少女はラーズから離れた。

金色の瞳には、小さな拒絶が見える。

「――もう、あなたと会う事はないと思う」


軍事国家アルガレス帝国。

鉱脈に恵まれ、鉄製の製品を数多く生産する国である。

精霊は鉄を嫌うが、魔法鉱石と呼ばれる魔力を帯びた石も数多く産出されており、アルガレスはほぼ全世界的に魔法鉱石で出来た製品を流通させている、財政的にも豊かな国である。

アルガレス皇帝、アレス6世はアルガレス創始以来、国をもっとも繁栄させたであろうと言われている。


ある日の事、皇帝はまだ幼い息子を連れて馬車を走らせていた。


「父上。本日はどこへ行かれるのですか」

幼い皇子は顔を上げ、父である皇帝を見上げる。

青空のように澄んだ蒼の瞳。時折、彼の瞳の色彩は変化する。

藍色や浅黄色。感情や体調によっても逐一変化する不思議な虹彩色。

先祖が受けた加護の効果によるものなのかは不明だが、アルガレスの家系で稀に現れるのだという。

父は息子に微笑みかけ、従者に会いに行くのだと言った。

「お前も将来、イリスクラフトの補佐を受けるのだ。顔合わせついでに共に来なさい」
「……イリスクラフト?」

聞き慣れない単語を、皇子は聞いたままに呟く。

その呟きは、砂利道を進む馬車の車輪音に打ち消された。


馬車は石造りの白い屋敷の前で止まり、御者によって扉がゆっくりと開かれる。

日の光が目に入り、皇子は眩しくて目を細めた。

「――陛下。このような場所までおいでにならずとも、こちらから出向きましたのに」

馬車を降りた皇帝へ、痩せぎすな感のある中年男が話しかけていた。

びっしりと魔法文字が彫られた青いロッドに、ほそく骨ばった指が絡みついている。

カインもこの男を見たことは幾度かあった。ただ、名前に興味が無かったので覚えようとはしていなかった。

そういえば、時折父と一緒だった。という記憶しかない。

「気にするな。たまの息抜きだ。それに、今日は息子を連れてきた。未来の後継者同士、面識を持たせる必要もある」

皇帝は恐縮する男に首を振って答え、皇子を呼んだ。

「カイン。ここが我らアルガレスに仕える世界最高峰の魔術師、イリスクラフト家だ」

皇子は馬車の扉に手をかけ、恭しく礼をする男をじっと見つめた後、その白亜の屋敷に視線を移す。


「…………?」

屋敷の数階上にあたるだろうか。

小部屋から、何者かがこちらを窺っているのが見えた。

カインも思わず白いレース編みのカーテンの隙間から様子を窺っている者を凝視する。

カインと年がさほど変わらぬように見受けられる子供だ。カインと目が合ったのに気付いて、素早く隠れてしまった。

身を翻すときに、白か銀か判断は付かなかったが……長い髪が揺れた。

そこでカインも、この家には女の子がいるのだろうと理解した。

いや、正確には髪が長かったので少女だろう、と思っただけだ。

「……どうした、カイン。行くぞ」

アレスはイリスクラフトという男に先導されて屋敷の階段に足をかけたところで、馬車から降りようとしないカインに声をかける。

はっとしたカインは、若干慌てて馬車を降り、小走りに父の背を追った。

もう一度あの窓の場所を見上げてみたが、誰かが見ている様子はなかった。


本が所狭しと並べられた室内を幾つも抜け、アレスとカインは大きな部屋へと通された。

部屋を支える金色の円柱にも、魔法文字が幾つか彫られていたが、何と書かれているのかまでは読めない。

「珍しいですか? あれは結界を瞬時に発動できるよう備えているのです」

イリスクラフトはカインの視線をたどり、目を細めて優しく告げた。

カインはその文字を見つめたまま、城にはないと答える。

「ええ、アルガレス城にはございません」
「なぜ?」
「イリスクラフトと我らの兵……そしてルァンの加護があるからだ」
「ふぅん……」

アレスがそう答えると、カインは気のない返事をよこした。


太陽神ルァン。

アルガレスの王族に祝福を与えたという偉大な神である。

神が祝福を与えたとされる王族は、アルガレスを除いて現在は滅んだとされるティレシア王家、そして女神エリスの直系であるリスピアの新王家のみ。

カインにとっては、その祝福がありがたいことであるのかもわからない。

だが、万人に受け継がれていないのであれば、自分は違うものなのだということだけは分かっている。

ルァンの祝福は、祝福者を物理的な攻撃などから護ってくれるものだ。

王家に残る歴史書には、刃も棍棒も弓矢も斧も、祝福者に悪意を持って投げられた物体は、いかなるものであろうとも傷つけることはできなかったのだという。

とはいえ、現在アルガレス王家にかかっている祝福はかつてのものよりもずっと薄れてしまっているらしい。

カインも転べば擦りむいた箇所から血は滲むし、強くぶつければ痣にもなる。

アレスが経験を交えて言うには剣で斬られても傷はさほど深くなく済むし、傷の治りは早いらしい。

「皇子は祝福に興味はございませんか」

イリスクラフトが苦笑すると、カインはよく分からないと正直に答えた。

「なくて困ることがあるなら、祝福はあるほうがいいのかもしれないとは感じる」
「リスピアのルエリア王女のように、魔法の類が一切無効になるのであれば大変助かるのでしょうな」

そうなると、わたしはお役御免ですねとイリスクラフトは告げ、アレスはそうだなと目を閉じた。

「ルエリア王女は、おそろしく気丈な姫だったな。
『余を嫁に欲しければ、ユムナーグを倒してみよ』と言っていた。流石にあの神格騎士に勝てる者はあるまい」

エリスの祝福があればアルガレスも良い血が残せたのだが、と残念そうに語るアレスへ、イリスクラフトは僅かに口角を上げる程度の笑顔を浮かべた。

その表情をじっと見つめながら、カインは多大な退屈さを感じていた。

(帰りたいな)

もう魔法使いの名前は覚えた。多分また何かの式典で会うのだろうし、城の詰所で兵士たちに鍵開けやカードゲームを教わるほうが楽しかった。

アレスは窮屈な城から出てきたので、急用がない限りは早く帰るつもりはないようだ。

あくびを噛みしめ、目に僅かな涙が浮かんだところで……部屋の扉が軽く2度叩かれる。

イリスクラフトが許可の返事をすると、遠慮がちに扉が開いて、銀髪の子供が姿を見せた。


(……長くない)

