【異世界の姫君/42話】

目の見えないアヤからは道順がどうなっているのかわからないが、リネットとレスターの二人に連れられ、医務室へと足を運ぶ。

そこが医務室ではないか、と思ったのは……二人の歩みが止まったことと、漂ってくる薬の匂いがあったせいだ。昨日も嗅いでいたはずの匂いだったが、気がついた時には医務室のベッドの上だったし、何より意識を取り戻してすぐにレスターが声をかけてきたため、あまり良く覚えていなかったのだ。

「先生いらっしゃいますか? ……あ、いたいた。おはようございます」
「んー? リネットちゃんか。おはようさん……っと、聖騎士様もご一緒で」

くすんだ金髪の髪はボサボサで、後頭部などは寝癖であらぬ方向に跳ねてしまっている。

シャツの上にヨレヨレの白衣を羽織っている医師――マルティンは、レスターの姿を認めると軽く会釈をして、彼らの後ろに立っているアヤに目を向けた。

「……ああ。聖騎士様は、姫様の……? 昨日も一緒だったのに、髪下ろすと誰だかわからんモンだな。女の子ならわかるんだが」

先生が男に興味ないからですよ、とリネットに言われて、まぁそうだよなと笑って返しながらアヤを呼んだ。

「姫様、どうだい。目は痛い?」
「いいえ。頭も目も、痛くありません」

リネットがアヤを誘導して椅子に座らせ、頭に触りますよと前置きしてからマルティンはアヤの包帯を掴み、するすると解いていく。

包帯から解放された目元は、半日ぶりの外気に当てられてすぅっとして気持ち良かったようで、アヤは感嘆の息を漏らす。

マルティンの手により瞼が開かれたと同時、眼に強い光が差し込んだので反射的に瞼を閉じて身を竦める。

「っ……眩しい……!」
「ああ、申し訳ない。強めのライトを当てたからなぁ……。じゃあ姫様、これは?」

マルティンがアヤの目元を掌で覆うと、アヤは『暗いです』と正直に伝える。

「うん……てことは、姫様はもう眩しいとか明るいとか認識できる。じゃあ、瞼を開いて……そう。何が見える?」
「……お医者様、ですか? まだはっきりとは見えなくて、ぼやけているんです。色や大まかな形は分かります」

アヤが見え方の説明をすると、マルティンは顎をさすりながらふぅむ、とアヤの事を見つめたまま過去の患者の状態や知識を引き出し、考えているようだ。

「あのっ、ヒューバート様は、眼の調子が悪かったりしたことはありませんか?」

ヒューバートの名前が出たことに、マルティンは顔をしかめた後、ヒューバート様かぁ、と口にした。

「騎士になる前に眼を痛めたことがあるなら、おじさんは知らないね。ここに来てから、あの方を一度も診たことはないよ」
「そう、なんですか……」

アヤはてっきり、騎士になってから眼を痛めたものだと思っていた。

しかし、言われてみれば、昔は観光名所だったらしいセルテステ。

ヒューバートがリスピア人なら、いつでも入れたのではないだろうか?

「リネット……ヒューバート様はリスピア人なの?」
「えっと……はい。とても凄い……名家の方です。でも、どうかご本人にそのお話はなさらないでくださいませ。自らの意思で家を捨てたお方なので」

申し訳なさそうに告げて、リネットはうつむいてしまう。

名家の出身といえど、アヤには分からないのでそちらも申し訳なくなってしまい、謝罪の言葉を口にして再び医師へと向き直った。

「昨日のお話では、痛みがないようであれば包帯を解いていい、ということでしたけれど……もうこのまま行動してしまって、構いませんか?」
「構わないっちゃ構わないけど、随分物がぼやけて見えるんだろう? 魔法治療師達のところで診てもらった後、眼鏡を作ってもらうほうがいいんじゃないか?」

丁度、近視と乱視が混ざってしまったようなものの見え方になっているアヤの眼を危惧したが、視力の調節などは彼の管轄ではないらしい。

しかし、アヤは大丈夫ですとやんわり断った。

「明日にはもう少し良くなっているかもしれませんし、もう少し待ってみます」
「ん。わかった。痛み止めは出しておく?」

マルティンがアヤから離れ、薬品棚から茶色の小瓶を取り出すと差し出したが、距離感の掴めないまま受け取ろうとすると、横からレスターが手を出して代わりに受け取った。

「わたしが持っていましょう。寝る前までは大抵ご一緒に行動させて頂きますから、痛くなった時に仰ってください」
「はい。ありがとうございます」

にこりと笑ったつもりだったが、レスターの挙動がなにかおかしいようだ。

ぼんやりなのでよく見えなかったが、気になったのでアヤは立ち上がるとレスターと向き合い、彼の顔を見つめたまま詰め寄ってくる。

「姫……? 何か、近いですが」
「ごめんなさい、もう少し」

そう言って、アヤはレスターと体が密着するほど近づいてから――ようやく『見えた』と嬉しそうに答えた。

「ここならお顔がよく見えますね。でも、これくらいじゃないと誰の顔も分からないのではちょっと恥ずかしいかな」

そう言われたレスターは照れたように笑ってから、アヤの肩に手を置いて、彼女の顔や瞳をじっと見つめる。

「はい。わたしも、姫のお姿……はっきり見せていただいております」

包帯で覆っていただけなのに、この瞳が見えないだけで印象は随分違うものだな、とレスターは思う。

そしてアヤは……相変わらず美しかった。

恋の熱病に侵されているせいもあるが、思わず『美しい』と口にしてしまうと……アヤはえっ、と戸惑いつつも頬を染めてはにかむ。

「もう……またそんな冗談を」
「本気です」

その甘い雰囲気に、ワクワクしているのはリネットだけだ。

マルティンは不機嫌そうな顔をしつつ大きく手を叩くと、用が済んだらもう出ていけと三人を追い立てた。

医務室の扉を閉められた後、リネットがひそりと『今、先生は奥さんとケンカ中なんです』と教えてくれた。

それでは虫の居所も悪くなるだろう。

「では、これから……また離宮に戻ってよろしいのですね?」

レスターは小瓶を腰から下げた小さなポーチに入れてリネットに尋ねる。

メイドはそうです、と頷く。

リネットは厨房に行き、イネスと合流して朝食を運んできますと伝えた。

それをどうだろうと言ったのはレスターだ。

「イネスは起きているのでしょうか……」
「起きているに決まってますよ。昨日ちゃんと5時にとお伝えしましたもん」

怪しいものです、と呟いたレスター。

流石に長年見てきたせいもあるだろうが、兄弟の事になると冷たい。

「仮にいらっしゃらなかったとしても、朝食を運ぶのはわたしの役目ですから……それでは、レスター様。頑張ってくださいね」

アヤがちゃんと見えていないことをいいことに、んふ、と含み笑いしてリネットは走り去っていく。

「……リネットとレスター様って、仲良しですね」

他意もなくアヤが言ったので、レスターは『からかわれているだけですよ』と答えてから、アヤの肩に手を添えて方向転換すると、離宮に向かおうとしたのだが……。

「――おや。最近訓練にも姿の見えなかった聖騎士様は、こんな美女とご一緒だったとは」

そりゃ訓練どころじゃないよなぁ、と嘲笑するような声の主は――通路の先に立って薄笑いを浮かべていた。


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