先ほど見たのは、長い髪だった。ここにいる子供は短髪。そして男だった。

「陛下。お久しぶりです……そしてカイン皇子、わたしはラーズ・イリスクラフトと申します。どうぞよしなに」

部屋に入ってきた少年は胸に手を当て、綺麗に礼をする。

吊り目がちなアイスブルーの瞳でカインを見据え、少年は未来の主へと声をかけた。

「……君だけ?」

カインが何を言いたかったのか、イリスクラフトの当主もアレスも正確に理解できなかったようだ。

ラーズと名乗った少年は僅かに眉を寄せ、頷いた。

「はい。次期イリスクラフトはわたしです」
「じゃあ」

さっきの子は誰だったのだろうか。

もしかすると、小間使いだったということもある。

あまり深く追求することもないと考えたらしいカインは、よろしくと一言告げた。

「……父様。皇子は退屈されているようですので、わたしの部屋や中庭にお連れしてよろしいでしょうか」

ラーズがイリスクラフトに伝えると、彼らはアレスの表情を伺う。

アレスは視線を受け止めつつ、そうしてもらおう、と快諾した。

「中年2人の世間話の相手は退屈に違いないな。ラーズ、初仕事を任せよう」
「はい。ありがとうございます」

ラーズは目を伏せて再び礼をすると、姿勢を正してカインに向き直る。

「皇子、こちらへ。屋敷をご案内します」

ラーズの案内で、部屋を出たカインは解放された安堵から小さく息を吐いた。

「わたしの部屋も本ばかりある部屋ですので、退屈されるかもしれませんが……」
「いいさ。父上たちの話はあまり面白くない」

カインがそう言うと、ラーズはそうですねと無表情のまま同意した。

「女性や家柄の話が多いので、わたしも聞いていたら退屈で仕方がないです」
「家柄? 君の家でも?」

意外そうな顔をするカインに、ラーズは古い話ですけれどと念を押して続ける。

「昔、クライヴェルグの王女がイリスクラフト家に嫁いだので一応、分家筋であるそうです。
クライヴェルグの行事にも時折呼ばれています」
「そうなんだ……」

カインはクライヴェルグ王国の事もあまり知らないため、先ほどから小難しい事を良く知っているラーズの顔を仰ぎ見た。

「君も帝王学を?」
「ええ……後継ぎですので、勉強しています」
「勉強好き?」
「嫌いと言って終わることなら、できればそうしたいです」

あまり表情を変えない少年を、カインは不思議そうに眺めた。とても落ち着いているし、的確に物事をとらえているようだ。

「ラーズは年いくつ?」
「10歳です。カイン様より1つ上ですね」

え、とカインは驚きの声を上げて目を見開いた。その表情をやや不服そうに見つめるラーズ。

「どうして驚かれているんでしょうか」
「あまり変わらないのに、俺より色々知ってるから」
「カイン様も、もうすぐ嫌というほど詰め込まれると思いますよ」

そう言いながら靴音を響かせ、階段を上り始めるラーズ。その後をカインもついていく。

「さっき、君は窓の外から俺たちが来たのを見てた?」

階段の手すりを掴みながら段を上るカインは、数段上を行くラーズの背中に訊ねる。

「いえ。本を読んで……ああ……なるほど」

ラーズはようやく合点いったというように深く頷いた。

階段を上り終えた2人は、左右の壁にいくつもの肖像画が立ち並ぶ廊下を通り抜けて、白い扉の前にやってきた。

ラーズはそっと扉を開けると、するりとその隙間から室内へ入って行く。

カインも同じようにして部屋の中へと足を踏み入れる。


少しかび臭いような、印刷物の匂いが室内に充満していた。

(……本の匂いだ)

アルガレス城にも書庫はあるが、それを上回る数と内容がこの屋敷内には保管されている。

無数の棚は床から天井まで積み上げられており、そこにはぎっしり隙間なく本が収められていた。

圧倒的な光景に、カインは口を半開きにして見入ってしまう。

「すごいな」
「すべて魔法書です。わたしたちイリスクラフトは、あらゆる魔法への理解を目指して研究を重ねています」

ラーズの落ち着いた声音に、カインは再び質問を重ねる。

「君も魔法を使えるの?」
「……はい」

当たり前だろう、と言いたげなラーズの顔。恐らく、もう彼は普通の魔術師並には勉強を重ねているはずだ。

ラーズはカインから視線を外すと、本棚の間を注意深く見たりしながら歩き回り、何かを探していた。

「何を探してるの?」
「カイン様がご納得いくものです」

抽象的な応答に首を傾げるカイン。ラーズがどれほど魔法を使えるかという事を証明するのだろうか?

そんな事を考えていると、ラーズが目当てのものを見つけたらしい。本棚の狭間に消えてしまった。

「――お探しの者は、この子では?」

再びラーズが姿を見せた時に、カインは思わず『あ』と声を上げた。

ラーズが腕を掴んで引っ張ってきたのは……先ほどカインが見た、髪の長い少女だった。

少女は、カインの姿に驚いて、ラーズにしがみつくようにして身を隠す。

「妹のシェリア・イリスクラフトです」

何も話そうとしない様子の少女に代わってやむなくラーズが紹介するのだが、少女はふるふると否定するように首を振る。

「……本当の事だろう」

ラーズは妹の頭を撫でてやると、カインに謝罪する。

「人見知りが激しいわけではないのですが……すみません。挨拶もろくに出来ず」
「別にいいよ。そうか、兄妹いるんだ。俺にはいないから羨ましいよ」

カインが顔を綻ばせると、ラーズも安心したような表情を浮かべた。

光量の抑えられた室内でも、イリスクラフト兄妹の銀髪は輝くように見えていた。

「さっき、窓の外を見てたのは君だよね?」

カインはシェリアというらしい少女に話しかけたが、少女は答えない。

「……うん」

ラーズが妹の肩を軽く叩くと、ようやく蚊の鳴くような返事が聞こえた。

カインの耳にははっきりと届かなかったが、首が縦に振られたので、先ほど見かけたのがやはり彼女だというのは理解できた。

「じゃあ、君もイリスクラフトの魔法使いなんだろう?」

だが、少女は無言のまま首を横に振ることで否定の意を示し、ラーズの表情もやや暗くなる。

「将来はラーズと一緒に――」
「違う。イリスクラフトは兄さんだけ」

ようやく少女ははっきりとした口調で告げると、カインを見据えた。

「私は無理だから」

無理とはどういう意味なのだろうか。困惑したまま、カインは理由を尋ねようとするのだが……シェリアはラーズから離れると、一歩後ずさる。

「……あなたとも、もう会うことはないと思う」
「シェリア。カイン様に無礼な事をするんじゃない」

ラーズが窘めたが、シェリアは金色の瞳に拒絶を示す。

「だって……」

シェリアはラーズと見つめあって意図を汲んでもらおうとしたようだが、ラーズが譲らないと知ると肩を落とす。

「私は、もうすぐこの国から出ていくの。イリスクラフトでもなくなる」

良く事情が呑み込めないカインは、難しい顔をしたままラーズに向き直る。

「ラーズはイリスクラフトで、妹もイリスクラフトなんじゃないのか?」
「実の妹に相違ありません。ですが、イリスクラフトの後継者は1人のみとなっています。
そして、男子が受け継ぎます。シェリアは女なので……分家のベルクラフトへ養女に出されます」

良くあることですとラーズは言うが、言葉とは逆にその表情は浮かぬまま。

彼らの言うことを理解したカインは、ふぅん、と答える。

「……シェリアは嫌なの?」
「嫌だけど、決まり事だから」

しょんぼりした様子のシェリアに、カインはさらに質問を続けた。

「嫌って言った?」
「父様にそんなこと言えるわけないでしょ」

反論するシェリアに、カインは呆れたように『なんだ、言ってないのか』と吐き捨てる。

「言わなくちゃ伝わらないじゃないか。俺も嫌なことは父上に言って変えてもらったりするのに」
「皇子と私は性別も違うもの」

その言葉に、カインはムッとする。確かに自分とシェリアは違うのだろう。

つかつかとラーズの前まで歩み寄ったカインは、シェリアの手首を無造作に掴んだ。

「きゃ……!」
「シェリア、ラーズ。父上たちの所に行こう」

シェリアの手を引っ張って、カインは部屋を出ようとするが、シェリアは嫌がって本棚にしがみつく。

「だめ! 兄様も怒られちゃう……!」
「でも、嫌なんだろ? このままじゃ、ラーズともイリスクラフトの家とも離れるんだぞ」

それでいいのか、とカインが聞くと、シェリアは唇を噛んだ。

ラーズが止めに入るかと思ったのだが、彼は事態を注意深く見守っている。

「……家に居たい」

シェリアが小さく呟いて、本棚から手を離すと目元をぬぐった。

泣かせたのかと思い、ぎくりとしたカインだが……シェリアは顔を隠すように俯いてしまったので、はっきりとはわからなかった。

「私が女の子じゃなかったら、イリスクラフトの魔法も兄様に負けないくらい教えてもらえたのに。
女の子じゃなかったら……ベルクラフトに行かなくて良かった……」

だんだん、シェリアの声が涙まじりになるにつれて当初の勢いがカインにも失せてきた。

おろおろと困った顔をラーズに向け、ラーズも心なしカインを責めるかのように見つめている。

「悪かった。ごめん……泣くなよ」

シェリアから手を離して、カインは上着のポケットからハンカチを取り出すと、おずおずと差し出した。

「汚れるからいらない」

それを手に取らず、自分の手で涙を拭うシェリア。

「顔、毎日洗うんだろ。これも汚くないから使って」

多分毎日洗ってもらうやつ使ってるからと、カインはシェリアの掌に押し付けた。

女の子を泣かせたという罪悪感と、物言いたげなラーズの視線の居心地が悪くて仕方がないのだ。

掌に置かれた無地のハンカチをじっと見つめたシェリアは、ありがとうと礼を伝えて、涙を拭いた。

「さっき、見てたのどうしてばれちゃったのかな……」

涙を拭きながら疑問を口にしたシェリアに、カインはたまたまだと正直に伝えた。

「気づかなかったらシェリアに会わなかったかな?」
「……多分、わたしもここに連れてこなかったので……きっと、その通りです」

ラーズもカインが見たのがシェリアだというのに気づかなかったら、きっと会わせたりはしなかっただろう。

「じゃあ、偶然だね」
「そうだな」

カインがはにかむと、シェリアはくすっと小さく笑った。

「カイン様は、変な人なのね。もっと大人しい人だと思ってた」
「…………」

一体どういうイメージを持っていたのか。そもそも初対面の人を前にして変とはどういうことだ。そう言及してやりたかったが、ラーズが怒ると怖そうなのでやめておいた。


「……今朝、皇帝が皇子を連れて屋敷に来るって父様から教えてもらったの。
でも、私は会わなくていいとも言われた。もう会えなくなるし、それは仕方ないって思ってたけど――見ておきたかった。私が男の子だったら、仕えてたかもしれない皇子様の事」
「…………」

カインはシェリアの事をまじまじと見つめ、拳を握る。

彼女は【イリスクラフトの魔法使い】になりたかったのだろう。

才能があったのかは分からないけれど、性別の壁で彼女は『やりたかったこと』を叶える事が出来ない。

男か女かの違い、というだけなのに。

「……ありがとう、皇子様。ここの思い出、いっこ増えた」

シェリアが儚く微笑んだのを見たカインは、再びシェリアの腕をとって、部屋から連れ出す。

「あの、カイン様」
「ダメだ、こんなの絶対!」

シェリアを強引に連れ出すカイン。ラーズも後からついてきて口を開いたが、皇子の憤ったような返事によってラーズの言葉は中断される。

「……やりたい事をやって、ダメだったらしょうがないけど……出来るかもしれないのに、諦めたらダメだ」

シェリアもラーズもその言葉をどう受け止めたのかは、カインには分からない。

だが、カインはそのままシェリアを引っ張りながら再び階段を降り、元の部屋へと戻ってきた。


「父上! イリスクラフト! 話がある!」

勢いよく扉を開けた皇子に、アレスとイリスクラフトの現当主は何事かと目を見張る。

「……ラーズ、シェリア……! どうしてここに。シェリアは部屋に戻りなさい」

厳しい声音に、シェリアは肩を震わせたが、カインがシェリアの前に立ちはだかるとイリスクラフトを睨む。

「シェリアは、ベルクラフトという家に行くそうだな」
「……ええ。分家とイリスクラフト家の魔力に差が大きく生じましたゆえ、力量を埋めるためです」
「じゃあ、シェリアには魔法使いの素質はあるわけか」
「男子であれば、資質は申し分ありませんでした」

あっさりと肯定するイリスクラフトに、カインは怒りすら覚えた。

「では、シェリアも……イリスクラフトとして名乗らせるといい。素質があるのに、よそにやる必要はない」
「カイン、いい加減にしろ。お前が口を出す問題ではない!」

わがままを申すなとアレスが叱りつけたが、カインは大いにあると言い返す。

「父上。イリスクラフトの魔法使いが2人いれば、俺が王位を継いだときに良い支えとなってくれるはずだ。わざわざ優秀なものを減らす必要はないと思う」

存外はっきりとした返答に、アレスは一瞬言葉を詰まらせた。

「ラーズは誰よりも優秀な魔法使いになるだろう。それに、もう分家筋とは決まった話なのでは――」
「いえ、陛下。ベルクラフトにはこちらから伝えておきましょう。
我らの主君、アルガレスの次期皇帝が……シェリアを欲していると」

思いもよらぬイリスクラフトの言葉にカインは驚き、じわじわと羞恥がこみ上げてくるのを感じた。

「そっ、そういうことではなく、シェリアがかわいそうだと思って、言いたいことを伝えただけだ」
「そうであったとしても、将来的に有能であれば召し抱えていただけるような話しぶりでございましたな」

イリスクラフトの含むような言葉に危機を感じ取ったのか、アレスは『子供の戯言だ』と打ち消しにかかる。

「カイン、もう良かろう。有能なものはまた見つかる」
「お言葉ですが陛下。イリスクラフトよりも優秀な魔術師はこの世におりません」

ラーズにそう断言され、思わぬ助力を得たカインも大きく頷いた。

「……わ、私もお勉強、兄様に負けないくらい頑張るから……ここにいたい!」

シェリアも自分の意志を父に告げて、お願いしますと頭を下げた。

弱り切った様子のアレスと、こみ上げる笑いを堪えようとするイリスクラフト。

「カイン様がご自身のお言葉に責任を持っていただけるのであれば、シェリアを養女にやるという件は不問にさせましょう」
「本当か!?」

ぱあっと表情を明るくさせたカインだったが、イリスクラフトの表情から笑顔が消えたのを見て、背筋が凍るような思いがした。

「――ただし。ベルクラフトを納得させるような話が必要になります。シェリアは幸い女子であり、我が家柄もクライヴェルグ王家に末席であれど連なる者です」

何を言いたいかを把握したアレスは、険しい表情をしてイリスクラフトを見据えていた。

ラーズも渋い顔をして、誰にも悟られぬよう小さなため息を吐く。

「シェリアを召し抱えるのではなく、許嫁として側に置いてやるというのはいかがでしょうか」
「…………俺の?」

思わず聞き返したカインに、重みのある頷きを見せるイリスクラフト。

自分の将来が好転したかと思いきや、ますます手の届かない範疇になりそうなのを悟ったシェリア。

「父様、イヤですそんなの……!」

青ざめた顔で思い切り否定している。そんな顔をされるほど嫌がるようなことをした覚えはない。

「……なんでそんなに嫌がるんだ」
「だって、結婚しなくちゃいけなくなるなんてダメ!」

はっきり拒絶できる側でもないだろう、とすら思いながら、カインは嫌がるシェリアを疎ましげに睨む。

「カイン、シェリアも嫌がっている事だから――もういいだろう」
「父上……」

早くこの話を無かった事にしたいらしいアレスは、カインに引き下がるよう声をかけ、カインはシェリアとイリスクラフトを交互に見据えた。

「……シェリア、魔法を学ぶのにここにいたいんだろ」
「それは……そうだけど……」
「でも、魔法を学ぶ条件が嫌なのか? それとも俺が嫌なのか?」
「……皇子様の事は今日会ったばっかりで全然分からないけど、家には居たい……」

わがまま、とカインは呆れたように言って、シェリアを軽く責める。

シェリアはごめんなさいとうなだれて肩を落とす。

「好きになるかどうかは分からないけど、俺もシェリアも、いつかは誰かと結婚しなくちゃいけないんだろ。
結婚はすぐするわけじゃない。とりあえず許嫁って事で収まるならそれでいい」

あっさり決めたカインに、シェリアとアレスは青ざめるばかり。

イリスクラフトはご英断ですね、とカインを褒めているが、ラーズだけは――浮かぬ顔をしていた。


「……ベルクラフトから、相当の抗議と恨み言が来ると思います。アルガレス王家からももしかすると、有耶無耶にされる恐れも」

カインらを乗せた馬車を見送った後、ラーズは父親に淡々と告げた。

「ベルクラフトはこの家が憎いようだから……その点では、シェリアを出さずに済んでよかったとは思っている」

イリスクラフトの言葉には、親としての本音も含まれているようだが……ラーズはそれを信用しきれず、本当ですかと訊ねた。

「アルガレスに嫁がせる方が、良策とお思いになったからではないのですか?」

クライヴェルグだけではなく、アルガレスの王族……妃にでもなれば、イリスクラフトの家が力を持つことが出来る。

そう考えたのではないかというラーズに、イリスクラフトは馬鹿な子だと嘲笑した。

「そこまで考えるのであれば、お前の許嫁の家柄はもっと上を狙っているよ。それにカイン様のお心を踏みにじるような考え方はよろしくないな」
「……申し訳ありません」

頭を下げるラーズの傍らを通り過ぎ、イリスクラフトの口から限りなく聞かされた言葉が滑り落ちる。

「我らイリスクラフトは、主君を支えるためにある。それを忘れるな」

――全ては主の望むままに。

はたして、本当にそうなのだろうか。

父は、かつて神に連なろうとして滅び去ったティレシア王家を忘れてしまったのだろうか。

今、父はそれと同じような事をしているのではないか。


ラーズの心に言いようのない懸念が生まれ、短い呼気と共に気持ちを切り替えようとした。


「兄様……」

戸口から駆け寄ってくるシェリアに、ラーズは僅かな笑みを向けた。

「シェリア……」

小さな身体を受け止めると、ラーズは背中をそっと撫でた。

妹はまだ小さく、自分の事すら満足に決めることが出来ないのに。

カインとて、父と同じようなものだ。きっと、5年も経てば考えも変わるだろう。

シェリアは策略の道具ではない。ベルクラフトへ行かずに済んだことには感謝するが、アルガレスの良いようにも、父の野心に利用させたくもなかった。

自分と父は違う。もしも飽くなき野心を燃やすのであれば、自分は父の前に立ちはだかるしかない。

「シェリア。明日からは、一緒に魔術の勉強をしよう……。覚えられるものは、たくさん覚えるんだ」
「うん」

満面の笑みを浮かべたシェリアは、アルガレス城の方向を見つめた。

「……皇子様、また来るのかな……」
「いずれはお会いするはず。その時には、今日のお礼を言いなさい」

その時には、忘れていてくれたらいいけれど――と、ラーズは口に出さず思う。


「偶然は、重なれば運命……か……」

イリスクラフトの次期当主として、家族として――それがどのような運命に繋がろうとも、自分には守りたいものがある。

願わくば、シェリアの未来がより良いものであるようにと。


ラーズはシェリアの背中を押して、屋敷の中へと戻って行った。



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